サイバー老人ホーム

324.エコ贔屓

 エコ贔屓という言葉がある。辞書で引いてみると「自分の気に入ったものだけの肩をもつこと」だそうである。然らば、エコとは何ぞや、漢字で書くと「依怙」、即ち「一方だけをひいきにすること」ということらしい。この依怙に地をつけると依怙地のなると「つまらないことに我を張ること」となって、何れも感心した内容ではないらしい。

 近頃、マスコミや、一部政治家の言動を見ていると、むやみやたらに依怙贔屓か、依怙地に思える言動が目立つような気がしてならない。

 そもそも、何れの事にしろ、賛成もあり反対もある事は世の常である。各人が、理想とする事にまとまったらそれほど幸せな事はあるまい。その対象が広がれば広がる程である。しかし、現実にこのような事が起きるなどと云うのは、よくよく特異な事だけで、おそらく殆んどお目に懸れないのではなかろうか。

 尤も、国民の全てが感涙にむせびながら指導者の指示に従う国もあるようだが、これが国民総意の中で認められた事ではない事は説明する必要もあるまい。

 ただ、日本のように、為政者に対して常に反対を唱えるのもどうかと思うし、それをいちいち取り上げて世論誘導だかどうか分からないが、取り上げるマスコミの姿には好い加減辟易した。

 数え上げれば切りがないが、まず沖縄基地問題、これについては沖縄の人たちが長年言葉では言い表せない程の苦しみを負わされてきた事はいくら能天気な暇老人と云えどもよく分かる。それは、あくまで民間人としての感想である。

 これに対して、基地問題は今や一国家だけの事ではなく、場合によっては世界の安定のためにどうするかということになり、暇老人がとやかく云っている場合ではない。

 勿論、政治と云うのは世論の上に立って導くものだから、土台たる世論がしっかりしていなければならない事は分かる。しかし、国民すべての意見を取り入れる事は出来ないのだから、最終的には、大所高所から最終的には政治家が舵を取らざるを得ないのではなかろうか。

 取り分け、国家の安全を左右する防衛問題は、世界の動向を踏まえて政治家が判断しなければとんだ事のもなりかねない。ところが、この国の政治家は、党利党略という極めて低次元で国家の安全を維持するための基地問題を取り上げているように見えてならない。
 あの氷のように凝り固まった女党首の政党等、一体いかなる国を目指しているのか、はたまた、真に国民の為になっているのか分からん末梢政党が多すぎるようだ。とは申せ、美味しそうな匂いだけかがしても、現実にはとても「トラストミイ」となどと気取っている場合ではない。

 次が、原子力発電である。日本のように低資源国では、国民生活に重要な影響を及ぼす電力エネルギーを確保するには、何れにしても、原子力の力を利用しなければ立ち至らないと云うような事は何代か前からの為政者の口から出た言葉で、国論を二分してようやく今日の姿に落ち着いていた。

 その結果として、総電力エネルギー需要1兆キロワットに対して、実需の27%、発電総能力4千6百億キロワットの原子力発電エネルギーを確保したのである。

 問題は、原発での廃棄物処理について明確な答えが出ない内に、原子力発電がスタートしてしまったと云うことだろう。

 加えて、今度の東日本大地震の様な想定外の大震災に遭遇して、一気に浮足だったと云うことだろう。ただ、ここまでは、我々の様な暇老人が考えることで、既に原子力発電の恩恵に浴してきた老人が国民の先頭に立って国を引っ張るような事は考えることではない。

 取り分け今の時期のように瀬戸際に立った状態になって、未だに原発反対などを掲げ、気勢を上げてみても始まらない。最悪、電力不足となりこの国の混乱状態に陥った場合、どの様な事態が起きるか想定した事があるだろうか。

 戦時中、灯火管制とか云って、夜な夜な停電に遭遇したが、どこかの国のように、国民の全てが一定方向を向かされていた時代ならいざ知らず、生活の全てにわたって、電力エネルギーに頼っていて、しかも、公徳意識等とうに消えうせたこの国を収拾できると思っているのだろうか。

 その点、橋下大阪市長の変り身は早かった。橋下市長の変身により、関西は際どいところでどうやら夏を超えられそうである。しかし、反対意見は未だに強く、取り分け、京都と滋賀は強硬であり、マスコミ報道を見る限り、電力制限をするならこの二つに地域を重点的にすればよいと思うのが暇老人の考えるところである。

