サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

47.esilver

 今年の4月から西宮市のシルバー人材センターの仕事をすることになったのは何度か触れている。そもそもシルバーに加入することになったのは昨年秋の市政ニュースを見てのことであったが、正直シルバー人材センターというものがどう言うものであるか知らなかったのである。
 いわゆるハローワークの一出先機関程度に考えていたのであるが、説明会に出席して事務局からの説明に少なからず失望したのである。説明ではシルバー人材センターとは市の外郭団体であり、職業の斡旋ではないとのことである。このことについては取り立てて失望したわけではない。「入会しても向こう3ヶ月は仕事はない」と考えてくれ、とのことであり、更に追い討ちをかけるように「事務や技術の過去の経歴や知識を生かすような仕事はほとんどない」、もしいやなら「この場で帰ってもらって結構です」というつれない話である。
 よほど帰ろうかと思ったが、せっかく出てきたのであり、入っておいても邪魔にはならないので入会する事にしたのである。聞いてみると毎回説明会でこの手の説明をしているようであり、これはなにも西宮に限ったことではないらしい。このあたりは体面を重んずる役人の自衛本能であるかもしれないが、将来の高齢化社会を考えた場合、高齢者の社会参加は国家的命題であり、一人でも多くの「元気な年寄り」を組織に組み入れることのほうが重要ではないかという気もしないではない。
 さりとて現実はこのとおりであり、何らかの仕事(就業という)についた会員は西宮で60パーセント程度であるが、これでも他のシルバーに比べれば高いらしい。これは一つにシルバー人材センターとしては歴史が浅く、会員数が少ないことにもよるらしい。
 事務局としたらあまり高い期待感を寄せられても困るということからこのような説明となっているのかもしれないが、入会するほうでもそれほど期待をもっているわけでもない。もちろん全てとはいえないが、大方はそこそこの生活を維持できていて、多少なりとも社会との接点を持ち、あわよくば多少の収入が得られればというところかもしれない。
 それならばいっそのことボランティアでもということにもなるのであるが、これがなかなか難しいのである。ボランティアといえども全く自分の視点や体力に合わないものにどれだけ役に立つか自信もないしテレもあるのである。
 結局、入会後3ヶ月は説明どおりに何もなかったのである。年を越して1月になって初めて「駐輪指導」の仕事について紹介があったが、あまりにも自分の視点と異なることから断ったのである。仕事の紹介を断るということは後に待っている人が多いことから、その後の就業機会がますます遠のくと聞いていたので、次回(4月)の更新時には退会のつもりでいたのである。ところが2月に入って、事務局から「シルバーの仕事を開拓するための仕事」をしないかという話があり、一も二もなく承諾したのである。
 かくして人生初めての「営業」の仕事が始まり、そのことについては「36.「口入れ屋」銀三」のとおりである。この仕事をさせてもらい先ず気がついたことは当然のことではあるが、実に多士済々の方が会員になられているのである。いわゆる「士」族や「師」族は勿論、様々な職人や職業経験者がいるのである。ところが実際の仕事とは清掃やチラシ配布などが多く、少し気が利いて毛筆筆耕などである。勿論、これらの仕事を軽蔑しているわけではない。これらの仕事があるからこそ文化国家日本が存在していると考えるし、その意味ではシルバーに入って職業観は大きく変化したのである。
 ただ、それにしても、もう少しかつての知識や経験を生かす仕事はないものかと、訪問する会社にそれぞれの適応可能な仕事のテーマを持って臨んだのである。しかし、現実は厳しいもので挫折感を味わうまでにそれほどの時間を要さなかったのである。
 間もなく会員の中にかなりの数の方がパソコンに興味を持っているのに気が付いたのである。これらの方々とインターネットを通じて結びついたなら、会員相互のコミュニケーションと社会参加への結びつきのきっかけが得られるのではないかと考えたのである。
 そこで、これらの会員の中でインターネットとすでに接続している会員を探し出して、声をかけて集まってできたのがインターネット同好会「e-silver」である。5月の第一回の会合で参集したのが14名であり、この時の誰かの発案で「e-silver」と言う名前も決まったのである。
 その後、徐々に加入者も増えて現在三十数名になっているが、西宮市シルバーの全会員850名から見た場合は未だ微々たるもので、今後のITとの関連で更に増加していくことを期待している。
 現在のところは会員相互の情報交換の場として、メール交換が主体であるが、そもそもシルバー人材センターとは全国の市町村の60パーセントをカバーしており、連合体を含めると1300団体を有する団体である。
 これを経営資源と考えないでなんとする、ということで将来の独自事業への展開を提案したところ一部の会員からものの見事に反対されて沙汰止みとなったのである。
 独自事業というのは会員自らが事業を行うのであるが勿論シルバー人材センターのNPO の範疇ということになる。現在でも全国のシルバーで手芸、木工等、かつてのマイスターたちの名人芸が商品化されているのである。ところがこれを一般に知らしめるメディアをもたないところからそれほど目立った実績を残しているわけでもない。
 これをホームペーと1300団体の組織を結びつけたら単なる「年寄りの道楽」から一歩進んだ道が開けることになるのではないかと考えたのである。勿論こうしたことが簡単にできると思っているわけでもないし、それほどの野心を持っているわけでもなく、結果が全て虹色であると思っているわけでもない。
 ただ、我々シルバーが過去の実績ほど今の社会に影響力をもっていないのは、有効な組織を持たないことと、過去へのこだわりから将来への夢を持たないことではないかと勝手に考えている。
 一方で、仕事と適性、適性にあった仕事をテーマに取り組んできた営業活動が徐々に実を結び、うれしい受注が増えたのである。私の好きな「酒蔵通り」からは「山は富士なら、酒は白雪」の小西酒造から大口の仕事を頂き、ユニークなところでは「建築模型」のヤマネ工芸から樹木の模型製作を頂き、ともに就業してもらう会員から大いに喜ばれたのである。
 更に年の瀬も押し詰まって市の情報センターからホームページ制作の引き合いを頂き、最終的に受注が決定し何よりのクリスマスプレゼントとなったのである。
 この制作について「e-silver」に呼びかけたところ、一般会員も含めて3名の方が呼応してくれたのである。金額の多寡など問題ではなく、シルバーの将来につながる貴重な仕事であるので就業者共々力を合わせて喜んでいただける実績を残したいものである。
 かくしてペロのいない一抹の寂しさはあるが、この歳で心からの充実感と燃え上がるほどの心の広がりを感ずる年の瀬になったのである。(00.12仏法僧)