サイバー老人ホーム

342.上 司(1)

 毎度朝日新聞の記事に関連することで恐縮だが、五月三日の特集記事で「雇用のあり方」という記事が載っていた。内容はデトロイト・トーマツのキャメル・ヤマモトさんという方との対談記事であった。

 その中に「なるほどな」とうなずける内容が書かれていた。そもそもこのトーマツとは何者かという疑問が起きるが、現役の頃、仕事との関係があり何度かこの会社を訪れたこともあるが、簡単に言うと公認会計士の会社である。しかも、キャメル・ヤマモトさんとは日系二世でもなんでもなく、単にラクダに似ていると云われ、これを通称にしているというれっきとした東大出の日本人である。

 この方が言うに、「日本の社員の特徴の一つとして、「無限定」があり、職務を選べず、転勤を阻めず、長時間残業が当たり前」、という事らしい。これに対し、欧米流の働き方は、「ジョブありきで雇われる、即ち持っている専門性や能力によって雇われる。

 一方、日本型の社員が持っているのはその会社特有の能力という事で普遍的に評価することが難しい」という事らしい。もっとも、この事は今までにも何回か「異言同意」で聞いたような気がするが、何故今頃、暇老人がこんなことを持ち出したかというと、それには深いわけがある。

 平成十八年と云うから今から七年前に、私がこの町(西宮市青葉台)の自治会長を引き受けたことがあった。この時一人の自治会役員(組長)から、「コミュニティバスを検討してくれないか」と提案があった。ところがお恥ずかしいながら、この時までコミュニティバスについては全く知らなかったのである。そこで、市民グループの会合や、配布物をみて、高齢化の進む我が町の地理的条件から見れば、これこそが我が町にとって最も必要なことだと感じたのである。

 西宮市生瀬地区には、我が町とほぼ同時期に造られた新興住宅地が四つあり、JR福知山線生瀬駅を中心に、付近の丘陵地に武庫川を挟んで対座している。

 そこで、さっそく市役所に対する要望事項の一つとして提出するとともに、この地域の自治会連合協議会に提案した。しかし、当時は具体的な検討、提案は何一つ得られず、仕方なく我が町独自でも取り組むことにした。そこで、すでに実施している町村を自費訪問し、その進め方を聴取したり、市役所担当課(都市計画課)の協力を得て住民の意向調査のアンケートまで実行して、ボランティアによる四か月ほどの実験走行までに漕ぎ着けたのである。

 ところが、自治会長(役員を含む)には任期というものがあり、実験走行までには二年が経過し、その間に二代の自治会長が代わって、この活動は無残に粉砕されたのである。この事は、この雑言か、ブログに何回か掲載したので省略するが、私の心境としてはまさに憤怒、天を突くの思いであったのであった。

 その後、歳月が経過し、今から三年ほど前の自治会長に代わって、再びこの話が蒸し返され、しかも私の頃と違って、生瀬地区全体で取り組んでくれることになったと伝わってきたのである。いったんは、「こんりんざい」自治会などにはかかわり合うまいと思っていたが、この話を聞いて、何とか実現してほしいと強く念じていた。

 ここまでが云わば「背景」であり、その後時間は経つが、一向に進展した様子が無いと思っていたら、昨年秋になって、「プチ社会実験」というのが行われ、わずか一週間の実験であったが、主要四コースで実車運行が行われ、六百名もの利用者かあり大成功であった。

 これで、実運行にだいぶ近づいたと喜んでいたが、今年の六月に入り、現在加入している老人会の会長より、今まで参加していた者の代わりにこの会合に参加してくれないかと打診を受けた。始めは、自治会活動には「こんりんざい」かかわらない意地で断ろうと思ったが、渡された昨年度までの報告書(答申書)を見て、かなり妥当な方向を目指している事を知り、且つ、我が町単独ではなく、生瀬地区全体で取り組んでいるとのことで臆面もなく参加することにした。

