サイバー老人ホーム‐青葉台j熟年物語

55.三角自転車

 我が家の近くを流れる武庫川の岸に時々自転車が放置されている。この前も橋の下に真新しいスポーツ車が放り込まれているのである。本人が捨てるわけはないから誰かけしからんやつがどこぞこから持ってきて放り込んだのであろう。盗られた所有者にしては大いに嘆き憤慨していると思い、多少ズボンの裾をたくし上げれば回収できないこともないので警察に電話したのである。
 一応は丁寧にあり場所、状況などを聞いてくれたので近いうちに何とかしてくれるのかと思ってじっと見守っていたが何日たっても動く気配がなくやがて雨が降って増水するといずこともなく流れていってしまった。

 最近は自転車などは拾得物や遺失物として扱わないのかもしれない。もっとも、どこの駅周辺に行っても放置自転車に頭を悩ましている状況であり、川の中に放り込まれた自転車になど関わっている暇などないということであろう。そう言えば仕事で時々訪問するあるスーパーの駐輪場にはまだ新しいバッテリー式の自転車が放置されて野積みになっており、所有者の嘆きはいかばかりかと思うのである。

 私が初めて自転車に乗ったのは戦後もだいぶたってからで小学校の高学年の頃である。それも兄が買った中古自転車であった。もっとも当時は未だ新品の自転車など作られていない時代で、中古でも手に入れば幸運であったのである。そんな自転車でも兄からはなかなか貸してもらえず、兄の目を盗んで乗ったり、清掃を条件に貸してもらう程度だったのである。

 そう言えば油布を使って、飽きもせずに隅から隅まで自転車を磨いたものであった。当時は子供自転車など勿論ない。大人自転車なので足が届かないばかりでなく、ようやくハンドルから頭が覗くほどであったのである。そこで、いわゆる「三角乗り」である。
 三角乗りとはペダルとハンドル、更にサドルを支えているフレームの三角形の部分に右足を入れて向こう側のペダルを漕ぎ、こちらのペダルを左足で漕ぐ乗り方である。イメージとしてはアメリカ西部のロデオで馬の横腹にしがみついているようなスタイルであり、決して楽な乗り方ではなかったのである。

 それでも初めて地上から足が離れたときの感激は天にも上るほどの喜びであったのである。もっともこの三角乗りは重心が一方に片寄っているため、まことに不安定である。したがってよく転んだのである。膝小僧をすりむくなんてのは日常茶飯事であり、坂道ではスピードが出すぎてブレーキだけでは間に合わず、足でばたばた地面を踏みしめながら停止させるのである。
 ところが右足が自転車のペダルを跨いだ姿勢になっているのでよくくるぶしをペダルに引っ掛けるのである。その痛さはまた格別で草むらに座り込み、暫く立ち上がれないほどの痛さだったのである。

 それに横転すると当然自転車にも傷がつくことになり、兄に分からないように磨いたり、たたいたりして修理をするのであるが、当然子供には手におえない破損のあり、兄にいやというほど叱られたものである。それでもやはり乗りたかったのである。中学になってようやく大人乗りができるようになったが、お尻を右へ左へとくねらせながら思いもよらない遠くまで乗り回したものである。

 私がはじめて自転車を持ったのは実社会に出て暫くたったころで、まだ独身寮生活をしている頃であるから昭和30年代ということになる。このときも未だ中古自転車で、会社の先輩から譲ってもらったのであるが、当時の月収のほぼ三分の一程度であったと記憶しているのでかなりの高価なものである。
 価格としては現在の安売り大衆車クラスと記憶しているので、思えばいまの工業製品も安くなったし、それだけ有り難味も減ってしまったのかもしれない。

 当時独身寮にいる仲間でもそれほど自転車を持っている人は多くなかったと記憶している。ところがこの「我が愛車」を買って暫くたって近くの映画館に映画を見に行き、入ってすぐに鍵をかけないことに気が付いて、急いで戻ってみるともう無くなっているのである。そのときの無念さは例えようもなく、眠れないほどの日が続いたのである。

 それから間もなく所轄の警察署から呼び出しがあったのである。行ってみると「自転車を盗られたか」と聞かれたのである。「はい」と答えると二つの鍵を机の上に並べて「どちらか?」と尋ねるのである。見るとその一つは忘れもしない私の自転車の鍵であったのである。このときほど日本の警察の優秀さを感じたことがなかったのである。
 ただあまりはっきりとした記憶はないが、盗難にあったとき映画館には届けたが、警察には届けなかったような気がしている。

 名前も何も書いていない自転車でなぜ私が分かったのかいまだに謎であるが、もしかしたら当時は自転車にも鑑札がついており、これが発見の決め手であったかもしれない。この時ばかりは警察に大いに感謝したのである。

 たかが自転車と思われるかもしれないが、私にとっては「三角自転車」以来の自転車に対するこだわりであり、そのことが底流にあって、今回の川中の放置自転車にこだわったのかもしれない。

 もっとも最近は自転車のみならず、自動車でも勝手に捨ててしまう世の中である。聞くところによると日本で放置された自転車が開発途上国に輸出されて第二の「人生」を送っているという。多分青い空の下で日焼けした元気な少年が一心に自転車を磨き、三角乗りを楽しんでいるのかもしれない。
 それにしても最近の自転車は変わった。お巡りさんも変わった。それにもまして日本人の心が変わってしまったと思うのである。(01.03仏法僧)