サイバー老人ホーム−青葉台熟年物語

113.「傘ん中」

 五木ひろしさんの最近の唄で「傘ん中」と言う唄がある。昨年の作詞大賞に輝いたご存知阿久悠さんの作詞で船村徹さんの作曲という超一流の方々の作品である。
「雨は野暮だし日暮れは薄情
道はひとりで靴まで重い
笑い上手はうわべのはなし
芯は一日泣いている
都会はからくり見せかけ芝居
男も女も水浸し
せめてこちらへ傘ん中
縁があるなら傘ん中」
 純日本調の音曲で五木さん独特のえぐるような歌唱が個人的な好みは別にして、なんともやるせない名曲だと思っている。ところでこの歌詞、単に聞いていれば日本情緒たっぷりの演歌の常道と言うように取れるが、阿久悠さんはどのような意図で作詞したか分からないが、最近の先行き不透明な世相を歌い上げた唄ではないかと思っている。

 取り分けリストラだの倒産がごく普通になった世の中で、誰もが方向を見失って「男も女も水浸し」、何かにすがりたい気持ちを歌い上げていると勝手に思っている。

 ところが昨今の世相はどうかといえば右を向いても左を向いてもさしかけるどころか寧ろ取り上げているのである。昔から銀行と言うのは「雨が降ると傘を取り上げる」といわれてきたが、最近は雨が降ろうが降るまいが取り上げている。個人であろうと企業であろうと経済行為なるものは流れる水のようなもの。それをある静止状態を見て雨だと判断するのはいかにも薄情であり、日々の努力が浮かばれないということである。

 考えてみると、本来なら傘を差し掛けなければならない人たちがこぞって傘の中に逃げ込んでいる。取り分け自らの「傘ん中」の安心さを強調しなければならない政治家までがより安全で大きな傘に転げ込む世相で、思想信条までがその場限り、「都会はからくり見せかけ芝居」を地で言っているといわざるをえない。

 日本の官僚の優秀さは疑うこともなかった一人である。取り分け外務官僚などは日本人の中でも最も優秀な人材が集まっていると信じていたし、また事実そうであろうと思っている。然るに昨今の不祥事や拉致問題に対する対応を見るにつけ、何れも「傘ん中」にしがみついてはなれようとしない官僚の生態そのものである。

 若いころから血のにじむような努力をしてようやくにして手に入れた「傘ん中」であり、なまじ傘からはみ出すようなことに手を出して、折角手に入れた安住の地を失いたくない気持ちは分からないでもない。されどたった一度の人生、そこまで磨き上げた能力を高々「傘ん中」に入ることが目的と言うならいかにも情けないとやっかみ半分に思うのである。

 一般に「例外のない原則はない」と言われるが、最近の役人の行動を見るに付け、「例外のある原則は認められない」に徹しているようである。その理由はと問えば「難しい」であり、それを解きほぐすのは傘の外であり、自ら解きほぐす努力をしようとはしない。

 昭和30年代だったか、小暴力追放運動と言うのがあった。暴力事件に至る前の小さな暴力行為の段階で未然に予防すると言うことであり、日本の警察力の優秀性は信じて疑わなかったが、この頃の面影は何所に行ったのだろうか、事実があっても原則にもとることは取り合おうともしない。

 また、最近の私企業においてもリストラだの解雇だの「傘ん中」から追い出すことが何の違和感もなく行われるようになった。その結果、誰もが傘から押し出されると「道はひとりで靴まで重い」のを恐れ、あえて傘からはみ出す勇気がなくなってきているのかもしれない。ただ、これも「笑い上手はうわべのはなし、芯は一日泣いている」のであってその反動が内部告発と言う形ででているのではないかと勝手に思っている。

 今年の新春対談で奥田日経連会長が、かつてトヨタ自動車社長だった頃に「異端者ばかりを集めて車を開発させた」と言っておられたが、次々にヒット商品を生み出し、世界の頂点を極めた秘訣はこんなところにあったのかと思うのである。「傘ん中」という常識の延長では大衆に迎合はできても新しい流れを導き出すことはできないのかも知れない。

 「夜は怖いし、ひとりは寒い」できれば誰しも大きな「傘ん中」に入りたいのであるが、大きい傘に限って貢献度とは無関係に属人的身分でその位置が決まってしまうような会社がある。最近の企業不祥事はどうしても内輪に入り込もうとし、しかも「傘ん中」で更に傘を差そうとする硬直した「傘ん中」が引き起こしたのではないかとこれも勝手に思っている。

 それにしても日本人も姑息になった。遠く、あの日露戦争で前線の総指揮を取った児玉源太郎はそれまでの内務大臣という地位を投げ打って自ら進んで満州最前線に立ち、日本を勝利に導いたのである。その間、剛直な参謀と、無能な指揮官乃木のためにおびただしい血を流した旅順戦線では軍隊では絶対してはならない指揮命令系統を逸脱しても作戦変更をして203高地を陥落せしめ、日本海海戦を勝利に導く原動力となったのである。

 戦後、暗愚の将軍乃木は軍神としてあがめられたが、児玉はこの時の無理がたたったのか年を経ずして病没している。また、第二次大戦下、リトアニアにおいて多数のユダヤ人を救った当時の外交官杉原知畝氏然り、何れも「傘ん中」にとどまる事をせず、傘をさしかけた人たちである。

 この結果、この両氏とも決して恵まれた余生とはいえなかったかもしれないが、その後の杉原知畝氏の言葉「対ナチス協調に迎合することによって、 全世界に隠然たる勢力を擁するユダヤ民族から、永遠の恨みをかってまで、それが果たして国益に叶うことだというのか。苦慮、煩悶の揚句、私はついに人道博愛精神第一、という結論を得た。そして私は、何も恐れることなく、職を賭して忠実にこれを実行したと、今も確信している。」と、今の世であれば決して利口な生き方ではなかったかもしれないが、大義と信念のために人生を賭けた男のロマンを感ずるのである。

 それにしても最近の世相を見るにつけ、
「雨まで色づく巷に立てば、男も女も迷い人
せめてこちらへ傘ん中
縁があるなら傘ん中」
と阿久悠さんならずとも出来れば傘を指しかけてやりたい心境であるが、敢えて信念のもとに「傘ん中」から出て行けた「ムカシ」がやっぱりよかったと言うのだろうか。(03.02仏法僧)