サイバー老人ホーム

258.不義密通(フリン)4

 品川宿とは、東海道で江戸を出て最初の宿場である。宿場には、木賃宿、平旅籠、飯盛旅籠の三種類が合った。木賃宿とは、我が祖先たちが使ったであろう宿で、干し飯を持ち歩き、それに湯を掛けて軟らかくして食べるが、その湯を沸かすための薪代を含めたものが宿賃である。

 即ち、黒澤明監督描く所の「七人の侍」を探しに行った百姓たちの世界である。ちなみに、慶長十九年(1614)の令状では、「旅人、厩に薪を用いる者は四十三文、若し薪を用いざる者は出すに及ばず」であった。

 一方、平旅籠とは、通常の旅籠で食事つきの旅籠と言う事になる。江戸の上宿は甚だ少なく、公事に用あるものが主として泊る公事宿は、粗末な食事二食がついて、宿賃は二百四十八文、客は銭湯へ入浴に行ったと言う事である。

 問題は、飯盛り旅籠で、ただ、飯を盛るサービスつきと言う事ではなく、飯盛り女と言う売春婦が居たと言うことである。

 通常、飯盛り旅籠には、一軒につき二人までの飯盛り女が許されていた。ところが、旅籠側では、旅籠一軒に二人と拡大解釈し、遥かに多くの飯盛り女を抱えていたらしい。

 江戸四街道口の中でもっとも盛った品川宿には、飯盛り旅籠や、出女、留女、宿引き女、おじゃれなどとよばれる様々な遊女を置く旅籠の類が軒を連ねていたのだろう。

 そうした旅籠の主役は、人偏があるのは侍、ないのは寺、つまり武士と僧侶であったと言う事である。品川宿の近くには徳川家ゆかりの芝増上寺があり、付近には多くの塔頭(末寺)が立ち並び、加えて、田町六丁目からやつ山にかけては寺社が軒を連ねていた。

 したがって、品川宿の主役の僧侶は高輪増上寺と其の塔頭の僧侶だったに違いないというのである。

 ただ、「守貞満稿」によると、「江戸芝神明は増上寺に近く、湯島は東叡山に近し。男色の客は士民もあれども、僧侶を専らとするなり。また稀には好色に後家・孀女、または武家の?婢も客にある由なり。」となっていて、人偏のない僧侶の相手は陰間、即ち男色だったというのである。

 尤も江戸時代、幕府は切支丹禁制を保つために、居住地ごとに住民の宗門帳を出させていた。これによって、寺は、お布施が自動的に入るようになり、武家以上に恵まれた環境にあった。ただ、半面、布教活動などに身が入らず、宗教としたら最も頽廃した時代だったといわれている。

 腐れ切った坊主共は、金に糸目もつけず、宿場女郎を買っていたのかもしれない。ただ、これでも飽き足らず、妾まで囲う罰当たりな坊主も出現した。これを梵妻(だいこく)と称し妻帯を許されない坊主の妾である。

 ところで、武家の妻女と言うのは、貞女の鏡のように云われていたが、「下半身事情」によると、「これは「女大学」に代表される貞操教育のせいもあるが、武家屋敷では殆ど女の自由を認めなかった」ためであると言う事である。

 武家の妻女は、殆ど一目にたたず、たったとしても大声を上げたり、華美な装いをする事を控えていたといわれている。ただ、上野不忍池あたりの出会い茶屋の日をあけず出没しとのは、武家の寡婦も多かったろうと言う事で、その理由として、武家の妻女にしても庶民とは異なる特別な資質や、得意な肉体構造を有していたはずもないと言われている。

 人間と言うのは、教養を身に付ける事によって、本能と道徳観念をコントロールできるものだと思っている。

 これも「下半身事情」によるものだが、文化十四年、幕臣の放蕩者が近所に住む座頭と親しくなり、座頭の女房と三味線の師匠の間で起こった密通の揉め事を仲裁に入った男(幕臣)が、大家を切りつける事件が起きた。

 この時の町奉行大岡越前守の裁きとなり、調べると幕臣の三味線師匠も、大家も座頭の女房に密通していた分かり、幕臣の侍は、七両二分を払うことで決着したと言う事である。

 したがって、間男しても七両二分を払えば事がすむと書かれているが、七両二分もの金を、たかが座頭の女房如きの腐れ女の浮気に払える人間がどれほどいたといえるだろう。

 一方、人偏のある侍のほうはと言うと、身分高き方は、安女郎を買わなくとも、即室と言うのが居た。この側室とは、「正室に対する概念で、高貴な男性の妾、または寵愛を受けた女官・女房・女中をいう」と言うことである。

 現在では側室を正室以外の「妻」と定義されるが、本来は正室の位置づけが「家族の一員」であるのに対し、側室の位置づけは「使用人」であると言うなんとも虫の良い話である。

 更に、「但し男女の情が絡んでくるためこの区分けは厳密には守られない事が多く、 現在における一夫一婦制のもとでは、不貞行為に当たるものとされるため、公然と認められてはいない」と言うことである。

 しかし、最近でもまだ側室制度は存在し、著名な芸能人や、文士の間で罷り通っていると言うから驚きである。

 もっとも、この反逆かどうか知らないが、迷惑メールには、逆エンコウ(援交)を思わせるメールに出会う事もある。

 一方、妾と言うのがある。凡そ私などは縁もゆかりもないものだが、「妾の存在は、社会的に隠されるものではなく公表されるもので、妻も承知しているものである。この点、妻に秘密にする不倫とは大きく違う」と言う事で、いかにも虫の良い男の論理である。

 以前は、妾は不道徳なものではなく「男の甲斐性」の象徴として是認する日本国内の地域社会も多かったと言う事である。法的にも明治三年(1870)に制定された「新律綱領」では妻と妾を同等の二親等とすると定められていた。

 「妾と側室は正妻ではないと言う意味では似ているが、其の立場は似て非なるものだった」と言う事で、まさに男天国である。

 「妾は職業で、口入屋と言う職業斡旋所を通じて、富裕な商人などが年季と給金を取り決め、きちんと契約書を取り交して雇った」、即ち妾奉公である。

 妾奉公の契約を結んだ場合、「○○さんの妾になる」と直接的な表現は用いず、「○○さんの世話になる」という間接的な表現を用い、妻と妾が同居することは少ない。普通は別の家(妾宅)を与えてそこに生活させる。その点で普通は同居させる側室と異なる」と言うことで、いわゆる時代小説の強欲な富商の世界である。(09.02仏法僧)