サイバー老人ホーム

318.百薬の下

 日本人の平均寿命は、男は79.64歳、女は86.39歳だそうである。今年になっておとこは0.05歳上回り、女は逆に0.05歳下回ったと云うことであるが、単純に言えば、女の方が男より6.75歳長生きすると云うことである。凡そ7歳の差は、れっきとした格差である。

 何れにせよ、日本は世界有数の長寿国に間違いないと言うことだが、女の方が男より何故7年近く長生きできるのか考えてみた。生物学的に見て・・・、と云って見たが、別に生物学に堪能なわけではない。要は、生物の中で、オスとメスで生命力に明らかに格差がある生物はなんだろうかと考えたわけである。

 生物が生きながらえるのは、オスとメスが交尾をすることで生きながらえると云う事は、子供の頃からも聞かされてきた。ただ、トドのように一夫多妻制で、巨大なハーレムを拵えているのは別にして、オスメスの原則を覆す様なアンバランスがあって、果たしてその生物はこの地球上に生き残れるのだろうか。たしか、カマキリと云うのは、メスがオスを食べてしまうと聞いていたが、それならばオスメスのバランスが崩れてしまうのではないかと思って調べてみた。

 そもそも、カマキリと云うのは肉食性であり、主に他の昆虫を捕食して生きている。尤もである。ところが、獲物の少ない環境では、共食いする事があるらしい。ただその場合も、体の小さいオスを図体のでかいメスが、食べてしまうと云うことで、共食いをし易いかどうかは、その種によって大きく異なるらしい。

 しかも、メスに頭部から食べられた刺激から精子嚢をメスに送り込むと云うからオスも健気である。従って、殆どの種が、頭部や上半身を失っても生殖能力には関係ないと云うことだから、羨ましいのか、悲しいのか。

 一方、最近の人間の男女も同じような傾向にあり、ややもすると、ある年齢を超えると断然、「母は強い」の傾向に変り、その結果、これ等のメス共を総括し、「カマキリ婦人」などと揶揄されている。

 然らば、その年齢と云うのは何時ごろかと云うと、当然、オスとしての用済みの段階で、丁度、親父としての最低限の義務を果たし、これから、余生を楽しもうかという年齢である。尤も、これは世界的傾向かどうかわからないが、取り分け日本人のオス共にこの傾向が強いのではあるまいか。

 然らば、なぜこうなったかと云うと、それは日本人の飲酒習慣である。と思っている。そもそも、日本には昔から、「酒は百薬の長」という言葉があり、酒が、人間に害があるなどと云ったら、またたく間に抹消される様な世の中が、遠く奈良時代から続いている。
 しかし、酒がもとでの失敗は、多少とも酒を好む者にとっては、多かれ少なかれ誰でも経験のあるところである。

 何故にこれほど愚かな事を奈良時代から続けてきたかと云うと、その大元は「酒は百薬の長」から来ている。この言葉は、後漢と云うから日本では弥生時代の頃に書かれた「漢書」の中の「食貨志」と云う本に書かれた、「それ、塩食肴の将、酒百薬の長」に由来していると云うことである。以来、為政者や、権力者が金科玉条のように、この言葉に随ってきたのである。

 ただ、これにすべての人が従ってきたかと云うと、そうでもないらしい。彼の兼好法師と云うから今から七百年以上前になるが、この人が、御存知徒然草の中で、「百薬の長とは雖ど、よろずの病は、酒よりこそ起れり」と云っていて、けだし、名言である。

 ただ、残念ながら、これが守られなかった。それは、上に立つ者がだれ一人として、「酒は百薬の長」である事を信じて疑わず、また、自ら享楽の道を放棄しようとしなかっただけである。

 それでは、一般市民はどうだったかと云うと、享楽にふける前に、経済的に手が出なかった。勿論、一部の富商や、権力者には、その分に応じて普及し、やがて庶民にも広がって行った。

 江戸時代中期より、商業が発展したと云われているが、その主な理由は、様々な財貨の流通が行われるようになり、最も流通が発展したのは、米に次いで酒である。大阪堂島に各大名の米蔵が並んでいたと云われていたが、ここに集まってくる米は主に酒米に使われたのである。

