サイバー老人ホーム−青葉台熟年物語

183.女系家族

 日本の家族制度というのは家長である父親を中心として、惣領が居て、これに次三男が続き、その他の女児が居るというのが基本的な形であった。この形は少なくとも戦前まで続いていた日本の典型的な家族形態である。

 ここで惣領とは家を継ぐものということで、一般的には長男を指す。したがって惣領は家のすべてを領有することになり、財産分与なども惣領の一存で決められていた。

 こういうと如何にも独断的に聞こえるが、家のすべてを領有すると言うことは好むと好まざるとに関わらず、と言うことで、必ずしも惣領がよかったわけではない。その背景には家を継いで親の面倒を見るという絶対的な条件が課せられていたのである。

 日本はもともと農業国であり、田畑を子供の数に応じて分与していたら、ますます零細化してしまうという日本の農業の宿命があったわけである。それならば、次三男はどうかといえば、家を離れて自活する道を探すのであるが、明治以降は人の移動は格別に制限されたわけではないからそれでも良かったが、それ以前は大変だった。

 江戸時代、分家する場合は収量が十石以上の家という制限があったそうで、それ以外の場合は小作人として生計を維持するか、さもなくば、作男といって、惣領の下について田畑の作業をすることになる。この場合は嫁をもらうことも出来ないことになる。

 私の子供の頃でも家によってはこのしきたりの中で生活している人を見かけたので、私のような次三男以下というのは家の外に生業(なりわい)を求めるということは、正に死活問題だったのである。

 一方、女性の場合はどうだったかといえば、結婚適齢期までは外に奉公と言う名の働きに出て、時期になると嫁に行くというのが一般的な形で、「嫁にくれてやる」などと、田島陽子先生ならずとも腹が立つ、いささか不埒な言い方をしていたのである。

 また、武家社会においても同様で、家督相続できる惣領はよいが、次三男にとっては男子のいない家への入り婿するというのは人生のすべてを決めてしまうくらいに重要なことで、そこはかとない哀歓と悲喜劇があったわけで、私の大好きな藤沢周平さんの描くところの世界があるわけである。

 いわば日本の家族制度というのは、男子を中心として成り立っていて、そこに流れる文化も同様に男社会を中心として受け継がれてきたということになる。したがって、一般的には何処の家庭でも、男児の誕生は歓迎されていて、この傾向はほんの二十年前まで続いていたようで、過半数以上の夫婦が男児の出生を歓迎していたということである。

 話は変わるが、歴代天皇で女帝だったというのは第三十三代の推古天皇に始まって、現在(125代)までに十代八人ということである。しかもそのうち、八代六人までが飛鳥・奈良時代までということである。

 勿論、この中には皇位継承に当たっての仕来りが変わったということにもよるが、背景には武家社会の興隆があったのではないかと勝手に思っている。

 この国が起きた昔、大いに乱れたこの国を収めた卑弥呼に始まり、卑弥呼の死後再び国大いに乱れたが、その後卑弥呼の一族台与(とよ)がたって、国中がようやく静まったといわれている。

 その後、平安中期まで、紫式部や清少納言に代表されるように、日本の文化は女性を中心にして発展してきたのではなかろうか。この頃まで、男女の婚姻の形は通い婚であり、これが現在のような家族制度が出来上がったのは鎌倉時代になって、家父長制の成立に伴い、妻が夫の家に嫁入りするようになったといわれている。

 その背景には各地に起こった守護地頭同士の争いにより、武士の勃興を見てからである。考えてみると、平安末期より、この国には常に騒乱の中にあったといっても過言ではない。ところが、昭和二十年以降、国内に戦争らしい戦争は経験したことも無く、経済戦争に明け暮れていたが、バブル期以降、なんとなく決着も付いて男の出番は無くなった。

 男というのは、本来力仕事には適しているが、文化的には不向きな生き物なのかもしれない。人間以外でも、雌はよく働き、子を育てて種の維持に勤めているが、雄はどちらかと言えば、外敵には対抗するが種の保存という面では交尾以外では余り役には立っていない。

 せいぜい極楽鳥のように着飾って雌をひきつけるだけのようなものであるが、人間の場合は着飾るといっても、これは雌である女性にはまったく歯が立たない。つまるところ、刺青を入れたり、取り分けボロ服を着て、逆効果を狙うのが関の山である。

 文明の発達というのは、誰でも受け入れられる普遍性が必要ということで、かつて男の独壇場であった力仕事も、文明の発達で女でも容易に取り組めるようになった。

 加えて、現役時代の体験によると、頭脳的な働きでも、女性のほうが圧倒的に優秀である。体力も頼むにたらず、頭脳も劣るとなると、男の出番は何処にあるかといえば生殖能力以外に何処にも無い。それならば、せめて外見だけでも、ヨン様までといわないがもう少し見栄えがすれば、良いのであるが、ファッションの世界でも、芸能の世界でも近頃の男どもを見るにつけ何とも情けない。

 男とすれば本来なら取り柄である体力の強さを誇りたいところで、僅かにスポーツの世界ではその名残を残しているが、この世界でも最近の女性の進出は凄まじい。結局、男の見せ場が無いので、勢い手近かなところで、ドメスティックバイオレンスと言うことになり、ますます男の存在価値がなくなっている。

 最近、国立社会保障・人口問題研究所というところが調査したところによれば、女児を望む夫婦が72.7パーセントと言うことで、かつての男系家族が様変わりしているらしい。かつて家督を惣領に譲って、安穏な老後をと考えていた日本の家族制度の中で、今では頼りなるのは女しかないということだろうか。

 この国の天皇制を維持するならば女帝の出現は避けられそうも無いが、世の余り者となった男どもは一体何処に行ったらよいのだろうか。間もなく、優駿の種牡馬のように、優秀な男の精子のみが高額で取引されるようになり、再び、通い婚が復活するのではなかろうかと余計な事を考えている。(05.01仏法僧)