サイバー老人ホーム

343.上 司(2)

 その後、役割分担による分科会に分かれて話し合いが行われ、「組織規約担当」は、S会長(座長ではない)、I顧問(阪大助教)、そして私の三人が担当し、来年3月に社会実験をすることで決まっていたようだがそれまでは現状通りとし、本格運営に移行する段階でNPOへの移行を検討することになった。

 この結論に、私がもろ手を挙げて賛成したわけでは勿論ない。こんなことをしたら、自治会行事の延長であり、それからまた本格運行に向けて振り出しに戻ることになる。加えてせっかくの社会実験による運営や、収支経理の継続性を失うことも予想され、混乱を上乗せされることになる。

 ただ、全体の雰囲気は私の発言などは無視して、現状の体制で運営する方向に進んでいたようである。

 この打ち合わせがあった1週間ほど後に、隣の宝塚市の「NPO支援センター(兵庫県支配下)」で行われた「NPOセミナー」に参加し、いの一番に前回の打ち合わせで、NPOに関する私に発言の是非について質問した。

 その結果、私の発言に基本的に間違いはなく、個人(任意団体)でも事業はできないことはないが、その場合、長期的に事業を続けるなら組織面や、税制面等、法的に責任を負う場面が生じた場合、グループの長は勿論、メンバー全員が直接責任を負う事を覚悟しなければならない、という事であった。

 ただ、同じ法人でも、「社団法人」というのもあり、NPOよりこの方が手続き的に簡略な場合があり、考えてみる価値があるという事であった。

 この「社団法人」については全く考えた事も無く、家に帰ってさっそくインターネットで調べてみた。この社団法人というのは、「一般社団法人」「公益社団法人」「特例社団法人」の三つがあり、我々が対称にするのは「一般社団法人」である。これは、「事業目的に公益性がなくても構わない。原則として、株式会社等と同様に、全ての事業が課税対象となる。  

 設立許可を必要とした従来の社団法人とは違い、一定の手続き及び登記さえ経れば、主務官庁の許可を得るのではなく準則主義によって誰でも設立することができる」という事で、検討する価値はありそうである。

 これについて、我が地域が最も模範とすべきすべき先進NPO「生活バス四日市」の理事長西脇氏が雑誌「流通と経済」の対談記事に、何故NPOに拘ったかの質問に対して、「営業目的としたバスを運行するには免許が必要だし、市から援助してもらうためにもきちんとした団体である必要があった」と述べられていて、まさに敬服すべき発言であり、NPOにすべきであると判断した。

 バス事業(法律行為)は所轄官庁の認可を得なければならず、その結果開業という権限を得るが、同時にしかるべく義務を負う事になる。その義務を果たすには、十分に対応する組織が必要であり、簡略というのは本人にとって必ずしも有利とはならず、永続的に続くことに対応するならしっかりした組織でなくてはならないのは当然である。

 これまでの経緯から、私が会の中で浮き上がった存在であることは十分に承知している。これは始めから分かっていたことで、今迄の雰囲気のまま、互いになあなあのまま進めても時間がたつばかりで、これを打破するには、たとえ不評を買っても、それまでの進め方を改めさせなければ目的は達成できないと思ったからである。

 そこで、NPOによる運営を前提とした「実運行推進計画」と「収支予測」を作成し、次回会議で提案することにした。

 内容は、NPOの設立手続きを中心にした「今後の取り組み」を12項目にわたり、それぞれに日程を定め、来年の四月までにすべてを完了し、五月から実運行することにした。

 運営資金については、今の会合では不採算の話題が集中する傾向があるが、コミュニティバスは福祉目的であり、福祉事業は採算を超越して考えるべきで、超越とは無視ではなく、事業目的を中心に考えるという事である。