 通常、百姓は自給自足であり、米などは一年になんぼも食べなかった。その他の庶民は、米屋から米を買っていたが、その量は百文買いと言い、微々たるものである。その大方は、堂島などの米蔵に集まった米は、最大の消費者である造り酒屋に回されていたのである。そして、上方で作られた酒が全国に広がり、普及して行った。

 ただ、普及したとはいえ、一般庶民にとっては、酒を買うための経済的余裕などなかった。勿論、江戸、京、大阪などの大都市では商業の発展から、酒の需要は飛躍的に増大して行っただろう。然し、並いる市井の庶民は決して、湯水の様には口に出来なかった。

 この傾向は、昭和二十年代でもほぼ同じであって、私が実社会に出た昭和三十年代の初期においても、私など新入社員ばかりでなく、先輩連中でも、月に二三回も飲む日があれば、可なり遊び人の部類に入り、月末にはゲルピンに追い込まれたのである。ついでながら、ゲルピンとは、当時の若者の間に使われた、「ゲル」お金、「ピン」欠乏、の意味で、文なしの事である。

 ところが、昭和三十年代の後半になると、日本経済の高度成長期に入り、サラリーマンの所得もウナギ登りに上昇した。これに刺激された様に巷には、一斉に飲食店や、バーなどの花が咲き乱れるようになり、やがて、日本の文化と云うのは、酒量によって推し量られるようになってしまった。

 そして、ここから、男の寿命格差が広がり始めたのである。やがて、世界のアルコール系飲料が全て手に入るようになり、酒に関わる人が飛躍的の増大し、一億総ノン兵衛への道を歩き始めたのである。

 もう一つ、この傾向に拍車をかけたのは、日本には、酒飲みには極めて寛大であり、「酒の上での失敗」だから大目に見られてきたのである。

 私の子供の頃でも、親の手を離れれば、酒を飲む事は何をおぼえるより早く覚えた。その後、歳を重ねるごとに、酒の味わい方も変化し、やがって、悪しき生活習慣と化して行った。確かに、酒は毒かと云えば、一概には毒ではなさそうである。然し、酒は有害かと言えば間違いなく有害である。

 酒の上での失敗は枚挙にいとまがないが、酒を飲んで成功したと云う話は聞いた事がない。各年代ごとに、「酒による失敗」を繰り返してきて、早い所で、酔っぱらった上での喧嘩など、その程度の差はあってもごく当たり前である。

 更に、交通事故などの法律違反は実際に検索されないとしても、侵した事もないと云う人はまずおらないのではなかろうか。

 そして、その結末が、女より7年も早く死ぬと云うことである。なあに、好き放題な事をして死ぬのも未練もないなどとうそぶくのは勝手だが、そこに至る迄、家族は勿論、財政不足に悩む国の社会福祉予算を浪費するに及んでは、まさに国賊的所業である。

 この傾向は、最近になって、女どもにも及び、女の酔っぱらいや、飲み客などはごく当たり前の風景となった。勿論、女が酒を飲んではならないと云う法律があるわけではないが、もともと、女は、酒と云う飲み物に強くはなかった。従って、時により酔っぱらったりした場合、いかさま醜態を晒す事が多く、必然的に、自他ともに控えるようになっていた。

 ところが、「カマキリ婦人」ではないが、最近は、ウワバミみたいな女が増えたのか。その因果が出生率に繋がり、加えて女の寿命が、0.05歳下がったと云う事だろうと思っている。ここまで来ると、如何に酒に甘い日本人でも、「酒は百薬の長」などとは云ってはいられまい。

 本来ならば、「百害の長」と言いたいところだが、この鬱状態の多い世の中で、一時的とはいえ、躁状態を味あわせてくれる酒の功徳を認めて、せめて「百薬の下」と云う事にしたらどうかと思っている。その背景には、過去の悪しき生活習慣により、手痛い因果を蒙りながら、未だにこの悪習から抜け出せない己の意地汚さにある。

 そこで、敢えて提案するなら、酒は、大昔は薬だった。しかし、常用できるようになって百害に結び付くようになった。従って、全て一単位以上は飲まず、それも1週間に3回以上の休肝日を置き、しかも、ちびり、ちびり飲むことである。とは申せ、今となったら何を云おうと、「百日説法屁一つ」の感は免れない。(12、01.01仏法僧)