サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

137.近代化遺物

 世界遺産というのがある。1972年のユネスコ総会で採択されたもので、人類共通の宝物として、これを保護し、永遠に受け継いで行こうと言うものである。これには文化遺産と自然遺産があり、日本でも現在15件が登録されていると言う事である。

 このことは誰でも知っている事だが、8月の読売新聞の「編集手帳」に「近代化遺産」と言うのが載っていた。明治・大正の先人達が、日本の近代化のために必死に努力した痕跡で、その例として「ニシン御殿」を挙げていた。嘗てニシンの最盛期には眩いほどの繁忙と栄華を極めたものであるが、当時は食用と言うより肥料として国内はもとより、海外にも輸出され、日本の近代化の礎になったものの末路であるとのことである。

 考えてみると、明治まで遡らないまでも、戦後の高度成長を支えてきた様々な近代化遺産がある。今では一つの産業の中から姿を消した、石炭産業然り。そして、嘗ての国家建設を支えた鉄鋼の巨大高炉や造船の巨大ドックなども、やがて近代化遺産の道をたどっているようである。

 また嘗ての海運王国の担い手であった、商船学校の類もまた同じである。戦後、船乗り(マドロス)と言う職業は男は勿論、女性にとっても憧れの的で、巷ではマドロス物の流行歌がもてはやされたのである。当時の少年雑誌にも「船員養成」などの広告が載り、一度ならず小さな胸をときめかしたものであった。

 その後、日本の近代化に文字通り礎になったものは「黒部の太陽」に象徴される、水力発電のためのダム建設だった。電力はその後、石炭火力から、石油による火力発電に移り、更に最近は原子力発電に、そして今は地球環境を考えた風力や太陽エネルギーへと変わりつつある。
 また、嘗ては国家予算の主要財源だったタバコ産業や日本酒の酒蔵や貯蔵タンクなども近代化遺産の道を歩んでいるようである。

 そもそも、遺産というものは「先人が残した業績」と言うものらしいが、遺産として引き継がれていけばまだ良いほうである。遺物と言うのは「過去の人が残した物」と言う事で、引き継げる価値もないというのであればなんとも悲しい。

 躍進する日本経済の中で、栄誉栄華と欲望の象徴でもあったゴルフ産業も、スポーツとしての本質を見失ったために、豪華さを競い合ったクラブハウスを含めて近代化遺物の道を歩んでいるようである。

 戦後、自動車の持てる生活などというものは誰しも夢にも見なかったが、今ではまだ使える自動車が路上に捨てられる時代になって遺物を通り越して汚物になってしまった物もある。終戦間際、木炭自動車と言って自動車の燃料に木炭を不完全燃焼させたガスで走らせていた苦難の時代の事を知っている人はどれだけ居るだろうか。

 また、今では何所の家庭にもある電話なども、嘗ては無いのが当たり前で、会社に入社する時に電話の掛け方が分からずに真剣に悩んだものである。今では電話の用途が全く変わって、公衆電話などはその役目を終えようとしているが、時代の波に乗り遅れた私などは、こと電話に関しては近代化に逆行しているようである。
 尤も、家庭用電話と言えども、豊富な機能を使い切れず、今となったら落としても叩きつけても壊れなかった黒電話が無性に懐かしい。

 思えば我が家でも、遺産として引き継げるものは無いが、遺物として処分しなければならないものはかなりあった。この雑言の始まった頃「物に拘ると・・」で、一大決心をして家の中の大整理をした事について触れた事がある。二週間をかけて、「小は紙袋から大はピアノまで整理」した事があったが、これなども我が家の近代化の中で悪戦苦闘して集めた遺物であった。

 結婚当初の我が家の資産と言えば、家内が持ってきたタンスが二本、水屋が一つ、結婚前から長期月賦で購入していた電気ミシン程度であった。それに電気洗濯機が加わり、テレビが加わっての新婚生活であったが、今こうして見渡してみると、我が家で必要なものは結局新婚時代と余り変わりはないようである。

 ミシンなどは今でこそ子供のおもちゃのような価格になってしまったが、当時の若い女性にとっては必需品ではあったが、簡単に手の届くものではなく、大方は長期月賦で購入したのではないだろうか。ただ、その割には活躍した時間は短かったようで、大量消費経済の流れに押し流されてしまったようである。

 先日も、現役時代に一大決心をして購入したワープロとプリンターを未練を残しながら処分すべき遺物として物置に移動してもらった。当時でも今のパソコンの2台分にも相当する価格であり、私の分身として十分その機能を果たしたが、その末路は哀れである。

 住いなども結婚して以来、間借りを含めて何度も変わったが、我々の時代、住宅と言うのはサラリーマン生活最大の買い物などと言われていた。
 今にして思えばこのために働き詰めたような気もするが最近の住宅事情や、然して大きくも無い住宅で、滅多に足を踏み入れる事もなくなった部屋を見るにつけ、空しさだけが残ったような気がする。
 つまる所、住いなどというもの、お梅ばあさんの「阿弥陀堂」か、良寛の「五合庵」ほどの広さがあれば十分なのかもしれない。

 ただ、ライフサイクルの夫々の節目節目で、あれが欲しい、これが欲しいと身悶えしていたような気がするが、過ぎ去ってみるといずれもが「近代化遺物」になってしまったようである。

 然らば、我が家にとって「近代化遺産」として残せるものは何かと言えば、何もない。せめて文化遺産の一つでも残せればと思うのであるが、秋の深まりとともに諸行無常の風がことさら身にしみる今日この頃である。(03.10仏法僧