サイバー老人ホーム−青葉台熟年物

5.簡素な生活

 明治の文豪、島崎藤村が我が故郷信州の小諸義塾の教師として赴任したのは、それまでの若菜集で代表される「詩から散文」に転換をはかった時であり、後の代表作の「破壊」を著わす基礎を固めた時期でもあった。その最初に取り組んだのが「千曲川のスケッチ」である。この「散文」を見ると今でも藤村が立って眺めたであろう位置までも特定できるほどの細密描写となっている。

 ところでこの「千曲川のスケッチ」の序文に、藤村が東京から小諸に移り住んだ時の心境を「もっと自分を新鮮に、そして簡素にすることはないか」と書いている。

 文豪が求めた「簡素な生活」とはどんなものであったのかは分からないが、簡素とは複雑の反対であり、対人的にも対物的にも係わりを極力単純にすることではないかと解釈している。そうすると今こうして年金生活を迎えてみると、何れにしても生活の拠るべきところは変わりないのだから、その範囲で足りる簡素な生活を心がけることになり、好むと好まざるとにかかわらず、すこしだけ文豪の心境にも近づけることになるのかな、なんて思うのである。(99.11仏法僧)