サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

210.肥たご

 以前、この雑言で「クソマル(145)」のことを取り上げた。この雑言は、少々不敬ながら私のとって一種の「ゲロ」であり、これを書くと気分がすっきりするというようなことも書いた記憶がある。

 ところで、この「クソマル」とは、文字通り糞をまると言うことだが、あの時は何故か気分的にはすっきりしなかった記憶がある。それは、日本人の「クソマル」の習慣が、すべて明確になったというわけではなかったからである。

 ところが、最近、近くの図書館に行って、ふと目に止まった本があった。それは、藤田雅矢さんの書かれた「糞袋」と言う本である。とりわけこちらが趣味と言うわけではないが、こういう本になると奇妙に興味がわいてくるから不思議だ。これも人品の至らしめる結果と言うことだろうか。

 藤田雅矢さんと言う方は、京大農学部を出て農学博士号を有するれっきとした学者作家で、この作品を読むのが初めてだった。この「糞袋」というのは、あまり細かいことははばかるが、単純に言えば「おわいや商売」を書いた作品で、これが第7回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞作に選ばれたと言うことである。

 この「おわいや」とは汚穢屋と書き、糞尿の汲み取りを業にしたもののことで、最近ではあまり見かけなくなった。汚穢屋が業として出現したのは、江戸中期に入ってかららしいが、「糞袋」の中に、当時の風習などが紹介されていて、奇妙に面白い。
 もともと、日本人に中には糞尿に対してそれほどの不浄感はなかったようで、いたっておおらかである。

 同様に、おなら、いわゆる「屁」に対してもおおらかで、井原西鶴の「好色一代男」の中に、次のような川柳があるらしい。
屁にさめて 香る糞舟 ぽんと町
 京都先斗町の遊郭で一夜を過ごし、ふと横に寝る遊女の寝屁で目を覚ましたら、布団の中だけでなく、横を流れる高瀬川の糞船の匂いが漂ってくる、ああもうこんな時刻なのかなあと言うことらしい。あの高瀬川には、五木ひろしさんには少々失礼だが、京の町のあちこちで集めた汚穢屋の船が朝の早いうちから通っていたらしい。

 また、山脇東洋という当時の学者が、「おならのこき方」と言うのを指南していて、「屁には音・形・臭いの三拍子から出来ている。ぶっとこくと丸くて小さい上品なのが出て、すぅっとこくといがんだおならになって下品になる。いがんだおならは臭いも臭い」とのたまわっていたらしい。

 この山脇東洋と言うのは、江戸時代の医学者で、実験医学の先駆者の一人で、わが国で最初に人体解剖を手がけた人である。すなわち実験医学と言うことで、山脇先生、自ら実験した結果であって、私の実体験からしても、下品であるか、上品であるかは別にして、まずは正鵠を得たご託宣であったかもしれない。

 ただ、この中で、「いがんだおなら」と言うのが分からない。早速インターネットで調べてみたら、「いがんだ」とは「ゆがんだ」の意味というのが出てきて、土佐弁かと思ったが意外と使われている地方があるようだ。

 しかし、これだと「すぅっとこくといがんだおならになって下品になる」と言うのは一体どういうことか。もともと、屁にまっすぐな屁などは無いように思われるが、勢い良くブッと出たほうがまっすぐな屁と言うことになって、上品と言うことになるのだろうか。

 それだと、普段から家内に注意される私の屁などはもっとも品のある屁と言うことになる。
 それから、当時の御所にある便所は十畳敷きの広い和室に樋筥(ひばこ)と言うものが置かれ、ここでやんごとなき人たちが致したらしい。しからば、この樋筥とどのようなものであったか、早速調べてみた。

 すると、あるんだなあ、こういうことを熱心に調べたうれしいサイトが。
 それによると、「平安期に入ると、いったん貴族の屋敷からトイレは姿を消し、代わりに「樋殿(ひどの)」「樋筥(ひのはこ)」と呼ばれる携帯型のトイレが使用されるようになる。「樋殿」とはつまり「おまる」を置いた場所であり、貴人が排泄したのちは、下人が掃除をし、「薬師(くすし)」という侍医がその排泄物をチェックして健康状態をチェックしたという。

 これらの「樋殿」「樋筥」には「衣掛け」と呼ばれる板が立てかけられ、人々はその板に裾をかけて用を足した。この「衣掛け」は、今も和式便所の「金隠し」という形で残っている。「金隠し」は「衣掛け」のなまったものである」(幻想資料館「日本のトイレ」)

 これで疑問は完璧に解消した。あとは迷うことなく、トイレでじっくり用を足せばよいことになる。

 ついでに、日本でいつ頃から、便所と言う一定の場所で、用事を済ませるようになったかと思って調べてみると、なっ、なっ、なんと今から四千年から六千年前の縄文時代ごろかと言うではないか。

 「福井県の鳥浜貝塚からは、川に板を張り出したと思しき設備が見つかっている。最初、この設備は橋ではないかと考えられたが、周辺に糞石(排泄物の化石)が大量に見つかっているので、のちに古代のトイレであると確認された。人々は、この板の向こうに尻をひりだして、川の中に「落し物」をしたのではないかと考えられている。」

 さすが、衛生国日本である。ところでこの標題の「肥たご」とは、いわゆる肥桶のことで、江戸時代、「肥たご」にも中身によって甲・乙・丙・丁の四段階と更に特上・上・並と区分され、丙の特上五十文、丙の上四十五文、丙の並四十文、甲とか乙は花街やお公家様のもので買値は高かったということである。

 はてさて普段、鶏の餌のような粗食に飼い慣らされている私の「もの」はさしずめどの辺りに相当したことやら・・・。(06.10仏法僧)

(参考)「日本のトイレ」http://homepage3.nifty.com/onion/labo/excretjp.htm