 そして、ここからが本題に入るが、最初の参加は、六月二十七日の会合であった。その冒頭の配布物を見て唖然とした。内容は、運行コース、運行時間が主な内容であって、全体を見渡せるものは何もない。その後の会合でもどのような体制で進めるかという本質的な事には全く触れないで、いたずらに重箱の隅をほじくるような些細なことばかりに終始した。根拠も裏付けもない些細なことを積み上げても法律行為としてのバス事業などへは決して結びつくはずがない。

 ここで、昔からあった妙な義侠心がむらむらと湧きあがったのである。即ち、この打ち合わせは自治会の行事の打ち合わせではなく、新しい事業を起こすためのプロジェクトである。そもそも事業化とは、法に定めた手順を積み上げることで、事業は自治会行事と根本的に異なり、然るべき体制、即ち人格を有する法人でなくてはできない。法人には営利法人と、非営利法人があるが、採算性が見込めないコミュニティバスであるなら非営利法人として取り組みしか道はなく、即ちNPOであるとぶち上げたのである。

 なぜ、これほど断定的に言ったかというと、キャメル先生の発言の趣旨の通りであり、この種会合ではえてして参加メンバーの顔触れは老人である。老人は、優れた実績や、経歴を持ち合わせた人ばかりであるが、それが為に、互いに遠慮して自分の良識を持って判断する。その背景には、自分の経験が最良であり、新しい事には触れたがらず、知ろうともしない、いわば私を含めて、「新しい事には世間知らずの人達」という傾向がある。
従って、より早く、より良きものを開発するというプロジェクト本来の目的が崩れてしまうという現役時代からの反省がむらむらとよみがったからである。

その背景には、五年前に私が体験した手痛い挫折感は別にしても、今回この問題が取り上げられて、三年も経過し、いまだに、推進体制についての影も形も見えないという事は、会の運営方法に根本的な欠陥があると見たからである。

 更に、日々街で出会う高齢者は一日千秋の思いでコミュにティバスの開通を待っているのを知っているので、最終目標の時期を明らかにし、一人の人間(座長)の私案だけでは時間がかかって仕方がないので、分担して、随時話し合ったらどうかなどの提案をしたのである。しかし、残念ながら、理解されたのかさえ分からない中でその日の打ち合わせは終わった。

 そして次の会合に参加したが、いずれも同様な内容にしびれを切らし、「次回に私がNPOの定款の叩き台を提出するから説明させてくれ」と提案したのである。狙いは全体を見通せる状態を示したかったからである。座長は、始めは難色を示し、前例の「生活バス四日市」の見学会(後に徳島市に変更)を九月に予定しているからその時のバスの車中でしてくれという発言であった。これには聊かむっとしたが、最終的に八月会合の時に三十分時間をやるからという事になった。

 八月会合では、私の提案を入れたのかどうか知らないが、四つの役割分担を行い、私の場合は「規約、組織のあり方、規約作り」となっていた。確かに大切な仕事であるが、体制が決まらない限り規約も、組織もない。更に、この事業は、主な対象は高齢者であり、この事業の内容を理解してもらうには、「広報活動」は不可欠であり、「広報誌」の発行はこの活動の死命を決する重要事項と考え「広報活動」への参加を認めて欲しいと申し出たのである。

 結果は、指名はしないが必要な時は参加してもよいという事になった。勿論、こんな差し出がましい申し入れはするべきでないことは十分承知している。ただ、このまま放置した場合、普段でも本を読んだり、文章を書く事も無い老人にどんな「広報誌」となるか懸念があったからです。

 そして、最後に「研修」と称して、私の「NPO法人について」の説明の時間がとられた。冒頭、先の発言同様に、この種事業の取り組みは、自治会活動と異なり、どのような体制で取り組むかという事が重要で、それには、NPO以外にないと発言したのである。
 これに対して、メンバーの一人から「個人でも可能だ。実際に徳島市の「応神ふれあいバス」というのが数名の女性だけで運営している」と発言があったのである。これには驚いた。そのような組織が存在することすら全く知らず、私の説明はかなり不十分なものとなり、同時に座長から制限時間のため、再三にわたって打ち切りを促され全く不本意なものとして終わった。 (13.09.15仏法僧)