サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

182.番場の忠太郎

 世の中不思議なことが起こるものである。以前、この雑言の「股旅演歌」で取り上げた氷川きよし君が、今度は「番場の忠太郎」と言う歌で、レコード大賞にノミネートされたが惜しくも大賞は逸した。

 前回取り上げた時はまだほんの駆け出し出合ったが、今では押しも押されない演歌界の救世主である。音楽文盲が言うのだから当てにはならないが、歌は上手いが、ルックスといっても取り分け目立ったほどでもない。少々頼りなさを感じるところが母性本能をくすぐるところかもしれない。それにしても、そんな氷川君がここまで売れっ子になるとは夢にも思わなかった。それも、今時の音楽先進層である若者に人気があるというのだから分からない。

 しかも今度はこともあろうに「番場の忠太郎」と言うのだから吃驚仰天して、腰を抜かすほどである。この「番場の忠太郎」とは、ご存知、長谷川伸原作の「瞼の母」に出てくる一渡世人の物語であるが、残念ながら原作はいまだに読んだことは無い。この渡世人とは簡単に言えばヤクザであり博打打の事であるが、今時、なんでこれが注目したのだろうか。我々世代でも、ここまで来るといささか古いといわざるをえない。

 そもそも忠太郎と言うのはしがない旅烏という事で、この旅烏とは、定まった住居もなく、旅をしつつ暮らしている人ということで、またの名を無宿人、今で言うホームレスと言うことになる。更に、生国が何処で、なぜ母と別れてしがない旅がらすになったのかも定かではない。

 物語は、忠太郎が飯岡宿の助五郎一家のイカサマ賭博に腹を立て、助五郎を襲って怪我をさせたというところから始まる。この時、新米ヤクザの半次が忠太郎に子分になることを願ったが、忠太郎は半次を生まれ故郷の武州金町に帰って堅気になるように説得したのである。ところが、二人を追ってきた助五郎の子分、七五郎と喜八が、半次の家を突き止めて呼び出し状を突きつけたのである。

 半次の帰宅に母おむねと妹おぬいは涙を流して喜ぶのも束の間、二人が押し入り乱闘になったが、ちょうど通りかかった忠太郎が七五郎を切り倒したのである。半次への後難を恐れた忠太郎は、自分が斬ったと紙に書いて死骸の貼り付けて立ち去るのである。

 一方、忠太郎が捜していた母の消息を知ったおぬいは、忠太郎を追って、潮来の宿で忠太郎と再会するが、ここに助五郎の回し者が忠太郎を待っていたのである。この時、八州の御用役人青木一作と子分の清吉を見て回し者は逃げ、忠太郎は捕らわれたが、清吉の持っていた金町での貼紙を見て忠太郎は母お浜に一目会ってからと頼んで、青木の慈悲で釈放されたのである。

 忠太郎はおぬいと江戸に向い、橋の上におぬいを残して母に会いに行ったが、娘お登世の為にと、お浜は涙を呑んで彼を突っぱね、ここで有名な捨ゼリフを残して立ち去る忠太郎を見たお登世に迫られ、お浜は娘と共に忠太郎の後を追ったのである。

 忠太郎は再び助五郎の刺客に襲われ、彼の名を呼ぶお浜達の声を振り切る様に相手を斬り捨てた。橋の上ではおぬいが堅気になると誓った忠太郎を待ち続けていた。と、言うお話である。

 ここで、飯岡宿とは千葉県銚子市の近くの船岡町であり、潮来はもちろん茨城県潮来市である。更に武州金町とは東京都葛飾区金町で、あの「矢切の渡し」の近くということになる。

 また、飯岡の助五郎というのは、阪東太郎の名で知られた利根川の河口近く、總州(千葉県)一帯に天保の頃、お互に覇を競う博徒の二大勢力を張っていたヤクザで、その一つを飯岡の助五郎、他を笹川の繁蔵といって、事あるごとに近隣の百姓をいたぶり、米、薪炭の類を巻き上げ、婦女子を奪い、田地田畑を荒し回ったが、その取締りに当るべき役人達は、博徒に買収されてしまっていて、百姓たちには何の救いにもならない極悪非道のやからと言う事になっている。

 ただ、飯岡町によると、飯岡助五郎は付近一帯の網元として、漁業経営を行い、海岸に護岸を築くなど社会政策にも功労があり、 墓は光台寺に見られるということである。

 一方、笹川繁蔵は利根川沿岸(千葉県香取郡小見川町辺りか?)の大親分で、その狼藉に対して逮捕状が出され、召し捕りに赴いた助五郎との戦いが、世に言う大利根河原の決戦ということで、後に「天保水滸伝」として浪花節にもうたわれているところである。 この時、繁蔵側が勝利したが、その後助五郎の子分らが繁蔵を討ち、町内定慶寺に葬られたとされている。

 この笹川繁造には武士でありながら、ヤクザの用心棒となった平手造酒がいる。この平手造酒は北辰一刀流千葉周作門下を波紋になり、唯一心を通わせたヤクザ繁造の用心棒となって利根川で死の剣を振るうとなっていて、三波春夫さんの「大利根月夜」の舞台と言うことで、
「利根の 利根の川風 よしきりの
声が冷たく 身をせめる
これが浮世か
見てはいけない 西空見れば
江戸へ 江戸へひと刷毛
あかね雲

止めて下さるな 妙心殿 落ちぶれ果てても
平手は武士じや
男の散りぎわは 知っておりもうす
行かねばならぬ 行かねばならぬのだ」
と、なり、芝居、浪曲、演歌好きにはたまらない見せ場である。

 ところで、肝心の氷川君の「番場の忠太郎」であるが、これを見る限り、なぜこの時期に「番場の忠太郎」が見直されたか分からない。近頃の核家族化による親子の縁の薄れが原因だなんて思うのは年寄りの穿ちすぎなのかも知れない。(05.01仏法僧)