サイバー老人ホーム

252.いい湯だな!3

 先ず、我が家から最も近い日本最古といわれる有馬温泉であるが、631年に舒明天皇が3ヶ月滞在した事が日本書紀に書かれていると言う事で、これは別格である。

 この有馬温泉には、我が家のすぐ目の前にある武庫川の支流大多田川をさかのぼって行ったと言う事で、その基点は我が町生瀬宿であり、大多田川の難所蓬莱峡を越えて幾多の皇族や貴族・文化人が訪れた事であろう。 秀吉も無類の温泉好きで、いまでも「太閤の湯」と言う遺跡ガのこている。

 一方、関東では、箱根七湯等と言われる箱根湯本一帯の温泉郷である。ただ、箱根温泉が知られるようになったのは、秀吉の小田原征伐がきっかけといわれ、広大な小田原城を攻めるため全国の武士を集め長期滞陣したが、その無聊を慰めるため温泉に入ったといわれている。

 ところで、家康の家臣に仙石権兵衛秀久と言う武将がいる。この武将、もともとは秀吉の家臣だったが、秀吉の九州征伐で軍師を勤めたが、功を焦って大敗し、命からがら四国に逃げ帰った。これを聞いた秀吉は激怒して、「三国一の臆病者」とそしり、高野山に追放してしまった。

 その後、仙石秀久は、秀吉の小田原攻めで、家康のとりなしで陣借りとして出陣した。この陣狩りとは、戦の再に願い出て、戦功があった場合に、家臣に加えてもらうと言う事である。

 この時、仙石秀久は抜群の功績を上げたと言う事で、戦後、我が故郷信州小諸五万石領主に取り立てられ、しかも箱根仙石原と言うのは、仙石秀久の功績にちなんで名づけられたといわれている。

 ただ、小田原攻めは戦らしい戦もなく、秀吉側の圧倒的な兵力と、難攻不落といわれた小田原城の前に忽然と現れた石垣山城に度肝を抜かれ、北条方は軍門に下ったのである。

 それでは、さして戦らしい戦もなかった小田原攻めで、陣借りした武将が一国一城の領主の取り立てられ、しかも箱根に仙石原と言う地名まで残した功績とは何であったかと言うと、箱根に温泉を掘り当てたのが温泉好きな秀吉に認められたのだと、勝手に思っている。

 徳川三代将軍家光、五代将軍綱吉の時代には、将軍への献上湯も度々行われたとされているが、将軍じきじきの、箱根の湯に浸りながら、「いい湯だな!」感嘆していたわけではない。

 「守貞満稿」に、「江戸の薬湯は伊豆および箱根の諸温泉の湯を用ちゆ。温泉を四斗樽に納れ、舟にてこれを漕すなり。これを小槽にいれて沸湯す。けだし専ら二小槽を作り、一槽は熱く一槽は

 少し温く沸かすなり。右の湯、かれは湯河原、これは伊豆の熱海など、その性に応じてこれに浴す。 湯銭、多くは二十銭(文)なり。箱根芦の湯等は費え多きが故に湯銭三十二文なり」

 つまり、江戸の人々は、今で言う温泉めぐりなどとしゃれ込むわけではなく、温泉の湯を樽に詰め江戸まで船で運び、それを沸かして入っていたと言う事である。

 その最大の理由は、今の時代のように、地価何百メールをボーリングして温泉を掘り当てるなどと言う事は出来なかったからである。

 然らば、我が故郷の一大温泉郷の諏訪温泉はどうであったかと言うと、これも可なり新しい。

 諏訪温泉の起源は、諏訪温泉公式ホームページによると、「天保九年(1838)に野町の太右衛門が熱湯湧出を知らせたので、二十七代領主平定経公が、医師今村雲生に調査させ、「諏訪の湯」と名づけたとあり、先に正徳年間に湯小屋を営んでいた湯川屋の三左衛門も廃業消滅していたらしく、太右衛門の発見を定経公は新発見のごとく喜んだようである」と石碑に記されているそうである。ただ、平定経公と言うのはいかなる人物か分からない。

 それでは、八ヶ岳山脈を挟んで、諏訪温泉の反対側(北側)にある我が故郷はどうであったかと言うと、神様はまことに不公平である。

 同じ火山の麓にありながら、我が故郷には一箇所も温泉らしきものはなかった思っていた所、享和年間、我が故郷に代吉と言う村役の一人が書き残した「代吉日記帳」というのがある。

 この中に、「蓑笠之助様御支配の節、享和元酉年(1800)春、海尻嶽本沢、泉湯開かる。高野町權右衛門、上野小右衛門、前山源蔵、桜井与左衛門四人にて」と書かれている。

 このいかにも人を食ったような名前の蓑笠之助というは、この時より五年前の寛政七年から文化元年までわがふるさと天領の代官を勤めた人である。

 この蓑笠之助殿御支配の時に、海尻嶽本沢で温泉が発見されたと言う事である。発見者は四人で、何れも我が故郷の近村者である。

 この海尻嶽本沢とは、八ヶ岳登山道の中で、我が故郷から稲子集落を通って夏沢峠に至る途中にある本沢温泉小屋(南牧村海尻)である。

 中学生の頃、全校合同登山と言うのをやっていて、山小屋から歩いてこの温泉を見に行った事がある。その時は硫黄岳直下のガレ場の中に土を掘っただけの野天風呂があった。
 この温泉が、今から二百年以上前に発見されたとは、今の本沢温泉経営者といえども知らないのではなかろうか。

 凡そ風呂や、温泉などの記録は余り見かけないが、遙か昔に、この知らせを聞いた我が祖先たちは小躍りして喜んだに違いない。

 最近になって、竹下総理の「故郷再生温泉」であったかどうか定かでないが、我が故郷でも温泉を掘り当て「ヤッホー(八峰)の湯」と言うのが出現して永年の夢が漸く叶った。.
 
 昨年訪れた際、正面に八ヶ岳の秀峰を眺めながら、心行くまで「いい湯だな!」と堪能した次第である。(08.11仏法僧)