サイバー老人ホーム−青葉台熟年物語

1.記憶素子

 一昨年から赤瀬川さんの「老人力」と言う本が良く読まれているようだ。でも当分私は読まないことにした。読めば多少の勇気づけにはなるだろうが、余りありもしない幻想に影響されるのも癪のような気がしてだ。

 もっとも本の内容は別として、歳とともに記憶力が著しく減退していることは紛れも無い事実である。特に一人称に対する記憶力がはなはだしい。ただし、この場合も過去の記憶ではなく、専ら最近のものである。

 本来、人間の記憶素子と言うのはパソコンと違って増設すれば良いと言うものではなく、もともと一つの頭の中に収められているのである。それが生まれ落ちて直ぐに本能として刷り込まれた記憶からその後様々な経験や学習によって得た知恵がその記憶素子の上に覆い被さって行く。それはあたかも金属の上に積み重ねられるメッキのようなものである。それがある年齢になると積み重ねてもすぐに剥げ落ちてしまう。それが記憶の喪失であると思っている。しかも剥げ落ちる際には後から積み重ねられた最も新しいものから剥げ落ちることになる。

 歳を取ると昔の事は良く知っていると言うのは新しいものが剥げ落ちて古いものがむき出しになるからだろうと想像している。されどこれは悲しむ現象ではなく、「人は生まれながらにして菩薩の心を持っている」と言うではないか。それが成長するに連れて様々な煩悩に覆い隠されてしまうから、人は苦しむと言うことらしい。されば、記憶力の減退は菩薩に近づく過程と見ればこれも楽しである。如何。(99.9仏法僧)