サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

148.牛丼文明

 またまた食い物の話で恐縮だが、近頃アメリカのBSE問題に端を発し、街の食堂から牛丼が消えて話題騒然となっているようである。この牛丼と言うもの、またの名を牛飯といい、「牛肉をネギなどと煮て、汁とともにどんぶり飯にかけたもの。」と言う至って簡単な料理で、どちらかといえば無精者のレシピに入るのかもしれない。

 明治に入って肉食が一般化し、いち早く出てきたものが牛鍋であり、明治の言わばハイカラさんが粋がって食べていたもので、この鍋の残り物をご飯にぶっ掛けて食べたところすこぶる美味かったのが牛丼に定着したものだと勝手に解釈している。この出自から考えても余り高尚な食べ物とはいえなかったかもしれない。

 子供の頃よく「猫飯」というのを食べたさせられた事がある。ご飯にただ味噌汁をかけただけの飯であるが、おやつなどという気の利いたもののなかった時代、学校から帰り「腹へった」などと言うとおふくろが残りご飯でこの「猫名」を作ってくれた。

 考えてみるとこの「猫飯」が戦後のどんぶり物の走りではなかったかと思っている。私が実社会に入った昭和三十年代でも、カツドンや親子丼は比較的早くから出ていたが、牛丼と言うのは独身時代に食べた記憶が余りない。牛丼が大衆化されたのはかの有名な「吉野家」が出現してからなのかもしれない。

 二十年程前になるが、関西に来た当初は一時単身赴任だったため、近くの吉野家の牛丼にも、時々お世話になった。味もさることながら、とにかく早い。電光石火とはこのことだろと思うほど椅子に座るや否や瞬く間に目の前に出される。この点は時間の制約のある朝飯にはまことに都合がよいが、夕食ともなれば何となく味気ない。
 その根底には食事と言うものは単に食べればよいと言うものではなく、生活を楽しむ重要な要素であると思っている。

 昔から「早や飯、早糞も仕事のうち」なんて言葉があるが、日本人は食事を楽しむと言う習慣は余りないのかも知れない。この雑言の「箱膳」でも取り上げたが、食事中は黙って黙々と食べて、終わったらさっさと片付けて「ご馳走様」と一礼して席を立つ、なんて習慣を子供の頃からしつけられた。
こんな習性が早くて美味い(比較的)牛丼が日本人の食生活の中で確固たる地位を占めたのかもしれない。

 勿論、いま牛丼と言うのがこの国から全てなくなったわけではない。作ろうと思えば誰にでもできる代物であり、多分吉野家などの牛丼を専門的に扱う店以外では今でも売られているのかもしれない。ようはあの安さと速さがたまらないのである。

 今回の牛丼騒ぎで初めて知った事であるが、この牛丼に使われる肉は牛のある部分に限られるらしい。多分輸出国であるアメリカでは余り商品とならない部分ではないかと想像している。それ故にあれだけ安い価格で提供できるわけだが、だからと言って吉野家の牛丼の美味さにけちをつける気は毛頭ない。

 考えてみると、近年、ファーストフードなる言葉があるが、食べるものに関してはこの速さというのが重要な要素であるらしい。吉野家の牛丼以外にも百円寿司やハンバーガーなどいたるところで速さを競っているようである。あたかも、鶏小屋か家畜小屋の餌場を彷彿とする風景がいたるところにある。ここで問題なのは作ることの速さだけなら良いうが、これらの店では何所へ言っても早食いなのである。

 最近、アメリカを始め、世界の先進国で、肥満が深刻な問題になっているらしい。なるほどテレビで診ると人間の体と言うものは、あれ程でかくなるのかと思われるような巨大なケツが辛うじて動いている姿を見かけるが、この最大の原因はどうやら早食いにあるらしい。

 日本でも最近、大相撲の力士の巨大化が問題になっているが、体が大きさと強さとは全く関係がなく、このままでいくとモンゴル出身などの力士が幕内を全て締められる事にもなりかねない。

 ここで再び司馬遼太郎さんの言葉を引用すれば「愚図であれ利口であれ、万人が参加できるものでなければ文明にはならない」と言う事であり、嘗て、すき焼きとかステーキなどは高級料理と言われ、安月給のサラリーマンなどは年に何回かしか口にはいらなかったが、三百円何がしかでいつでも食べられる牛丼を開発した吉野屋を始め、牛丼専門店は立派な功績であり、まさしく牛丼文明である。

 ただ、だからと言って牛丼屋に牛丼がないから暴力沙汰まで起こすとはいささか度を越しているのも甚だしい。ここまで来るとあたかも麻薬の禁断症状みたいな感じて、寧ろ国辱的愚挙であり、最近の日本人の食生活に首を傾けたくなる。

 尤も、ただ今「牛丼文明」の真っ只中で、食べ物を自ら作るすべを失ったこの国の人々にとっては、たかが嘗ての「猫飯」、されど「牛丼」であるのかもしれない。(03.02仏法僧)