サイバー老人ホーム−青葉台熟年物語

107.箱  膳

 もともと映画は好きで一年に何回か見ていたが、今年になって三回映画を見た。最近の映画は殺伐なものか、CGを使った超現実的なものが多く何か寂しい思いをしていたのであるが、秋になって、二つの心に残る映画を見たのである。
 一つは「阿弥陀堂だより」で、北信濃を舞台に死者を祀る「阿弥陀堂」を守っている「おうめ婆さん」と美しい自然の中で心を癒されていく都会から逃れてきた一組の夫婦を描いた映画である。映画の中の台詞で「悲しくもないのに涙が出て」しかたがなかったのである。映画が終わってもしばらく席を立ちたくなくじっと座っていたのである。

 更に11月になって、山田洋二監督の「たそがれ清兵衛」を見た。私のもっとも好きな藤沢周平さんの原作で、山田洋二監督にとっては初めての時代劇だと聞いている。結果は、期待通りの素晴らしい映画であった。勿論キャストの演技も申し分ない。主演の真田広之さんも宮沢りえさんも、その他脇役の方々も全て素晴らしかった。どう素晴らしかったかは私如きがとやかく言うより専門家の方々がそれぞれ批評されているからそちらをご覧になればよいことである。

 この映画は時代考証が極めて適切に行われた作品で、あたかもその時代に入り込んだような気持ちになるのである。およそ時代劇の中で何時も気になっていたことは、電灯など勿論ない時代で、行灯やろうそくの灯といえどもそれほど眩いほど使われたとも思えないのに煌々と照らされたシーンが多かったのである。

 そもそも藤沢作品自体がモノトーンの世界を描いていて、それだけに夕闇の中に描かれるほのかな灯の色が印象的なのである。今度の「たそがれ清兵衛」はまさしく藤沢周平さんの描く「たそがれ清兵衛」だったのである。

 それと藤沢さんの決闘場面では主人公がものの見事にばったばったと敵役を切りまくることはない。必ず傷を負い、読んでいて猛烈な痛みを感ずるのであるが、今度の「たそがれ清兵衛」でも同じであった。そのほか衣服、武家の子女の描き方など藤沢さんの思いが全て描かれて申し分のない映画であった。

 その中で、主人公の真田広之さん扮する庄内海坂藩の下級武士、井口清兵衛の家族との食事のシーンが殊のほか印象に残ったのである。およそ今までの時代劇で見たこともない「箱膳」を使っていたのである。

 今では「箱膳」といっても知らない人が多いと思うが、広辞苑で見ると「大店の奉公人などが食器を入れておく箱」となっているが、奉公人ばかりではない。

 そもそも膳というものが何時頃から出現したか定かではない。原型は折敷という神前に供えるための薄板に縁を回したもので、今では茶懐石などで使われる八寸にその名残をとどめている。
 これに漆塗りなどを施したものを会席膳といい、戦前まで良く使われていたが、今の旅館などで使われている大仰な脚付きの膳は何時頃から出てきたのか分からないが、もともと折敷の三方に足をつけたものをお三宝と称し、特異な用途であったようである。

 箱膳が何時頃から出現したものか分からないが、自分の食事用の食器、即ち飯茶碗、汁碗、それに小皿を箱の中に入れておき、食事時になると食器を取り出し、箱の蓋を裏返した上に載せるとお膳になるのである。

 それにご飯や味噌汁をよそって僅かな惣菜を自分の取り皿に取り分けて文字通りの一汁一菜の食膳になるのである。食べ終わると、茶碗に白湯を注ぎ一切れ残した漬物できれいに食器をすすぎ、その漬物を食べながら湯を飲んで布巾で拭いて再び箱膳に戻すのである。

 その間あまり無駄口も叩かずに、黙々と食べて終わると自分の箱膳を置き場に仕舞い(関西ではなおす)、それで食事は終りである。

 武家といっても藩を動かす執政といわれる重鎮達は塀をめぐらした豪壮な藩邸に住んでいたかもしれないが、清兵衛の如き下級武士の生活は一般庶民より寧ろ質素ではなかったと思うのである。藩からあてがわれた茅葺屋根の家の裏手には前栽物(せんざいもの)と呼ばれた野菜などを作る畑があり、これで乏しい家計の忍んでいたと想像するのであるが、今でも篠山藩の武家屋敷跡を見ると当時の面影が残っている。

 食べ終わった食器を洗わずに仕舞うなど、今の感覚では不衛生とか気色悪いと思われるが、上水というのは井戸や泉から汲んだものを水瓶にためて、煮炊きや湯茶のために使ったのであり、今のように蛇口を開けっ放しにして湯水のように使うことはなかったのである。

 この「箱膳」が使われたのにはもう一つの理由がある。北国での食事風景といえば囲炉裏を囲んでの食事で、座る席順もきちんと決められて、「横座」には常に父親が座っていた。昭和30年代に入ってプロパンガスと水道の普及で何時しか囲炉裏も「箱膳」も姿を消してしまったが、これがたったの50年前まで連綿と続いた日本の食事風景であったのである。

 私が田舎から都会に出てきたときに「顔を洗う時に水道の蛇口をすぐに閉めるから田舎者はすぐに分かる。」と言われたが、思えば私の悪しき習慣はこのときから始まったのかもしれない。

 今時の旅館の二の膳、三の膳付きで料理の品数を競う当時の将軍も食べたことのない「たわけ」た食事風景を見るにつけ、今更「箱膳」に戻せというのではないが、いかにも慎ましやかな食事風景に、むしろ満ち足りた思いがしたのである。(02.12仏法僧)