サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

29.下駄を鳴らして・・・

 最近、若い女性の間にかかとが一文字になったサンダルがはやっている。これを素足に履いて階段をカッ、カッ、カッと音を響かせて上り下りしているのを見ると、なんとなくあっけらかんとした清清しさと、奇妙なお色気があってよいものだ。

 何故この形がはやっているのかは分からないが、従来の丸型の踵より軽いと言うのが何よりも好まれただろうことと、足を投げ出した時の足先の安定感が心地よいのではないかと勝手に推測している。

 この形の原型は「のめり下駄」という下駄のデザインの由来しているように思う。この「のめり下駄」というのは後ろの歯は一文字であるが、前が傾斜している下駄で、その傾向を継いだものが、いわゆる「ぽっくり」下駄である。更にこれが近年になってサンダルに変化したのではないかとこれも勝手に考えている。

 ところで2年程前には若い女性が下駄を素足に引っ掛けて勢いよく歩いているのを見て、とうとう女性の履物のファッションもここまできたかの感がしたのである。これは、なにも失望したのではなく、寧ろ快哉を叫びたい思いである。あの下駄スタイルはなかなかに迫力があってよいと思ったのである。

 日本人の女性の足を見ていると、あのからすのくちばしのような細い靴に虐げられて、見事の変形している。いわゆる外反母趾と言うのである。かつて中国の上流階級の女性に纏足(てんそく)と言う習慣があり、小さい時から足に布を強く巻きつけて、足の成長を止めていたのであるが、解放後は何より早く禁止された。

 女性解放が叫ばれて久しく、近代において、特に日本のような先進国でこれほどに肉体的矯正を短期間に強いられた例を知らない。あれだけの苦痛を強いられながら、未だに製造物責任が問われないのは奇跡であり、厚底靴も含めて、靴デザイナーの能のなさと、日本女性の履物に対する感覚の異常さを感じる。

 そもそも我が日本民族はれっきとした農耕民族であり、農耕民族の足は大地にがっちりと根ざした「段広、甲高、親指外曲がり」と相場は決まっているのである。その上、足の指ときたらソラマメのように丸くころころと足先にくっついているのである。これは数千年の歴史の中で、大地を耕すのにきわめて順応した足として形作られたご先祖からの遺産である。

 その足が、からすのくちばしのようなとがった靴に合うはずがない。無理やり押し込めば道理が引っ込んで、三角に変形しなければならないのは自明の理というものである。
 ちなみの女性の皆さんがイメージしたところはあのマリリン・モンローあたりのすらりと伸びた脚線と履物の限界を超えているハイヒールを履いた足先であろうと想像する。これはどだい無理である。あの足は農耕民族の足ではないのである。

 然らば日本人にあった履物は何かと言えば、それは下駄なのである。「段広、甲高、親指外曲がり」に加え、ほぼ方形に近い、足の形状がもっともフィットしたものと言えば四角い下駄なのである。

 かまやつひろしさんの「下駄を鳴らしてやってくる・・(だったかな)」と言う歌が流行ったのは何年前だったか知らないが、少なくとも歌になるくらいだからこの頃にはまだ下駄と言う履物が市民権を有していたのかもしれない。しかしその後、下駄と言う履物は特定のシチュエーション以外は使われなくなった。

 先日の読売新聞の「にっぽん人の記憶」と言う特集記事で、「靴がなく、素足で通学」したという記事が載っていた。私の少年時代もまさにこの時代で、小学校の入学式に真新しい下駄を買ってもらい、親父に連れられて学校に行ったことを思い出す。
 その後も靴を履くということは殆どなく、高校を終わる頃まで状況は同じであったと記憶している。この間下駄にはたっぷりとお世話になり、そのお陰で水虫にもかかることがなく、「段広、甲高、親指外曲がり」の丈夫な足を持つことが出来た。

 素足にサンダル、多少頑丈そうな踵が剥き出しでも、足が段広になっても結構ではないか。こじつけの女性解放騒ぎより、先ず服飾の開放、特に履物はファッション性より実用性を第一に考えるべきと思うのだが・・・。田島陽子先生如何でしょうか。(00.7仏法僧)