サイバー老人ホーム−青葉台熟年物語

105.髭

 10月から髭を伸ばすことにした。正確に言えば伸びてしまったことになるが、無精ひげではない。無精かおしゃれかは手入れをしているか自然の成り行きに任せているかの差で大いに異なる。然らばどれほどの手入れをしたかと言えば頬にあるまばらな髭を毎日そり落としただけであまり無精と大差はないかもしれない。

 そもそも「伸ばす」きっかけは毎朝の洗面にある。洗面の都度、髭もあたっていたのであるが、片手でしかも利き腕でない左手だけで髭をあたるというのはかなり難儀である。それならば電気剃刀を使えばよいではないかと言うことになるが、これは髭を毎日あたる男しか分からないことであるが、髭剃り後の爽快感はやっぱり剃刀である。それに電気剃刀だと顎のした(おとがい)のところはうまく剃れないのである。

 これほど難儀するのであれば伸びたければそのままにして置けばよいのではないかとふと思いついたのである。どうせ頭の方は昨年入院して以来アンドレ・アガシスタイルになっているので、せめて髭の方は伸ばしてもバランスが取れると思ったのである。

 伸ばしついでに髭の事を調べてみたらこれがなかなか大変なものである。そもそも髭と言っても顎にあるひげを髯(ぜん)と言い、頬にあるのを鬚(しゅ)というらしい。然らば通常の髭(し)とは何ぞやということになるが、これは口ひげということである。

 もともと髭の薄い日本人の髭の歴史は欧米に比べて比較的浅く、仏教伝来以来であるらしい。尤もそれ以前は伸ばすに任せていただけで、髭という概念ではない。仏教伝来以来、皮肉にも僧侶は髭を伸ばさないしきたりになったらしい。一方公家のほうはというと髭を長くしなかったらしいく、源氏物語絵巻に見られるような一筆程度の髭がはやったのかもしれない。そうなると聖徳太子の顎鬚はどういうことになるかと考えてみたが、仏教伝来のちょうどはざまということで勝手に納得した。

 中世に入り、武士は兜の緒をしめる関係から立派な顎鬚を蓄えていたようで、更に強さを強調するため口髭もあったらしい。そのため髭の薄い人は墨で書いたりしていて、秀吉などは付け髭を用いたというからけっこう苦労をしたようである。

 江戸時代に入り幕府は一時、髭を禁止していたようであるが、伊達者といわれた一部の人は「かま髭」とか「やっこ髭」などといわれるいわゆる歌舞伎の隈取みたいな大げさな髭がはやったらしい。
 明治に入って身分制度がなくなったことから逆に髭で身分をあらわす傾向が出ている。官吏、政治家は三国志の関羽のような関羽髭がはやったということで、あの大久保利光の髭かと思っている。
 一方学者は八の字髭で夏目漱石というところか。一方、この頃から出現した軍人はカイザル髭といって口ひげの先端をピンッと跳ね上げた髭が流行したらしい。

 ただ20世紀の半ばまではひげを伸ばすことは比較的下火であったらしいが、これは世界的に軍隊の台頭と大きな戦争の勃発が影響したのかもしれない。新兵がカイザル髭をつけてきたひにはどちらが大将か分からなくなるし、戦場で悠長な髭の手入れなどしている暇はなかったのかもしれない。

 ただ、20世紀半ばからはパルチザン反抗のシンボルとして髭、鬚、髯の全てを伸ばしたいわゆるカストロスタイルの無精「ヒゲ」が流行し、現在でも主流となっているようである。取り分けイスラム社会では豊なひげとあわせて成人男子のかなりの人がこのスタイルで、アフガニスタンのタリバン政権下では強制したというから多寡が髭と言っても怖い話である。

 こうした殺伐とした髭はべつとして、過去現在で男のロマンを感じさせるひげもある。その代表選手といえば、何と言ったってクラーク・ゲーブルのコールマン髭であろう。デビット・ニーブンなども同じ系統に入るが男の優しさと気品を備えた髭と言うことになり、日本では元アリスの谷村信二さんなどこの範疇に入るかもしれないが、この髭、うまく顔にマッチしない場合はかえって軽薄に見えるから用心が肝心である。

 一方チャップリンに代表される「チョビ髭」は威厳というより愛嬌である。日本ではサックス奏者の坂田明さんなどはこの範疇に入るが、この髭の場合はどちらかといえば丸顔に似合い、安来節を上げるまでもなく日本人向きかもしれない。

 男らしさといえば八の字の口髭で、その代表選手はチャールス・ブロンソンだと思っている。日本人では何と言っても藤竜也さん、それに元アリスの堀内孝雄さんなどで、男のダンディズムを感じさせる髭であるが、この髭、大顔か少々いかつい顔の方が似合うようである。

 他人の事はどうでもよいがお前はどうなんだといわれると、これが情けない。もともと丸顔系だから髭の似合うタイプではない。その上、見るからに貧弱な髭の上に大分白いものが混じっている。イメージとすれば大竹まことさんというところだが、あれほど白くもないし、あれほど目つきも悪くない。尤もあの人、辛らつな物言いをする割に笑った顔はなんとも無邪気で、こわもてに見せるためにあえてああしているのであって、目つきほどに人は悪くないのかもしれない。

 坊主頭の感じからすると黒澤年男さんに竹中直人さんをたして2で割って、そこから個性を引いたような感じになるが、いずれにせよあまり風采の良いものではなさそうである。

 ところでこの髭というもの、動機は無精で始まったが、とても無精で済まされるものではない。一旦伸びきってしまうとすぐに口の上に覆い被さってくる。そのままで食事をすると否応なしに口の周りにくっついていかにも無精ったらしくなる。従って3日に明けず鏡を見つめて刈り込むことになるが、これが奇妙に楽しみになるから不思議である。

 最近は若い人でも髭を生やす人が増えているようだが、考えてみるとこの髭という奴、女性にはあまり評判の良いものではないようである。取り分け日本人で髭の似合っている人は少なく、貧相な上に不潔感が先に立ち、ここらあたりが日本人にはあまり好まれない理由かもしれない。

 それにしても、家族の不評に背を向けて、このいじけた髭が何時までもつか時間の問題かもしれないが、私にとっては「たかが髭であるが、されど髭であり」、本人はいたって真面目なのである。(02.11仏法僧)