サイバー老人ホーム

334.快哉!(1)

 平成25年1月18日付読売新聞朝刊の「編集手帳」というコラムに思いもよらないことが書かれていた。以下は、記載されたそのままの元文である。

 『石川啄木の早世を悼み、与謝野鉄幹は切々たる心情を歌にしている。「死して後世に知られたる啄木を嬉しと思うぞ悲しと思う」

 「檸檬」の小説家、梶井基次郎が生まれて始めて原稿料を手にしたのは病没知る二カ月前である。「咳をしても一人」の俳人、尾崎放哉は生前に一冊の句集も出せず、無名のまま世を去っている。「死して後に」名声を得た文学者は珍しくない。そうならなかった人の、静かな喜びの声に聞き入った。

「生きている内に(この作品を、自分を)見付けてくださいましてありがとうございました」。
黒田夏子さんの小説「abさんご」が芥川賞に選ばれた。75歳は史上最高齢という。読みやすい作品とはお世辞にも言えない。二度読み始めて、2度とも2〜3ページで降参した。

 このところ、小説に限らない。歌手でもタレントでも、世間みんなが「良い」と認めるのに自分だけはその良さがチンプンカンプンのまま・・・・何かとおいてけぼりにされがちな身である。既成の価値観にとらわれない新しい才能が、世の中に生まれている証しでもあろう。嬉しとぞ思う、悲しとぞ思う。』

 この新聞、報道の中立性という面では多分に偏りがあると感じていたが、この記事に偏りあるかどうか知らない。ただ、同じ出版関係の仕事をしていながらかなり思い切った内容の記事を載せたものと驚いているが、同時に、我が意を得たりと思わず快哉を叫びたい心境である。

 だからと言って、作者の黒田夏子さんや、作品の「abさんご」にケチをつける気など毛頭ない。逆に、私と同じ75歳にして栄光の「芥川賞」を獲得したことに対して、深甚なる尊敬と祝意を申し上げたい。

 日本には、出版に関する様々な賞が設定されていて、その中で、純文学の芥川賞と、大衆文学の直木賞は出版に付いてあまり関心の無い人でも知っているのではなかろうか。

 この二つの賞は、大正時代に文芸春秋の創始者菊池貫が、大正時代を代表する小説家であった芥川龍之介と、直木三十五の友人である菊池貫が昭和10年に設定したものである。この賞に付いて、菊池貫自身が「半分は雑誌の宣伝にやっている事だ」と言っているそうで、選考委員の合議のうえで決めているとはいえ、出版界を代表するものではないが、確か日本で最初に設定した出版賞ではなかったかと記憶している。

 従って、宣伝効果は十分に発揮させている訳で、私なども今迄に何回かこの名前に刺激されて購入したことがある。しかし、取り分け芥川賞受賞作品には読売新聞の記事ではないが、凡そ読んで面白かったかと言う前に、チンプンカンプンの作品が多かった。

 その背景には、芥川賞と言うのは文学界での最高峰という思いが強く、これを理解できない我が浅はかな知力に忸怩たる思いがしていた。然るに、読む方でも書く方でもプロ中のプロと言える今度の読売新聞の記事を見て、これを快哉と云わずなんと言おう。

 そもそも、芥川龍之介という作家に付いて、大正時代を代表する作家かどうかについてはずっと悩んでいた。芥川の作品では、「杜子春」という作品を小学校の学芸会で演じ、杜子春の母親役で出たことと、「蜘蛛の糸」と言う作品を何かの折に読んだ記憶があるだけである。従って、芥川龍之介以外にも文豪と称する多くの作家がいる事に疑問を感じていた。

 もっとひどいのは、直木三十五である。この人の名前はおろか、一遍たりと直木三十五の作品すら読んだこともない。そもそも、菊池貫と言う人は、作家と言うよりは、事業家としての手腕に長けた人で、人との付き合いにはかなり性癖のある人で、私の肌合いとは合わないように感じている。とは言え、出版界で文芸春秋といえば押しも押されもされない代表的出版社である事に間違いがない。

 そもそも、こうした文学賞の対象となる日本文学とは、大きく分けて、「散文(物語・小説・随筆・戯曲・日記・紀行・伝記・評論等々)」と「韻文(詩・和歌・俳句・川柳・短歌等々)」に分かれるそうだが、主として文学賞の対象になるのは散文である。

 この中で、近代小説と言うのが誕生したのは明治以降と言う事になる。その当時は、小説という言葉さえなく、英語の「Novel」の訳語「小説」をそのまま当てはめたということである。それまでは、曲亭馬琴などの江戸時代の作品に中国由来の言葉を当てはめて呼んでいたらしい。

 明治に入ってから、今の時代と同じように、様々な小説が発表されるに従い、「純文学」「大衆文学」に分かれてきたのであろう。ただ、当時は「大衆文学」の中の「時代小説」と言っても、つい目と鼻の先の事であり、時代考証などもおのずと読者自身が知りつくしていたことだろう。従って、その比重は当然の事ながら「時代小説」側に比重が置かれていたのである。

 ただ、当時は、「純文学」は芸術性を指向し、「大衆文学」は、通俗性、娯楽性を指向するとされていたが、その後、あらゆる面で近代化が進む中で、「純文学」の比重が高まり、やがて、国民総評論家の様相を呈するに及び、この二つのジャンルでは分けられない状態になってきているらしい。ただ、言葉から来る印象としては、「純文学」のほうが聞こえが良く、何となく一ランク上に置かれている様な気がしていた。

 ところが、この二つを明確に線引きできるかと言えばそんなことはない。私が好きな作家田辺聖子さんはれっきとした芥川賞受賞者(昭和39年第50回)であり、男性では、宮本輝さんは芥川賞の選考委員でもある。尤も、田辺聖子さんは、後に、「直木賞の方が欲しかった」と言われているそうだが。

 ただ、現在では純文学、大衆文学の境界はあいまいで、双方の作品を発表する作家、一方から他方へと移行する作家、自作について特段の区分を求めない作家が多くなってきているそうである。

 取り分け、第二次大戦後、ジャンルの多様化により芥川賞=純文学、直木賞=大衆文学というのは、現在ではほとんど死語であろうというのが通説らしい。なぜ、こうなったかと言えば、最近のメディアの発展等により、単に「○○文学賞」などと規定出来なくなってきたのではないかと思っている。(15.02.01仏法僧)