サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

82.時代遅れ

 昨年亡くなった河島英五さんの唄で「時代遅れ」というのがある。私の数少ない愛唱歌で、最近覚えたインターネットカラオケで曲をゲットし、病後のリハビリを兼ねて時々回りの迷惑も考えずに歌っているのである。
 作詞はご存知、阿久悠さん、たぶん同世代の方で、阿久悠さんの詩には素直に共感を覚えるのである。この「時代遅れ」という詩であるが、本来の時代遅れの意味からすればむしろ蔑称に入るものである。しかしこの作品では寧ろ願望となっていて、いささか時代遅れの唄であるが、何とかの一つ覚えで歌っている。

 それならば何所に男の願望があるのか考えてみた。
 冒頭、「一日二杯の酒を飲み」と来る。一日二杯と言うのは多いようであり、少ないようでもある。アフターファイブで、「ちょびっと行こうか」などと言う時はこれに少々の色がついた量になったようだが、家で飲む場合はこれを過ぎれば「少し多いんじゃない」などとすかさずクレームがつく。これが毎日と言うことになればなおさらだが、二杯と言うのがどれほどの量か明確に言わないことろが詩人の感覚で、やや控えめと解釈している。

 「肴は特に拘らず」というのもいい。どちらかと言えばカタカナ文字の肴は敬遠して、昔から食べたことのあるものが一番で、味と値段がはっきりしているものが良いのである。出来れば「するめかえいのひれ」と言うことになるが、これに「煮物」が一皿ついて、二杯の酒と同時に終わる量があればちょうど良い。尤も未だに刺身を至上の馳走と考えているところなど田舎者か、時代遅れと言われても仕方のないところかもしれない。

 「マイクが来たなら微笑んで十八番を一つ歌うだけ」である。決して率先してマイクを握るようなことはしない。だからと言って嫌いではない。なんとなくテレ笑いをしながら十八番を一つ歌うのである。これだけでやめておけばよいものを回りのおだてに乗ってもう一曲ぐらい歌うのがはた迷惑と言うことになる。尤も最近はカラオケを歌える店に足を運ぶこともなくなった。

 世の理不尽に、いい歳をした男でも時には男泣きすることもある。こんな時でも、「妻には涙を見せないで、子供に愚痴を聞かせずに」ただひたすらに働いていればよいのであるが、積もり積もった鬱積を怒りに変えて吐き出したくなる。つまり八つ当たりというわけで、それを受け止める妻も子供も分の悪い話であったろうと想像する。

 「男の嘆きはほろ酔いで、酒場の隅に置いて行く」のが一番で、アフターファイブともなれば途端に元気が出る。ところが、なかなか置いていけない所に男の辛さがある。
 「目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず」にすんなりと生きていきたいのであるが、歳とともに、正面から問題と向き合うことになり、避けてばかりいては立場がない。時には自ら進んで火の粉をかぶることがあるが、それも男気と粋がるわけではないが、無理を重ねても、傍にはそれほど喜ばれるものでもないのかも知れない。

 出来れば、「人の心を見つめ続け」て誰からも慕われるよな生き方をしたいと思っているのだが、それほどおおらかでもないのが情けない。それでも己の利害よりは大義のために生きた自覚見たいなもので独り満足しているのである。ただリストラの吹き荒れる作今と違って、人の心を見つめ続け、己のロマンを追い求めることができたよき時代に生まれ育ったのが幸いしたのかもしれない。

 「不器用だけれどしらけずに」は生きてきたような気もするのである。ただむやみに一生懸命なのもはた迷惑なことだったかもしれない。何が不器用かと言えば勿論生き方であり、あまり自慢したことではない。
 「純粋だけど野暮じゃなく」と言うことはスマートと言うことか。現役時代に上の人から「君はもっと清濁併せ呑むようにならなければ」と言われたが、これが純粋になるかどうか分からないが、スマートさにはいささか自信がない。

 「上手なお酒を飲みながら、一年一度酔っ払う」。確かに晩年になっては酔っ払うほどに飲んだことは一年に一度ぐらいのものだが、生意気盛りの頃は数え切れないほどあり、失敗もその回数だけあったような気もする。ただ上手なお酒とはただ酒のことではなく、金もないくせに勘定には比較的きれいな方ではなかったかと思うのである。

 確かに「昔の友には優しくて、変わらぬ友と信じ込」んでいるところはある。先日も高校時代の同級会があって、信州別所温泉に行って来た。この同級会二年おきにやっており、今回で5回目だが、その何れも私が幹事をしている。私がクラスで取り分け出来がよかったわけでもなく、統率力があったわけではないが、変わらぬ友と信じているだけのことである。
 今回も大いに盛り上がったのであるが、それにしても今回は出席者が少なく、こちらが感じているほど回りはそれほど考えていないのかもしれない。

 「仕事もいろいろあるくせに、自分のことは後にする」と言うお節介も時には煩がられたのかもしれない。
 「ねたまぬように、あせらぬように、飾った世界に流され」るようなこともなかったが、全くねたみもあせりもなかったわけではない。尤も、お金には縁もなくそれほどの執着もない。したがって、バブルの恩恵もなければ被害をこうむることもなかったから、飾った世界に流されることだけはなかった。収入は汗して働いて得るものなどという考え方がそもそも時代遅れということかもしれない。

 今回の同級会もリハビリを兼ねて、今の体での可能性を取り戻すためのものであるが、高校の頃は男子だけのクラスで、「好きな誰かを思いつづける」ような事はなかったが、一握りの女生徒のいるクラスが無性に羨ましかった。
 尤も、この部分についてはこの雑言「26.初恋」の通りで、今時カビの生えた話かもしれないが、幼心にやり残して事を、思い出として今も引き摺っているのである。

 こうしてみると、多少、この歌を地で行った部分もあるが、「青春時代は夢なんて、後からほのぼの思うもの」で、「時代遅れ」の生き方が願望に思えるのは、現役の真っ只中でもがき苦しんでいた時に思うものかも知れない。現実に「時代遅れ」の人間になった今を誇っていいものか分からないが、時代遅れの生き方には微かながら快感を覚えるのである。(02.04仏法僧)