サイバー老人ホーム−青葉台熟年物語

185.爺捨て山

  私の故里信州に姥捨て伝説がある。私の子供の頃から聞かされていた伝説で、後に深沢七郎さんが小説「楢山節孝」で著した物語である。舞台は篠ノ井線の聖高原あたりと聞いていたが定かではない。

 物語は、年老いた母親を「お山参り」という風習で、山中に捨ててくるということだが、いわゆる昔の口稼ぎで、役に立たなくなった老婆は捨てるということである。「楢山節孝」では、年老いた母親が、この風習を寧ろ望んでいたかのように自ら進んで、「お山参り」をするという悲しい物語である。

 この場合、捨てられるのはあくまで老婆であって、爺(じじい)ではない。役に立つかたたないかという尺度であれば爺でも同じであって、取分け婆様だけが捨てられる理由はない。多分、爺のほうは捨てられる前に死んでしまったか、それとも封建制度の中で、元家長としての権威により生き長らえたのかもしれない。

 ところで、最近、高齢者の離婚が急増していて、取分け60歳以上の夫婦の場合、一説によると毎年30パーセント以上の伸び率で増加しているらしい。しかもと高齢者離婚を望むのが、圧倒的に女性側であるというから穏やかな話ではない。

 何故そうなったかとつらつら考えてみると、言うまでも無く用済みになったということである。花の若かりし頃は相思相愛の仲で、人もうらやむおしどり夫婦であったものが、ようやく安寧の年齢を迎えたというのに、役立たずということで、「はい、さようなら」と言うのはいささか連れないのではないかと思うのでである。

 とは言え、爺側にも責任が無いわけではない。現役時代であれば、多少の性格の不一致や、見た目の衰えなどあったとしても、痘痕(あばた)も笑窪であり、背景には経済的基盤という耐えられる限界のボーダーラインに引っかかっていたのかもしれない。

 ところが現役を終わると、途端に不満が噴出し、やる事なすこと、目にとまるのは全て癪の種になる。まず、一番に親父の不潔さが絶えられない。トイレに入っても小便を垂れ流す、処かまわず放屁をする。
 黙っていれば何日でも下着を替えようとしない。おまけに、朝から膝の抜けたジャージを着て一日中うろうろしている。

 何もしないから、食べる方もそれなりに慎ましやかになっていればよいのだが、ジャージだと腰回りが緩まり緊張感も無くなるから、食欲の方は一行に衰える事が無い。
 食事に後は後片付けどころか、食べ終わった途端に横になり、トドのような太鼓腹を波打たせ、大鼾で寝入ってしまう。

 このまま静かに眠ってしまえばまだ救い様もあるのだが、丁度子供の帰る頃にはむっくり起き出し、やれ遅いの、何所へ行って来ただのと、このときばかりは親父の権威を振り回す。もともと子育てにはまったくといって良いほど参加していないのだから、親父の権威などあるはずが無い。あるはずが無い権威を振り回されてもはた迷惑というものである。

 それでも朝まで静かに寝て呉れればまだ堪えられるボーダーラインには入っているのかもしれないが、大酒のみの大食いの親父に限って、恐ろしく寝つきがよい。床に入った途端、テンカウントを数える間もなく、大鼾に、歯軋り、おまけに布団が持ち上がるほどの放屁ときている。これが一晩中続くのだからそばに寝ているものにとったらたまらない。

 しかもようやく静まり、やっと眠りについたと思う頃、はたの迷惑など歯牙にもかけず、やにわに起き出し、訳のわからない健康法などといって動き回る。これと死ぬまで付き合うのかと思うと誰でも考えてしまうのでは当たり前である。

 おまけに、かつては緑の黒髪をなびかせていたものが、ある日、気がついたら脳天のてっぺんに空き地が広がり、日に日に額の境界が後退してゆく。
 頭髪が薄くなるだけならまだ堪え様もあるが、何故か頭髪とその他の毛は反比例するようである。伸びなくとも良い鼻毛がむやみに伸びだし、これが鼻腔からはみ出したところ誠に情けない。

 こうなると不思議なもので、伸びなくとも良い眉毛まで伸びだし、かつて社会党の凋落の発端となった、何とかという元首相の眉毛みたいになって、唯一取り柄だった外観も見る影が無くなる。

 ただ、こう言うと世の男どもすべからく、情けないことになるが、しかし、婆さん達よ待たれよ!
 男というものはもともとそう言うものなのである。

 そもそもトイレの垂れ流し、今、大よその家庭のトイレは洋式トイレであり、男子用を併設している家庭はそれ程多くはあるまい。あの洋式トイレというのは女性の用途を主眼に置いていて、男性には頗る使いにくい。まして、勢いのあった若かりし頃ならいざ知らず、道具も水圧も勢いの無くなったこの歳になると、便器の穴に狙いをつけるのも難しく、しかも終わった後の水切れも頗る悪くなる。

 それに、女性の清潔感というのは、少々過敏に過ぎるのではなかろうかと思っている。現在、高齢時代を迎えているものは男でも女でも、日に何度と衣服を変えるなどというものではなかった。終戦間際や、直後でも、着替えるどころか着る物を確保する事が大変だった。

 それに、無精をして死んだなんて話も聞いた事が無い。私が独身寮時代でも、まだ洗濯板の時代であったが、それ程頻繁に洗濯などしなかった。着替えがなくなると、以前着たものを引っ張り出して、再び袖を通すなどということはざらであり、言い訳がましいが、これが今でも寧ろ世界標準ではないかと思っている。

 また、処憚らない放屁も、いいではないか、永い間、緊張に明け暮れ、やっと巡って来た定年で、ジャージと言い、パンツのベルトも緩むというもの、緩めば何でも出やすくなるのは当然の理である。
 せめて屁ぐらいは大らかに、高らかにひらせてやっても、寧ろ、むやみに堪えて、悪臭を振り撒くより健康的と思うのだが・・・。

 大喰らいと、大酒飲みはいまや男の独壇場ではあるまい。確かに、正規の食事時は親父の方が多いのかもしれないが、オバサン以降の女どもの間食の凄まじさは、時と場所を選ばずの感があり、正に人間業ではない。そうでなければ、二重顎に、三段ばら、仁王門の柱のような両足、これが人間のものかと疑うような巨大な尻が出来るはずが無い。

 また、禿げ頭と言い、睫毛の垂れ下がりと言い、何れも人徳の至らしめるところである。
 とは言え、我々爺々の劣勢は覆うべくも無く、昔は三行半といって、離縁は夫の側から突きつけられるものと聞いたが、いまや妻側に突きつけられる世の中になってしまった。

 かつては、あばたも笑窪といわれたものだが、そろそろお迎え黒子が目立つ頃になると、「笑窪もあばた」となって、哀れ爺は爺捨て山に行くのみという事か・・・。(仏法僧05.03)