サイバー老人ホーム

338.一代雑種

 私は昔から初めて聞いた話や、教わったことはすべて真実だと思い込むところがある。長い年月を経て、それが真実ではなかったことに気付いたことなどいくつかあるが、それでもこの考えが変わることはない。

 その中の一つに人間に限らず、生物の一代雑種の最初の子孫は優れているという事である。この話を聞いたのは、中学生か、高校生の頃であったと思うがはっきりとした記憶はない。

 なんでもその時の記憶では、アメリカ大陸がコロンブスによって発見されたのが今からおよそ五百年ほど前になるが、その後の二百年を経て人類はおろか生物を含めてこれほど急速に進歩したのは他には見当たらないという事である。

 これは、あらゆる国から大勢の人が移民として渡り、そして、新大陸で大勢の一代雑種が生まれ、やがて、これらの雑種が子孫を残し、やがてこれ等の子孫が成長してアメリカの発展に大きく貢献したからだと聞かされた。

 確かに、血液が濃厚になりすぎると、人間に限らず、生物というものは弱体化するといわれ、その典型的なのが江戸時代の武士、とりわけ身分の高い人に限って体が弱く、世継ぎを確保することすら困難になるような風潮が広がっていった。

 これは近親結婚や、縁戚に近い者同士の結婚や、養子縁組がなされたために血液が濃くなりすぎたためとと言われている。この傾向は何も武士だけではなく、一般市民でも多かれ少なかれ同じではなかったろうか。その最大の理由は、人々の交流があらゆる面で制約されていたためである。

 この傾向は何も日本だけではなく、世界のあらゆる国が同じであって、たとえば世界三大文明のに発祥地エジプトであっても、かつての想像を絶する荘厳な文明が永遠に続いてきたわけではない。

 ところで、他国のことはさて置き、最近の日本ではどうかと言えばこの血の交配はかなり活発に進んでいるのではないかと思っている。その根拠は、戦後の悪弊の様に言われている少子化と、家族制度の崩壊である。我々の世代までは、まだ多少は古い家族制度は残っていたが、住宅事情が好転することによって家族制度は殆んどなくなったといっても過言ではなくなった。

 それに伴い、市民の結婚観というのが一変した。かつては結婚といえば見合い結婚と相場は決まっていて、しかも、相手の選択に当たっては、本人よりも親の承諾を得ることが最も重視されていた。

 その結果、縁続きとは言わないまでも、同じ地域や、知己同士というケースが婚姻の代表的なパターンであった。

 ところが、最近は、こうした繋がりすら忘れ去られ、互いの好き嫌いだけで、いともたやすく結びついているようである。だからと言って、これが悪いと言っているわけではないが結婚とは、互いの人生を充実させる重要な要素であるが、その結果、子孫を残すという事も本質的な要素ではなかろうか。

 まあ、この面は、当人同士の考え方によるもので、一方的に押し付けては角が立つことになるから、あまり深くは言わない方が身のためである。

 問題は、主題の「一代雑種」との関係であるが、昨今、血液の濃淡をとやかく言う人もあるまいが、血縁というのは生まれてくる子供に何らかの影響があると考えるなら仇やおろかにできることではない。

 最近の若者たちを見るにつけ、知能的に進歩しているとは云い難いようだが、これは遺伝とか、血液の濃淡とかは別にして、家庭を含めた育てる側の環境に左右されているような気がしないでもない。

 ただ、ここで明確に指摘できるのは日本人の、特に女性の風貌が明らかに変化したという事である。江戸時代の女性といえば、浮世絵に代表される瓜ざね型の顔や、柳腰と言われる容姿が美人の典型とされていたが、これはそうした顔の女性を漁って描いていた絵師たちの創造であって、今に残る写真などで見る日本女性の中に、およそこれに類する女性におめにかかったことはほどんとない。

 美人の代表と言われる女優などでは、失礼ながら今は亡き山田五十鈴さんがこの範ちゅうに入る唯一の人ではないかと思っている。

 そもそも、日本人の顔は総体的に、鼻が低く、目が細く、色黒で、歯並びが出っ歯のいわゆる醜(しこ)女(め)とまでは云わないまでも、失礼ながらブスではなかったろうかと思っている。このブスというのは、平べったく言えば無粋のことで粋ではないという事である。
その背景には、女性があまり表に出ることを快しとしなかったことにもよるが、これに対する言葉で、「あか抜けている」という言葉がある。この「あか」とは、垢のことで、体についた汚れのことである。今時こんなことを言ったらただちに叩き出されそうである。
 ところが、最近の若い女性を見るにつけ、かつての瓜ざね顔はほとんど御目にかからないが、右を見ても、左を見ても丸ぽちゃ顔の色白美人ばかりである。

 なぜこうなったかといえば、内外を問わず、一代目の混血がすすみ、もって生まれた低鼻、色黒、出っ歯の伝統が根本から変わったのではないかと勝手思っている。

 然らば男はどうかというと、最近、まじかに男の若者にお目にかかる事も無くなったが、若者の顔をまともにじっくり見れるのはテレビ程度であり、したがって御目にかかるのも芸能人か、お笑い芸人である。

 ここでひとまずお笑い芸人の方は脇に置いといて、芸人であるが、これが日本の未来を託す顔かといえばいささか心もとない。見るからに軟弱で、何とも頼りないのである。

 かつて、映画や、芝居などに出てくる役者は、日本人斯く有るべしのような風格があった。最近こうした芸能番組を見ていると、見ている観衆は圧倒的に女性である。このオンナメラ(女め等)が、ワー、ワー、キャー、キャー騒ぐのが、イケメンとか云うこの頼りなさそうオトコメラである。

 なぜこうなったかといえば、男がスポーツ選手以外は体力を表すことが不要になったからである。昔から、男の褒め言葉は「男らしい」である。

 ところが最近、女性たちの男を見る目について、「かっこいい」「かわいい」「おもしろい」である。この「かっこいい」は多少は理解できるが、「かわいい」とか「おもしろい」は成人男子をほめる言葉ではなく、子供かペットに対する感じ方である。

 これはだれが言い出したか知らないが、「草食派」とか、「草食系」などと言われる言葉があるが、最近の男性を見るにつけ、よくぞ言ったと快哉を叫びたい思いである。

 ただ、何かと難しい世の中で、小うるさい御託を並べるより、面白おかしければ良いという最近の社会の風潮により押し出されたのがお笑い芸人であろう。実物を見ても決して美男でもなんでもないし、格好がいいわけでもないが、気転の効き方が唯一男の逃げ場がある様である。

 ところで、先月、NHKBsプレミアムの昼の番組を見ていたら、例により、スタジオには美女が大勢たむろしていて、やがて化粧の仕方について話し始めた。その中の何人かが、スッピンから化粧の施術をこらし始め、やがて、出来上がった顔を見たらびっくり仰天、スッピンとは月とスッポンほどの違いがあった。

 という事は、この女性のスッピンとは、醜女とまでは云わないまでも、おブスさんであることは間違いがなかったのである。という事で、我が「一代雑種」説も、はなはだ眉唾物なのかもしれないと最近になって年甲斐もなく紛れもないブ男が悩んでいる次第である。(13.05.15仏法僧)