 生瀬地区は立地的にも、賛助会員は多く望めないが、75歳以上の老人は、四地区だけで950人(25%)もいる。これらの人達を会員にどれだけ引き込むかが採算のカギを握り、その為にも「広報活動」が大きな課題である。
これは単なるはったりではなく、モデルにしたのは勿論「生活バス四日市」であり、手順そのものは、私自身が持ち合わせている貧弱な知識に加え顧問の先生や、「NPO支援センター」の支援を得ることにすればよいことである。

 この中に、肝心の生瀬町住民など一部の住民は、コミュニティバスの恩恵に浴しない地域がありこれらの地域を含めて、NPOの趣旨である相互扶助の観点から、金額的には些細なものでも、こうした住民を含めて「町の活性化」に最も貢献するだろ云うと思う「その他の事業(実は本命)」として参考例を含めて列挙した。

 この生瀬町は、江戸時代、有馬街道・丹波街道の宿駅だった。他の主要街道と違い、規模も小さく貧しい宿場町だったが、私がここに移り住んだ頃にも、その名残は多少残っていて、何点かの国指定の重要文化財もある。生瀬宿は宿場だったから使える名称で、どこでもまねのできることではない。

 「生瀬地区の活性化」には、「生瀬宿の復興」は最適であり是非とも取り上げてほしい事業である。そのほか、高齢化による家屋の手入れ・空家の有効活用の賃貸契約の斡旋など支援を受ける側と、提供する側のNPO本来の事業は考えればいくらでもある。

 誰でも人生の中で「上司」呼ばれる人に使えてきた経験があるだろう。その中で、良い「上司」というのは年齢によって様々に変わる。若い頃なら帰りに誘ってくれて話の分かる人、中年になれば仕事が分かってえこひいきをしない人、晩年になったら大局的に判断できる上司が理想の「上司」であった。

 今、老年期を迎え、物分かりの良い好々爺だけでは世の中では通らない。新たな事を始めるプロジェクトで、キャメル氏が云う「専門性(スペシャリスト)」を発揮するべきである。それでは私がそれほどの素養がるかといえば否である。但し、私には若い頃からの習性である好奇心と、探求心はいまだに多少残っていて、それに頭を下げる必要もない最良の「上司」はインターネットである。

 実は、前回会議の経緯から九月の会合を切りに、会のメンバーを辞退しようと思っていた。その理由は、三年たってもいまだに姿かたち見えないのは明らかにミスリードであり、これを打破できるのは、口幅ったい云い方だが、私だけである。だからと言って、私がこの仕事をしたいわけではない。手順に従えば誰にでも来ることであり、もし許されるなら、私の最もしたいことは生瀬宿の復興である。

 九月に入って、「応神ふれあいバス」の現場視察が行われ、その場で思いもよらないことを知らされたのである。住民主体のコミュニティバスには道路運送法第4条(通常四条バス)と79条摘要の二つだけである。

 4条バスは一般的に「バス・タクシー事業者」主体に企画運営され、79条バスは住民主体に企画されて運用され、申請できるのは市町村及びNPO(他公益法人・社会福祉法人・医療法人等8団体)だけである。兵庫県内で平成20年に稼働しているのは8地区すべて79条バスである。

 これが「応神バス」は4条バスという事である。何故4条バスを選んだかという問いに対して、手続きが簡単だったことであり、然らば、「運営協議会」と「事業者」との関係はいかような関係にあったか尋ねたら、相互に話し合いで決めたとごく一般的な回答であった。

 その翌日、私の考えの基準をなしている県庁県土企画局に「地域を代表する任意団体が、4条バスの認可を得ている事業者と、善意的な話し合いで事業主体となる事は可能か」と問い合わせたのである。

 すると答えはいとも簡単に「公式に名前が出ないのであれば問題ない」という事であった。ここでようやく私の認識不足に気が付いた。今までは、コミュニティバスだから、当然道路運送法の規定に準ずるものと思っていたが、これは民法の委任の規定に準ずるものでそこまでの思慮が足りなかったことになる。用意していった「実運行推進計画」と「収支予測」を出す事も無く、この日の会議終了をもって辞任した。(13.09.30仏法僧)