サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

169.外来種

 この時期、我が家に居ついた庭猫どもの食糧事情は改善する。それは近くの公園を含めて彼らの縄張りに出現する蝉である。多分、羽化して間もない蝉を手当たり次第に食べているらしく、朝起きてみると庭のあちこちに蝉の羽だけが落ちている。

 家のカミさんなど蝉に同情して庭猫どもを「こら!」と怒鳴りつけているが、猫にしてみれば生死に関わることだからそんなことにはかまってはおられない。それと言うのも、この猫どもの餌はかつて愛犬ペロの餌を失敬していた頃の「伝統」を踏襲して今も時々最も安い犬の餌を与えているからである。

 もっともカミさんに言わせればこれでも「野良猫のくせに贅沢だ」ということらしいが、
猫にすればさすがに味覚はあわないのか、他に口に合う食べ物があればそちらに向かうらしく、蝶々でもトカゲでも何でも手当たり次第に捕まえて食べてしまう。

 ところでこれもテレビで知ったことであるが、最近の蝉は圧倒的にクマゼミが多いらしい。このクマゼミとは羽が透明で体が黒褐色でシャーシャーと鳴く蝉である。そういわれてみると我が家の近くの公園でも、猫どもが食べ残した羽からもそのことが伺える。

 蝉という昆虫、何故か郷愁をそそる昆虫であるが、私の子供の頃はほとんどミンミンゼミだった。ミーンミンミンミンといういかにも気だるいミンミンゼミの声に混じって、時々森の高い樹上からアブラゼミのジージリジリジリといういかにも夏の暑い日を思わせる鳴き声がしていたが、近頃は騒々しいクマゼミの声が圧倒的に多い。

 なぜこうなったかというのは定かではないらしい。それと言うのも蝉は7年間地中で暮らし、地上に出て1週間でその一生を終わるということで、地中での7年間に何があったのかは簡単には分からないということかもしれない。

 この蝉の一生について面白いことをあるサイトで読んだ。それは蝉というのは素数を知っているのではないかというのである。
 素数というのは勿論、1と自分以外の数字では割り切れない数字である。このことの言い出しっぺはあの赤瀬川原平さんらしいが、蝉というのは7年もの以外に5年ものの他、3年ものがあり、このことから蝉は素数を知っているのではないかということらしいが、いかにも赤瀬川さんらしい発想で面白い。

 ただ地中に長い間暮らしている蝉をどのようにしてその年数を査定するかと言うことになるといささか眉唾物のような気がしないでもない。
 それよりも、最近アメリカでも蝉が大発生しているというニュースを見たことがあるが、もしかしたら蝉の世界でも外来種が増え、日本古来の在来種が駆逐されているのではないかと心配したが、これも蝉の地中暮らしがネックとなって、簡単には外来種の入り込む余地は余りないのかもしれない。

 時には輸入材木に紛れて入りこんだり、心無い観光客によって持ち込まれることもあるかもしれないが、異種混血なども起こりにくく、様々な外来種の多い中で、蝉がもっとも在来種を維持しやすいのではないかと勝手に思っている。

 ところでこの外来種であるが、最近は想像もできないようなものが増えているらしい。
ブルーギルやブラックバスの繁殖により琵琶湖の在来種が致命的な被害をこうむったなどというのはだいぶ以前からの話であるが、それ以外に、台湾猿によって日本猿との混血ができていたり、沖縄地方のハブ撃退のために輸入したマングースが増加して家畜や貴重な在来動物が被害をこうむっているらしい。
 その外、ペットとして輸入したアライグマや小鳥の類、更にワニガメなどという獰猛な亀も住み着いたというから困ったものである。

 動物以外に植物の世界でも例外ではない。かつてはどこの河原に行っても四季それぞれに風情のあった薄(すすき)に変わって、セイタカアワダチソウが我が物顔に生い茂っている。
 これもずいぶん以前に養蜂家が種子を広めたといわれているが、困ったことはこの雑草の生命力が強すぎて他の雑草を駆逐してしまうことである。聞くところによるとこの植物、根っこから他の植物を攻撃する物質を出しているというから始末に悪い。

 秋の七草というのは萩、桔梗、薄(すすき)、撫子、葛、藤袴、女郎花(おみなえし)であるが、薄以外はほとんど見かけなくなった。葛などは日本を代表する生命力の強い植物だったが、心なし勢いが衰えたような気がする。

 今度のアテネオリンピックで期待されたが残念な結果に終わった女子サッカーの「なでしこジャパン」の撫子など、かつては河原に行けばどこでも目に付いた花である。最近店頭で、色の強い撫子は見るが、大和撫子は河原でも「街」でも見かけなくなった。

 私の最も好きな草花の一つ、桔梗なども花屋では見かけることがあるが、天然の桔梗などこの時期あるのだろうか。いささか名前が悪いが女郎花などもごく在り来たりの花で、さほど匂いも花も感心するほどの草花でもないが、盆の墓参りなどには欠かせない花であり、やはり季節を感じさせる花だった。

 藤袴というのは意識しなかったのかお目にかからなかったような気がするが、これなども中国では多いようであるが絶滅危惧種ということである。

 ところで肝心要の人間のほうでも最近は「外来種」が増えてきたような気がする。別に人種差別をしようとは思わないし、これはこれで結構なことかもしれない。
 ただ、文化の面でも外来種に駆逐され、在来の日本文化が失われていくというのはいかがなものかと思うのである。

 何が何でもとは言わないが、せめて家族関係や食生活の面では在来種の中に捨てがたいものがあるのではなかろうか。昔から「和魂洋才」といわれているが、今度のオリンピックで久々に和魂の素晴らしさを思い起こさせていただいたような気がする。(06.08仏法僧)