 何れにせよ、地球上の自然界に存在しないような方法に頼る等と云うのはどこか間違っている事だろう。

 次が、消費税問題である。今この国の基本的な問題として国の財政が破綻状態に有るのは一日本だけの問題ではなく、全世界が認めているところである。

 これを辛うじて支えているのは、高い技術力と、バブル経済崩壊後の失われた十年の間に建て直した金融機関の再建と、過去の蓄財のおかげである。

 ところが、その後急速に高齢化が進み、同時に世界の中でのこの国の優位性が急速に失われ、過去から続いていた財政破綻による危機的状態は現実問題になっている事は、暇老人でも承知のことである。

 今となったら、経済を活性化して、国民総生産を高める等と云うのはむしろ夢のまた夢の様なことである。従って、増収を見込んで大盤振る舞いをしてきた嘗ての国家予算をこれから回収に向かおうとしても無い袖は振れないの喩えのように、今迄通りではどう仕様もならない段階に来ている事は火を見るより明らかである。

 この時期に当って、野田と云う宰相が出現し、「政治生命を賭して」財政再建に取り組んだと云うのは誠に時宜を得たことで、近頃では珍しい出色の宰相と言わざるを得ない。然るにだ!これに横やりを入れる人間が現れた。

 確かに、増税という話は有権者に受け入れ難いのかもしれない。しかし、国家財政が破たんした場合は、ギリシャを例に挙げる前に、バブル経済破たん後の失われた十年でいやというほど予備経験してきている事である。

 更に、遡れば、戦後の日本という国がどのような状態であったか、あの「大政治家」といわれる小沢一郎でなくとも分かっている筈である。

 増して、この時期に来て、国家財政の再建が重要か、又は政権政党のマニフェスト成るものに記載した公約が重要かなどと云うのは余りに馬鹿げている。

 勿論、政党が選挙に掲げた公約をその場限りで放棄したり、変更してよいとは思わない。しかし、衰えたりと云えども生きている国を統治するのに、その時の状況により何を優先すべきかなどと云う事は誰もがやってきたことである。

 その事は、先の野田小沢会談でも野田総理が云っていたが、何を優先するかの時点のずれである。その結果が党を割っても自説を譲ろうとしない小沢一郎という政治家の考えには全く同調できない。

 あの御大、今迄に幾つのぶち壊しをやってきたか知れないが、今度という今度で、国民の大方も分かったのではなかろうか。一時勝利の美酒に酔いしれる時はあっても、その先は常に話が合わないからぶち壊しということでは、よくよく妥協性の無い御仁と見ざるを得ない。

 それを最も端的に示したのは、民主党政権になって、小沢一郎の指示のもとに成立したのは鳩山政権ではなかったか。

 国の行政改革の一つで鳴り物入りで取り上げた事業仕訳によって国家予算は改善されると息巻いて取り組んだのは、その民主党ではなかったか。沖縄の普天間基地を最悪でも県外移転と大見栄を切ったのも民主党ではなかったか。マニフェスト重視をうたうなら、実現できなかった項目についてどのように説明するのか聞きたい。

 それにしても、小沢一郎のお先棒を担いだ筈の鳩山由紀夫と云う政治家の何と節操のないことか。生まれも育ちも名家であり、富豪の御曹司と云うことから、凡そ庶民感情などと云うものは全く持ち合わせていないのだろうか。恩をあだで返すとは、まさにこの人を指す言葉であろう。

 これから、日本と云う国は急速に国力を失ってゆくだろう。その苦難にそれほど堪えないのが、一分のしこたまため込んだ老人連中ではなかろうか。

 その中に私などが入るかなどと云うのは論外であって、それでも、我々暇老人は、忍びがたきをしのび、耐えがたきを耐えてきた世代である。今の不況に苦しむ若者たちに、これ以上負の遺産を負わせないためにも、消費税の増税如きにへこたれるとは全く思えない。

 まあ、ここまで雑言を押し並べて来ると幾らか気分も晴れたが、考えてみると、これも無知な暇老人の「エコ贔屓」であったかもしれない。(12.07.01仏法僧)