サイバー老人ホーム−青葉台熟年物語

118.土方の掘った坂

 先日、読売新聞の「編集手帳」と言うコラムに「ムカシの人は鶯の鳴き声を人来(ひとく)と聞いたらしい」と書かれていた。通常、鶯の鳴き声はハーホケキョというのが相場だか、このホケキョと言うのを「ヒトク」と聞いたらしく、春になり恋しい人の来訪を知らせる鶯の鳴き声と言うことである。

 早速広辞苑を調べてみたら、鳴き声が由来かどうか別にして、鶯の別名を「人来鳥」と言うのが有る。同じ鳥の鳴き声でもひばりについては「日一分(ヒイチブ)」と聴いたらしいと書いてあったが、ひばりの泣き声は「おてもやん」を持ち出すまでも無くピーチクパーチクというのが今では通り相場であり、昔の人は世知辛く聞いていたのかもしれない。
 尤もこれも広辞苑によるとこの「日一分」に加えて「『一升貸して二斗取る、利取る、利取る』などと聞きなす。」となんともせこい話で、今時のサラ金のはるかに上を行き、これが頭上高くから春うららとは言え、日がな一日、催促されたら生きた心地も無かったのかもしれない。

 こう言う言葉を擬声語と言うらしいいが、擬声語とは人・動物の声を写した語ということらしい。一方、音響・音声をまねて作った語で擬音語というものも有るらしい。こうした言葉は昔と今でも違うように地域によっても異なり、まして国によっては全く違うようである。雄鶏の鳴き声を日本ではコケコッコーと聞くがアメリカではクックドゥドゥルドゥーという言うのは中学生の頃、英語の時間に聞いた話であるが、音声言語というのはカタカナでどう表すかかなり思案するところである。

 そこで外国の話はさておいて、日本における擬声語・擬音語は「おてもやん」を挙げるまでも無く、様々な民謡や童謡、更には歌謡曲などでも取り上げられ、それが一つの思い出や感傷につながっていて、取り分け小鳥の鳴き声が小鳥そのものを指し、様々な思い出を作っている。

 ところで私の分不相応のハンドルネーム「仏法僧」、仏教では至上の行とされているらしいが勿論そんなおおそれたものではなく、鳥の名前から取ったものである。
 この鳥の実態がわかったのは昭和も二十年代になってからと聞いているが、学名上の「仏法僧」と「声の仏法僧」と言う二つの鳥があるからややこしいい。 先ず学名上の仏法僧だが全身が黒に近い青緑色で、くちばしと足が赤く、鳴き声はありがたい仏の教えとは程遠い「ぎゃっ、ぎゃっ、げっけけけけ」と言うなんとも奇怪な声と言うことだが、未だお目にかかったことは無い。

 一方、声の仏法僧は多少のどを締められたような声であるが紛れも無く「ブッポーソー」と鳴き、その実態はコノハズクというふくろうの一種である。したがって鳴くのは夜間であり、そのため実態がなかなか確認できなかったと言うことらしい。蛇足ながら、私の場合は「声の仏法僧」で、ネット上で声はすれども姿が見えないことをもじったつもりである。

 夜間とか夜明けに鳴く鳥にはユニークな鳥が多い。ジュウイチなどは文字通り「十一」と鳴くからこの名前が付いたのだろうが、今でも家の近くで夏のまだ夜も明けきらないうちから「ジュウイチ、ジュウイチ、・・・」と聞くことがある。この鳥、別名を慈悲心鳥と言う厳かな名前が付いており、私の小さい頃はこの名前で記憶している。

 ホトトギスなども朝早くから鳴くが、この鳥ほど当て字が多い鳥も珍しい。杜鵑・霍公鳥・時鳥・子規・杜宇・不如帰・沓手鳥・蜀魂等々であるが、鳴き声は「てっぺんかけたか」と聞こえ、昼夜とも鳴くとなっているが、私は「トッキョキョカキョク(特許許可局)」と聞いていた。
 十一もホトトギスも他の鳥の巣に卵を生む托卵をし、抱卵・育雛を委ねるのだが、そのことが「鳴いて子別れする」ホトトギスの宿命を哀れんで小説の題材になったりしているが、その実は元の鳥の卵を外にはじき出すなどのかなり不届きな鳥である。

 同じ夜間に活動する鳥にご存知ふくろうがあるが、私の小さい頃は何故か、ふくろうの事をホロツクと呼んでいた。鳴き声から来たのか「ホーホーホロツクホー」などと呼んでいたが、ふくろうの事を思い出すと何故か「ホロツク」と呼んでいた同級生の目の大きな活発な女の子のミワコちゃんの事を何時も連想する。

 声と名前が一致している代表選手はなんと言っても郭公ではなかろうか。古来、和歌などでは郭公をホトトギスと訓んでいたらしいが、この鳥も托卵で子供を育てる。 鳴き声は誰疑うこともないカッコーである。
 よく来客の少ない店などを閑古鳥が鳴くと言うがこの言葉の由来は郭公からきているらしい。小さい頃、山の畑で農作業をしている時、遠くの森のてっぺんから郭公の声があたりの山々にこだまして聞こえてきたが、のどかそのもので暫し仕事の疲れ忘れさせるものがあった。

 他の動物の鳴き声が似ているところから呼ばれている鳥に駒鳥が有る。この鳥の鳴き声は馬のいななきに似ていると言うことから付いた名前であるが、ヒヒヒーンと言うよりはもうちょっとか細く「ピロロロ・・・」と言う感じで大変な美声である。
 この鳥、どちらかと言えば亜高山帯の深山幽谷で、しかもガスが梢を音もなく吹き抜けていくときにいかにも寂しげに鳴き、この声を聞くたびに「思えば遠くへ来たもんだ」と言う感慨に襲われるのである。

 同じ深山幽谷にいる鳥で、オオルリなどは姿も鳴き声も美しい鳥で、駒鳥と合わせて、自然のめぐみの楽しみを満喫させてくれる鳥であるが、小鳥とは言えちょっと小生意気な鳥も有る。
 コジュケイがその鳥で、雉科の鳥であるが、その鳴き声が「ちょっと来い」と聞こえ、それを立て続けに繰り返すところから警官鳥などと呼んでいた。コジュケイにしてみたら取り分け意識して威張り腐っていたわけでもなく、悪童達の抗議はいたって迷惑な話であったかもしれない。

 擬音語ではなんと言っても我が故郷、小海線の汽車の音である。あの映画の巨匠、黒沢明監督の「どですかでん」ではないが、小さい頃に聞いた電車や汽車の音と言うのは不思議と郷愁を誘うものである。
 私がいた頃は蒸気機関車C56が走っていて、「この坂なんの坂、土方の掘った坂、デッ、デッ、ポッ、ポッ」とあえぎながら登っていて、決してシュッポシュッポシュッポポなんて軽やかなものではなかったのである。

 そして時々汽笛が長く尾を引きながら山々にこだまして、やがて遠くの山並みに染み込むように消えていく。今信州は爛漫の春を迎え、そして、間もなく二年ぶりに「土方の掘った坂」を登り、あのミワコちゃん幹事の同級会で幼馴染達と再会する事になる。(03.04仏法僧)