サイバー老人ホーム

340.貧 困

 少し古い話だが、六月二十日付の朝日新聞朝刊の「天声人語」に気にかかる記事が載っていた。以下その引用である。

 「英の文豪モームの長編「人間の絆」は、一人の青年の成長と遍歴の物語である。人は、「そこそこの収入がなければ、人生の半分の可能性とは縁が切れる」貧乏は人を屈辱なさしめさせ、いわば翼をもぎ取ってしまう。子供時代に貧困が可能性を狭めてしまうのは、各種の調査で明らかである」

 これは先に国会で承認された「貧困対策法」基本要綱に関連する内容である。
この「貧困対策法」とは、「現在、我が国においては子どもの貧困率が高いこと、世帯の所得によって義務教育終了後の子ども等の修学の状況に差異があること等に鑑み、貧困の状況にある子ども等の健やかな成長及び教育の機会均等を図るため、子ども等の貧困対策に関し、基本理念を定め、国等の責務を明らかにし、並びに子どもの貧困率、進学率等の調査等、子どもの貧困対策の当面の目標及び子ども等の貧困対策に関する計画の作成について定めるとともに、子ども等の貧困対策の基本となる事項を定めることにより、子ども等の貧困対策を総合的かつ計画的に推進し、もって子ども等の貧困を解消し、子ども等が夢と希望を持って生活することができる社会を実現することを目的とする」と分かったような、分からないような内容になっている。

 勿論、この法律が認められて、子供の貧困が解消し、併せて、子供の将来に対する不安が解消されればこんな結構なことはない。

 そこで、朝日新聞が例に挙げた「文豪モーム」とはいかなる人であろうか。当然、イギリスの文豪サマセット・モームだろうとだろうと推測は付くが、残念ながら「人間の絆」は勿論、その他の作品も読んだ記憶はない。ただ、サマセット・モームという名前は知っていたので、何かの折に短編か、作品の一部を読んだのかもしれない。

 調べてみると、サマセット・モームは1874年というから明治七年にフランスで生まれ、十歳までに父母ともに病没し、孤児となってイギリスで牧師をしていた叔父に引き取られている。加えて生まれながらの吃音に悩まされ、しかも頼りの叔父とも不仲であったそうである。

 その後、ドイツのハイデルベルク大学に遊学し、この間多くの人と接する法律家や牧師の仕事が不向きと悟り、牧師を望む叔父と対立して、結局十八歳時に、ロンドンの聖トマス病院付属医学校に入学したが、学業には打ち込まず、主に耽美派などの文学書を読みふけったという事である。

 そして、モーム二十三歳の時に処女作「ランペスのライザ」を出版し、その後、英語圏作家として世界的名声を得たという事である。これを見る限り、モームが貧困を論じるに適当な人間であったか、大いに疑問が残るところである。

 確かに、十歳にして父母を失うことは大変な不幸であり、加えて、生まれながらにして吃音であった身体上のこの障害はモームの人生を大いに狂わせる要因であったかもしれない。

 だからと言って、朝日新聞ごときの大新聞が、注目のコラム記事として乗せるほどの値打ちがあったといえば大いに疑問を持つ。

 明治七年といえば、日本ではようやく学制が整いつつある段階で、義務教育の修業年限が尋常小学校三年から八年に定められたのも明治二十三年である。その間にも、明治十六年には頼みの生糸の大暴落により、板垣退助が主張する自由民権運動に刺激され秩父困民党による大騒動も起きている。

 したがって、日本全体が筆述に尽くし難い貧困の中にいて、この状態は第二次世界大戦終了まで続き、更に敗戦の痛みを昭和三十年代初期まで負うことになる。

 ただ、この事は、明治維新という大変革がおこった後の事であるが、その前の江戸時代はどうだったかというと、確かに一部の富商に富が集中する経済格差はあったが、これはあくまで例外的なもので、国全体についてどうだったか問えば、当時の権威者であった武家社会を含めすべて貧困の中にいたのである。

 然るに、日本国民が人生の可能性を失っていたかといえば、当然ながら否である。人間というのは、貧しかったらやる気をなくすかといえば、現在アフリカや、アジアでの開発途上国でも、貧困ゆえに若者がやる気をなくした国があるのだろうか。

 いま日本において、教育レベルの低下は貧困より、豊かさの弊害の方が強いのではなかろうか。確かに、我々が子供の頃であっても、家が貧しかったために高校進学すらあきらめた同級生が何人かおられた。だからと言って、子供時代の可能性を狭めてしまった人など一人もいない。確かに、学問的には多少遅れを取ったかもしれないが、社会の実学ではそれを遥かに凌ぐに十分に学問的な遅れを凌駕しているだろう。

 それならば、何故子供の貧困化を法律で規定しなければならないかといえば、最大の理由は家族制度の崩壊である。これによって直接に師であるべく祖父母や、更には両親という身近の師を失い、又これらの身近な者の責任感と義務感というのをすべて放棄したためである。

 加えて国民全体の所得レベルの向上により、努力する事すら忘れ去られた結果である。従って、いくら子供の所得レベルを改善しても統計数字上多少の向上はあっても、学力が向上したり、将来に対する不安の解消にはならない。

 然らばどうしたらよいかといえば、残念ながら明確な答えはない。今更国民所得を低く抑えることなどできるはずもなく、本人はもとより、周りの親族や、コミュニティに対する自覚以外に有効な解決策は見当たらない。

 ただ、意味不明な学歴偏重社会の解消をすることが唯一の改善策ではなかろうか。学歴というのは、実社会に出た当座、ないしは出る際の選別の場合にはある程度必要かもしれないが、実務を行うにあたって、学歴が不可欠な要素などとは考えられない。

 現在の学歴とは、諸官庁の統計数字としての意味するものとしての効用以外には考えられないのではなかろうか。もっとも、最高学歴の大学ですらこの程度のものだか、高校に至っては言わずもがなであると云うならば、多少の所得を増やすぐらいでは怠惰な若者を増やすだけで、この問題が解消するはずもない。

 戦前戦後は勿論、江戸時代においても、裕福だから立身出世し、社会に立派な業績を残したなどという人はおそらく数えるほども居るまい。むしろ貧困による艱難辛苦を乗り越えたからこそ、世界に冠たる日本を築き上げたのではなかろうか。

 従って、それだけのお金があるなら、学ぼうともしない、交わろうともいしない、努力しようともしない若者を、アフリカ諸国や、東南アジや諸国に昔の兵役のように強制的に送り出して鍛え直すことがお互いの為になるのではなかろうか。(13・09・15仏法僧)