サイバー老人ホームー青葉台熟年物語

141.隠れ家

 最近、我が家から15分ばかりのところに神戸淡路鳴門高速道に直結するジャンクションができた。ここから明石大橋まで30分足らずで行けることになり、四国と淡路島にはどこに行くよりも便利になった。先月淡路島に行ったとき始めてこのジャンクションを使い、高速道路の便利さをこれほど感じたことはない。

 ところで、淡路島は今までに二度ほど通過したことがあったが、泊まったことはなかった。淡路島というのは日本でもっとも大きな島ということは聞いていたが、この島を特徴付けるものが何であるかあまり意識したこともない。
 同じ大きな島として対比される佐渡の場合、風光、芸能、工芸などあらゆる点で、佐渡を特色付けるものが多いのに比較して、淡路の場合は「鳴門きんとき」と言う美味しいサツマイモが取れるというだけでは聊かさびしい限りである。ただ、今年の夏に孫たちと四国に行った時に、高速道路から眺めた穏やかな風景が気に入り、改めて訪ねてみたのである。

 舞子トンネルを抜けて明石大橋に入ると誰でもその壮大さに感激する。今度は自らハンドルを握っていたので余裕を持って回りの景色に見とれるわけには行かなかったが、それでも眼下に明石海峡を一跨ぎにする爽快さは格別である。

 橋を渡って最初のサービスエリヤで小休止して、二つ目の北淡インターで一般道に入るとすぐに海岸で、淡路西海岸に沿って南下する。
 途中、五色町で道を間違えて内陸部に入るが途中から引き返す。この島、道路標識がやたらと少ない。どう間違っても30分もすれば島の反対出るほどの距離で、間違っても海の外には出ないから間違ったと気付いたときに引き返せばよいということかもしれない。

 五色町を過ぎると西淡路自慢のサンセットロードと言うことになるが、ここまで来るのに1時間程度で、日はまだ中天に懸かっていてサンセットまでにはいったん家に帰ってから出直したほうが良いくらいである。そのままさらに南下するが、追い抜く車も行き交う車もない海岸道路をわが意思の赴くまま進む心地よさに浸る。

 このあたり、夏場はどこでも海水浴場という感じで、シーズン中はそれなりの賑わいを見せるのだと思うが、シーズンをはずすと寂しさというよりは茫洋とした海辺の景色は他ではない安らぎを感じる。
 これは多分、淡路には巨大建造物が殆どないことによるのではないかと思っている。ただ、途中で昼食を取ったレストランの主によると、冬場は西風が強く、新しい車などすぐに錆びてしまうので、二重塗りをするか、上等な車は屋内に入れて、普段用と区別しているということである。

 ただ、強いといっても海岸に生えている木の曲がり具合を見ると、北陸や東北の冬の日本海側とはだいぶ差があるのかもしてない。それに雪はほとんど降らないということなので、冬には冬の風情があり、一度その時期にも来てみたいものである。

 西海岸最南端の西淡町に入ったところで再び道を間違えて、目的の宿には結局内陸部から入ることになった。それは、それでも良いわけで、さほど慌てる事もなく予定時間までには宿に着けたから、気分は上々である。

 翌朝は、かなりゆっくりとチェックアウトタイムぎりぎりまで部屋で過ごしてから出発する。今日は、昨日とは正反対の東海岸を北上することにした。宿のある南淡町の街中を抜けて、しばらく起伏のある農村地帯を抜けるとあっけないほど簡単に東淡路の海岸道路に出た。目の前に広がった風景を見て思わず息を呑む思いである。

 文字通り真一文字に海が広がっていた。左側は切り立った崖で、その崖下を片側一車線の狭い道路が真っ直ぐに続いているが、人家はおろか前を見ても後を見ても車の陰がどこにもない。まさに贅沢な風景である。

 ここから淡路島最大の街、洲本市に入るまで、途中しばらく山中の曲がりくねった道に入ることもあったが、後は一貫して同じである。時速30キロ程度に車速を落とし、海を眺めながらゆっくりと走っても誰に注意されるでもなく、妨害されることもない。
 決して変化があるわけでもないが、単調とi言うより単純な海岸風景で、今までに見たどこの海岸風景より、心の安らぎを覚える風景である。

 最近、テレビや雑誌で「隠れ家」というのが取り上げられるが、この隠れ家の本来の意味は「人目を避けて潜んでいる家や場所」ということらしい。この歳になって、なにも人目を避けて潜む必要のあるほどの人間でもないが、何となく全てに騒々しい世相の中で、時により人目を避けて自分だけの世界に浸りたい気持ちになるときもある。

 尤も潜まれるほうは人目を避けて潜んでいられたら迷惑な話で、出来るだけ賑々しくありたいのかもしれないが、この淡路島というところ、私のとっては格好の「隠れ家」になりそうな気がしている。
 今更、生きることに疲れるなどと年甲斐もないことを言うつもりはないが、何となく「海を見たい」「夕日が見たい」なんて思う時は、何時でも淡路に行こうと思うのである。(03.12仏法僧)