サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

59.花

 我が家の入り口の道端に毎年スミレが咲く。道路のアスファルトと道路端の縁石とのほんのわずかな隙間に根を下ろしていて果たして肥料はおろか土でさえあるかどうかの場所に毎年芽を出して咲いてくれるのである。
 しかも最近はその隣に苧環(オダマキ)まで根付き、花をつけてくれる。ところがこの苧環の花は最初に花をつけた頃は黄色がかった淡いピンクであったが今は濃い紫色に変色してしまい,花形もあの静御前の「しずやしず、しずのおだまき・・・」の楚々たるイメージのものとは程遠いものになってしまった。

 この住宅地内の道路端にはこれ以外のも「蛍袋」も生えており、時期になると可憐な花をつけてくれるのであるが、こちらは本来強めのピンクの花であるはずが真っ白なのである。こう言う種類かと思っていたが、昨年南アルプスに行ったときに登山口の広河原でも白い蛍袋が咲いていたのである。私の小さい頃には白い蛍袋など見たことが無かったが、これも何か自然界の変化と言うものだろうか。

 田舎では蛍袋のことを「トッカン花」と呼んでいた。何故かといえばこの花、文字通り袋状になっておりここに息を吹き込み手のひらで叩くと「トッカン」と破裂したからである。蛍袋以外でも桐の花、桔梗、朝顔などもだいたい同じような遊びをした。

 植物や花などの名前はだいたいこうした遊びの中で覚えていったような気がする。ただその名前などもあまり学名や正式な名称ではなく、形やあそびとの関連での呼び名であったような気がする。ただこの中で早春の土手にいち早く鮮やかなブルーの小さな花をつける「犬のふぐり」という花は別名「星の瞳」という可憐な名前がついているのであるが、この「犬のふぐり」というのはいかにも奇妙である。
 この「ふぐり」というのは男の急所の陰嚢を表すのであるが、あの「星の瞳」がなぜ「ふぐり」かといえばこの花の種子が「小さいながらもくびれて毛がある」からと植物図鑑に書いてあり、先人は何とも人を食った名前を付けたものである。

 もっとも草花の名前にはこれ以外にも、うーんとうなってしまうような名前の植物が数多くある。「犬のふぐり」以外でも「ふぐり花」と呼んでいた花があったのである。正式な名前は幻の花とも言われている「敦盛草」である。
 この花の存在は小さい頃から知っていたが、近所の人が採取してきたのを見たことがあるが、自生しているところは見たことがない。この花の形は文字通り「ふぐり花」であったのである。
 「満天星」などもこれをドウダンと呼ぶ人はいないと思われるが、いかにも花の感じを表した巧い当て字で、「鈴蘭」等も含めてこうした袋状の花は愛嬌もあるし、古来から人々の思い入れが分かるような気がする。

 花の中で、最も特異なのは「花筏」ではないかと思う。どのように特異かといえば葉っぱの真中に花が咲き、実がなるのである。この姿から「花筏」という名前がついたのであろうが、先人の知恵にはほとほと感心させられるのである。
 この「花筏」、花ばかりでなく若葉はおしたし等で食することができると書いてあり、一、二度食べたことがある。取り分け際立った味があるわけでもないが、噛んだ時の歯触りが変わっていて「キュッ、キュッ」と鳴るのである。更にこの木の樹皮は滑らかで柔軟性があることから若葉の頃の若い枝から抜き取るとビニールのチューブのようになりこれを口の中で「鬼灯(ホウズキ)」のように「ギュウ、ギュウ」と鳴らすのであるが、これは女の子の遊びであった。

 先日、あるメルユウから昨年友人から貰った「卯の花」が咲いたと写真を送ってきた。「卯の花」はあの「卯の花のにおう垣根に・・・」の唱歌に歌われた花で、爽やかな季節の代名詞みたいな花である。花そのものは地味であるが、この木の別名は空木である。
 木の中心が空洞になっているところからこの名前がついたと思われるが、私の小さい頃は「笛の木」と呼んでいた。この木の若木を斜めに切ってそこに表皮を挟み込むのである。「ブェー」と何とも奇妙な音がしたが、子供の頃は格好の遊び道具であったのである。

 音を楽しむ草花はこれ以外に沢山あった。これも早春からいち早く穂が出て、どこの空き地の生えていた雑草の「雀の鉄砲」という草の穂を抜き取りこれを穂を抜き取った側から口にくわえて息を吹き込むと子猫が鳴くような音を出したのである。
 不景気な工場の代名詞の「ぺんぺん草」というのはこの草のことと思っていたが、「ぺんぺん草」というのは春の七草の「ナズナ」であったのである。「ナズナ」の花は菜の花を小さくしたような花で、花茎の下から咲き始め、徐々に上のほうに咲いていくのであるが、先に咲いた花が結実して三角の種子ができる。この種子を花茎からほんの少し切り削ぎ、ぶら下がった状態で親指と人差し指に挟んでくるくる回すと微かにカラカラと音がするのである。この音からこの草を「ガラガラ」と呼んでいたのであるが、思えば昔はささやかな遊びを楽しんでいたものである。

 これ以外でも葦の葉を螺旋状に巻いたのは鹿の声に似た音がしたり、「野甘草(ノカンゾウ)」は蘭のように直接根元から葉が茂るのであるが、この葉の根元はU字型になっており、この根元をくわえて強く息を吸い込むと「キョッ、キョッ」と鳴るのである。このことから「野甘草」のことを「ホケキョウ」と呼んでいたのである。「野甘草」の花は一見豪華であるが、花の付け根に油虫がいて好きではなかった。

 音を楽しむ以外に小さい頃は「花相撲」という遊びに興じたものである。当時は「ゲエロッパ(蛙葉)」と呼んだ「オオバコ」の花穂をお互いに十字の交錯させて引っ張り合いきれなかった方が勝ちである。これと似たのは「蒲公英(タンポポ)」の花をぶら下げ、もう一方が別の花を打ちつけて花の首部分を打ち落とすのであるが、これには花茎の太いタンポポが咲いている秘密の場所があり、これを採ってきて塩漬けにして試合に臨むのである。

 藤の葉茎なども遊びの道具であったのである。藤の葉の葉っぱを取り除き葉茎だけにし、これを3本指につまんで地上にばら撒くのであるが、葉茎3本でできた三角形の中に他の葉茎をできるだけ多く立たせてその数を相手から貰うと言う遊びで一種のギャンブル的なスリルがあった。

 今年は我が家の「花水木」も珍しく花をつけた。珍しいと言うのはこの木、家内が狭い花壇に植え付けたのである。木というのはやがては成長してその成長に応じてのスペースが必要と言うことを分かっていないらしい。毎年水不足や肥料不足でいじけていたが何年ぶりかで咲いたのである。
 この「花水木」というのは私の田舎ではなかった。その代わり当時「鍵の木」と呼んだ「水木」は沢山あった。水木の小枝は真紅の美しい色をしていて、この小枝も遊びの道具であったのである。この小枝は全て手を握って人差し指と親指を開いた「チョキ」の格好をしておりこれを枝先の方から引っ掛けて引っ張り引っ張り合うのである。

 これらのことは全て小学校の低学年までに体験したこと、動植物に関することに触れれば思い出は際限がない。だからどうだって言われればそれまでだが、テレビゲームに明け暮れる最近の子供より、こだわりを持って自然に触れられた方が良いような気もするのである。(01.04仏法僧)