サイバー老人ホーム

278.女郎花

 昨年、「出合喫茶」が十八歳未満は出入り禁止になったと云う事を新聞で読んだ。あえてカマトトぶる必要もないが、この「出合喫茶」たるものがどのようなものか知らない。

 多分、喫茶は二の次で、主に性風俗を目的とした店だろうということ想像はつく。
 今は、これらの店が立ち並ぶ盛り場には、お呼びはおろか近づく事もなくなったが、かつて小生意気な若造の頃、たまには先輩の尻にくっついてこうした盛り場を恐る恐る歩いた事もあった。

 ところで、こうした性風俗を扱う店を「風俗店」または「フーゾク店」と呼ぶらしいが、この「風俗」とは一体どの様なものかと、早速Goo辞書で引いてみると、「現在において、単に「風俗」というと「性風俗」を意味することも増えてきており、「風俗嬢」という言葉さえ生まれている」と言う事である。

 私がまだ尻の青い若造だった頃、先輩に連れられて初めて、「チャイナタウン」と云うキャバレーに連れて行ってもらったことがある。あの体の横にスリットの入ったチャイナ服を着た女性が現れて、「ダンスをしましょう」と誘われた時には体も何も硬直して、ただ恍惚の思いだった記憶がある。

 ただ硬直した思いはあるが、性風俗と云うほどではなかったと思う。その後、多少は場数も重ねたが、いずれも社用族と言う事で、卑しい事ながら身銭を切ってキャバレーに行くことはなかった。

 近ごろこういう店があるのかどうか分からないが、それから何年もたって、独身時代の最後に何人かの友達と誘い合わせてストリップショウなる物を見に行った事がある。

 当時はこうしたショウには時々警察の手入れがあると聞かされ、出掛けるにあたってはわざわざゴム長等を履き、いかにも疲れた作業者風を装って?出かけたのである。もっとも装う必要もなく紛れもなく作業者だったが・・・・・。

 劇場に入っても、出来るだけ薄暗がりの人目に付きにくいところに座ったのである。ところが、ショウが始まると、それまでまばらに座っていた観客が一斉にエプロンステージのまん前に十重二十重と重なるように集まったのである。一瞬、なんだろうと思ったら、間もなく其のわけがわかった。

 踊り子の女性が、全裸になるというのが其のエプロンステージで、それを間近に見ようという飢えた男どもだったのである。

 「ドリフタ−ズ」という御笑いグループに「ちょっとだけよ」という出しのもがあり、大人も子供も笑いに興じているが、大人はいざ知らず子供はこれがストリップショウからとったものだと云うのは分かっているだろうか。

 更に内何番目かの踊り子が出てきて、司会者が何か云うと今度はいっせいに舞台中央の廻り舞台に集まったのである。そこで司会者が何か云い終わるや否や、一斉に手を上げて舞台に駆け上がったのである。

 やがて指名された男は喜色満面になんとズボンを脱ぎ始め、あっけにとられていると、瞬く間に下半身全裸となり、舞台の上に横たわっている踊り子がのしかかったのである。
 その一部始終の間、男には羞恥心の様子等微塵も見せず、ただ本能の赴くままになし終えたのである。その間、観客は下卑た掛け声や笑いを発しながらその様子を眺めて、そしてその中の一人も私だったのである。

 凡そ我が国には、「風俗店」成るものが、一体どの様なものがあるのだろうか。ひところ、「トルコ風呂」と云うのがあって、トルコ共和国から抗議があったとか、なかったとかで、「ソープランド」と名前を変更し、今ではここに勤める女性は、「ソープ嬢」と云うのかどうか知らないがここに通う男共は主に買春目的だったと聞いている。

 ところで、日本で売春が禁止されたのは、私が高校を卒業した昭和三十一年五月二十四日である。

 その目的は、「この法律は、売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗をみだすものであることにかんがみ、売春を助長する行為等を処罰するとともに、性行又は環境に照して売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更生の措置を講ずることによって、売春の防止を図ることを目的とする」と書かれている。

 然るに、「風俗店」と名を変え、「テレクラ」「キャバクラ」、前述の「出合喫茶」、更に最近は、こうした店舗を媒介したものではなく、電話やメールを利用した、「出会いサイト」「援助交際」、「ツーショットダイヤル」中には「逆援助交際」と云うのまで法の目をかいくぐって次々に出現しているらしい。

 日本人のセックス好きを裏付けるものとして、此の国の女性が性風俗化したのは何時ころの事かといえば、此の国の国土が出現した神代の時代からではなかろうか。

 日本最古の歴史書「古事記」によると、この国を造った天照大神がスサノウノミコトの乱暴狼藉を怒り天の岩戸にお隠れに成った。

 その時、その岩戸の前でアメノウズメミコトが桶を伏せて踏み鳴らして神憑りをして胸をさらけ出し、裳の紐を陰部までおし下げて踊ると、高天原が鳴り轟くように八百万(やおよろず)の神が一斉に笑ったというところから始まったのではないかと思っている。(10.01仏法僧)