サイバー老人ホーム

268.髪 結(ヘアースタイル)2

 「嫁の頭を見れば、透き通る玳瑁(たいまい)の櫛をさし、笄(こうがい)の外に簪(かんざし)とやら云う物をささるは何の用に立つことぞ。時代違いの姑の目からは、弁慶が七つ道具を天窓(あたま)に戴くと思はるるは無理なし。およそ首筋より上ばかりに入れ物二十一、二品もあり。仮初(かりそめ)に出るにも身拵えに隙なきことと思われけり」と、いささか守貞先生僻(ひが)み根性丸出しである。

 ところで、古のヘアースタイルを論ずる場合、髪の字の上の部分、すなわち「髟」の部分を「かみかんむり」または「かみがしら」というそうだが、この「かみがしら」に友がついたのが髪であり、この友の変化した字を覚える事が肝要である。

 しからば、どの様な字かといえば、凡そ八個あり、その一つ一つが、髪の一部を構成しており、これが寄り集まって世に言う日本髪を構成していると言う事になる。

 例えば、「髷(まげ)」というのは、束ねて巻いた髪と言う事で、男のちょん髷、女の丸髷と言う事になる。しかも、これが「わげ」と訓じたり、「まげ」と言ったりするから複雑である。

 そのほかに、ざっと、「鬢」「鬂」「髩」はいずれも「びん」または「たぼ」であり、耳際の髪の毛を指す。ただ、これをどのように使い分けていたのか無粋の年寄りにはトンと分からない。

 次が、「髻」で、「もとどり」または「たぶさ」といい、髪の毛をまとめて頭の上で束ねた所ということになる。

 そして、「鬠」で、「もとゆい」と読み、「元結」とも表し、髪の髻(もとどり)を束ねる紐や糸で、古くは組紐)や麻糸を用いたが、近世には和紙を縒(よ)った扱(こ)ということで、分かりやすく言えば御祝いなどに使う水引と同じもので、男女とも当時のへアーファッションとして重きを於いていたらしい。

 さらに、「髱」で「つと」(京阪)、「たぼ」(江戸)といい、髪の後方に張り出た部分のことである。

 そして、「鬘」で「かもじ」または「かつら」である。今風の「アデランス」ではなくて、毛髪でいろいろな髷(まげ)を作った被り物と言う事である。

 まず、日本髪を論ずるには、江戸時代の子供の成長に合わせてどの様な髪形が変化したかを見ると分かりやすい。

 まず、「男女児とも出生して第七日目に産髪全くこれを剃る。次に項(うなじ)の上図(後頭部)のごとくいささか髪を残す。これを京阪ぼん(盆)のくぼ(窪)、あるいは訛りてぼんのくそと言う。江戸にては、ごんべいと言う。また稀に八兵衛という」即ち、後頭部にほんの一つまみほどの髪の毛を残すだけである。

 次がおなじみの芥子坊、「京阪にてこれを略してけしぼんといい、江戸にて、おけしと。云う」、脳天と盆の窪の髪の毛を残した状態で、芥子の実に似ているからこのように呼ばれたのだろう。

 続いて奴、「三才にて髪置きと称(とな)え賀する事あり。多くはこの頃より耳上に髪を残す。三都ともこれを奴となずく」

 更に焼物の図案などに書かれた唐子、「奴より上の方に円形に残したるあり。三都ともこれを唐子と言う」

 そして「五六才になれば、芥子坊および奴、盆の窪等の髪長じて、その後も漸く大形に残し、終に髷(まげ)も結い、女児ならば簪稀および裁(きれ)をもってこれを用ゆなり」とここまで成長すると、可なり子供らしくなる。

 ここまでは男も女もほぼ同じである。「七、八歳に至れば、奴、盆の窪等の形いよいよ大きくまた長くし、惣じてこれを取り上げ、男子は男髷、女児は銀杏髷に結う。

 また近世、江戸にては八、九歳以下は必ず眉を剃りさる。京阪これを剃らざりしが、十年以来これを剃ると聞く。諸事近世は、江戸風を京阪に伝え学ぶゆえなり。尤も小児眉無しの方愛あり」となる。

 この銀杏髷とは、島田髷の髱(たぼ)を銀杏の葉のような形にしたものということだが、後頭部で髪の毛を束ね前髪と結んだ髪型である。この状態から、髪の毛が伸びるに随い、夫々の部分にふくらみを持たせて島田髷と成ると言う事らしい。

 そして、ここからが大人のヘアースタイルとなって、「奴(やっこ)髷(わげ)、江戸にて高島田と言う。三都共に処女および娼妓も往々これに結う。今世、処女は三都とも専ら島田髷に結い、京阪の婦は両輪(りょうわ)(一名笄髷)を正風とし、坊間(ぼうかん)(市中)の媵婢(ようひ)は丸髷を正とし、江戸の婦妾媵婢(ようひ)ともに丸髷を正とす。

 けだし両輪と丸髷と東西に分かつ事、大略三河国岡崎以西は両輪、吉田駅以東は丸髷を専らとす」となったと言う事である。

 この中で、「媵婢(ようひ)」と言うのは、娘が嫁入りする場合、その嫁に従って行く婢の事である。また、両輪というのは、髻(もとどり)の髪を笄(こうがい)に八の字に巻きつけたような髪型であると言う事である。

 即ち、「三都とも処女・小婢は島田髷を専らとす。婦は京阪両輪(りょうわ)、江戸は丸髷を専らとす。歯を染め髪を更むることは、嫁して後の事なり。采納してはまづ歯のみを染むるなり。京阪にて歯を染めていまだ眉を剃らざる者は、島田を専らとす」(09.08仏法僧)