サイバー老人ホームー青葉台熟年物語

209.縁 側

 私の子供の頃、どこの家に行っても「縁側」があった。この縁側というのは、家の中と外との境にあって完全に家の中でもなく、また外でもない。
 形は板張りの廊下のようなものだが、廊下は周りをガラス戸や壁で囲われているが、縁側の場合、せいぜい雨戸か、さもなければ外部に対してはまったく開放されている。これが濡れ縁ということになる。

 それだけに使う側にとっては便利であり、改まって家の中に招き入れなくても、そこで客をもてなしすることになり、招かれたほうでも格式ばった訪問の手順を踏まなくても、気軽に用が足せる便利さがあった。ふと立ち寄り、縁側に腰を下ろし話し込むなどという風景は随所にあり、時により漬物とお茶などの振る舞いがあったりして重要な社交の場でもあった。

 縁側という言葉には懐かしさがある。童謡「肩たたき」で「お縁側には日がいっぱい、タントンタントン、タントントン」と歌われたように、昔から縁側にはその成長の過程で、それぞれに思い出がある。子供の頃の遊ぶのはいつも縁側の延長の中にあったような気がする。

 夏の夜は縁側に腰を下ろし、花火に興じたり、秋には子供たちは、夕日の沈むのに追いかけられるように、縁側の陽だまりを追って日が沈むまで遊んでいたものである。縁側に繕い物を広げ、一心不乱に針仕事に励む老婆の姿なども、日本のごくありふれた風景だった。

 縁側が姿を消したのは、いつ頃からだったのだろうか。狭い土地を有効に使うためと、住宅の様式の変化が影響したのかもしれない。縁側はいつしか部屋の中に取り込まれ、サンルームとか板の間と呼ばれるようになった。形は縁側と同じようなものだが、あの開放感と手軽さはない。

 私が今の住宅に越して来て二十年以上も過ぎるが、以前からこの縁側がほしいと常々思っていた。ただ、猫の額ほどの庭と、費用のことを考えるとおいそれと手のつけられるものでもない。それならばと、以前、ホームセンターで見かけた縁台を買ってきて据えようかと思ったときもあったが、今度は運搬と家に運んでからの移動が大変である。そうこう思案している間に、病気によりこうした作業は一切出来ない体になってしまった。

 ところが、今年の4月にお隣に若いご家族が越してきた。隣はもともと貸家で、我が家が越してきてから三つの家族が入れ替わりに移ってきたが、最近この家に売りに出され、これを購入したのが今度越してきたご家族である。

 3月に越してくる旨の挨拶があり、それから1ヶ月あまりを掛けてリホームすると言うことであった。始まるとあれよ、あれよという間に屋根と壁に一部を残して殆んど造り替えたのである。
 そして4月末に一家で越してきたが、越してきてからも更にリホームが続いた。聞いてみると、お勤めが住宅関係の会社ということで、職人ではないが実にまめなご主人である。

 ようやく出来上がった頃、家のベランダから覗いてみると、なんと庭の大部分が板で覆われているではないか。すなわち濡れ縁である。それから時々覗いてみると、ここに椅子とテーブルを置いて夕涼みがてらビールなどを飲んでいるのを見ると俄然うらやましくなった。ちょうどうちの孫と同じ年齢の幼稚園の子供がいて、夏などはここにビニールのプールを置いて、終日大勢の友達と遊び興じていた。

 とうとう我慢しきれなくなって、恐る恐る隣のダンナに聞いてみたのである。
「うちの濡れ縁を造ってくれませんか」
 一言のもとに断られるかと思っていたら、即座に「いいですよ」ということであった。それからまもなく寸法が測られて、見積もりが届けられた。それから、すぐに材料が手配され、工事にときかかったのである。もっとも工事といっても、勤めの暇を見てということであったが、実質二日余りで瞬く間に出来上がったのである。

 出来上がったのを見ると、上板はオーストラリア産のヒノキの板、多分自然林から取った材木から製板したのだろう、厚さ2センチはあるかなりしっかりした板であるが、到る所に節があって、これがまた気に入った。いかにも野趣があるではないか。

 おまけに、余った材料で、かなり広くしっかりした踏み台と、簡単な座卓まで作ってくれた。これで、ホームセンターのエンダイとちょぼちょぼの費用ということだから申し分ないというよりむしろここに住んで最大の感激であった。
 
 斯くして我が家にも、念願の濡れ縁が登場し、暇があるとここに出てきて、ヒグマよろしく歩き回ったり、時により家内の出してくれるお茶を飲みながら向かいの六甲山麓をあかずに眺めているのである。

 体の溶けてしまいそうな夏の暑い日であっても、一歩縁側に出てみると、涼風が体全体を吹き抜けて室内とまったく違うのである。
 それならばなにも縁側でなくとも外に出ればよいではないかと思われるが、部屋から裸足で出られる空間というものがこれほど快適なものとは始めて気がついた。

 しかし、考えてみるとこの国は、家というもののこの国の独自の文化を余りにも安易に捨ててしまったことを痛感する。囲炉裏、掘り炬燵、式台、三和土(たたき)などなどである。

 古来、様式の家に住んで、中華料理を食べるのが最高の幸せなどといわれてきたが、日本人の生活の中には、「無用の用」という考えがあり、そのことが生活の幅を持たせていたような気がする。

 かつてサラリーマン生活の大部分をつぎ込んだ住宅なども、今では老夫婦でもてあましてその大部分が無用となっているが、むしろかつて捨て去られた小さな「無用の用」が一番求められているのかもしれない。(06.09仏法僧)