サイバー老人ホーム

355.知行合一

 8月19日付朝日新聞朝刊の「リレーおぴにおん」というコラムに、物理学者米沢富美子さんが日本で最初にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹博士に対する次のような記事が載っていた。とは申せ、私は米沢富美子さんという学者に一瞥どころか、お名前すら存じてはいない。

 書かれた記事を読むと、この米沢富美子さんと云われる方は、私より一年遅れの生まれで、信州の片田舎で泥の付いたままの山牛蒡みたいなのと違って、京都大学理学部を紅一点で卒業され、有能な物理学者として活躍されてきた押しも押されもしない才媛であったらしい。従って、私にとっては最も縁の遠い存在という事で、ここで彼女の専門である物理学について御託を並べようなどとは全く思っていない。

 そもそも、湯川秀樹博士が日本人として初めてノーベル物理学賞を受賞されたという事は、少なくとも義務教育を受けた人であればだれでも知っているのではなかろうか。この受賞は、昭和24年の事で、私が小学校6年の時であった。土臭い田舎の小学校とは言え、それでもノーベル賞の偉大さについては何となく理解していて、それなりに嬉しかった記憶がある。

 湯川博士の受賞には、「敗戦で自信を無くした日本人に大きな希望を与えた」と書かれているが、まさにその通りであった。ただ、「多くの若者が科学を志した」と書かれているが、ここら辺りから米沢富美子さんと、山牛蒡のような私とは根本的な落差があった事になる。

 米沢富美子さんは、「入学した京大理学部では紅一点で、仲間はずれ、思い悩んだ末、伯父が先生(湯川博士)の隣人だった縁で会っていただき、先生は悠揚とした物言いで、読むべき本を教えてくださった」ということである。以後湯川博士からいろいろ教えて頂き、日本の物理学の発展に貢献してきたという事である。

 ここまでは私など及びもつかない別世界の出来事であるが、60年代の大学紛争では研究所の壁に「専門バカの巣」と落書きされたことがあり、「皆が騒いでいたら、先生は「えらい名誉なこっちゃ」。バカと云われるほど専門に徹するのは名誉」、その一言で強く印象に残っています」と書かれています。

 ここまで読んで、米沢先生の足元にも及ばない粗末な教育課程はさて置いて、私が実社会に旅立ってから五十九年の歳月を通して未だに続いている疑問に漸く解決の糸口が見えてきたような気がする。

 それは何かというと、「専門バカ」とか、「天才バカ」という言葉は私も小さいころから聞かされていたが、私ごとき下司の僻みかと思われるのも癪で敢えて黙っていた。ところが、湯川博士のような大先生が「専門バカ」と云われたことをむしろ誇りを感じたという事で急に目の前が開けたような気がする。

 今迄七十有余年の歳月を生きてきて、「天才バカ」よりはもう少しレベルが低い「利己バカ」には数知れないほどあってきた。

 一番最初にお目にかかったのは入社したての会社で、れっきとした紳士が、私等新入社員が取り組む以前の仕事をしている人がいる。聞いてみる名にし負うれっきとしたかのT大卒だというのである。その時は何故と云う疑問だけが残ったが、その後の人生で、同じような人に何人もあった。

 更に、教師と云えば、憧れは別にしても、尊敬に値する人たちであると思い続けてきた。しかし、私のその後のサラリーマン生活の中で、教師経験者と机を並べて仕事をする機会が何度かあったが、一人の例外なしに「利口バカ」だったのである。

 勿論こうした人は、人あしらいなどは申すに及ばず、文字や、文章は右に出る人がいないほど見事だったが、企業の実務的な事に関しては全くの「利口バカ」であったのである。

 然らば、何が「利口バカ」かと云えば、物事の実践に対する知識が全くなかったのである。勿論、大学における専攻が違うと云えばそうかもしれないが、世の中、知らないものを知ろうと努力するのも知者の勤めではなかろうかと思っていた。

 最近、用済み老人として家に引っ込む事になって世の趨勢を見るにつけ、この「利口バカ」が世にはびこっていることに気が付いた。

 何故そうなったかと云えば、この類、手は動かないが口だけは八丁を通り越している。且つて、物知り老人などともてはやされた時代もあったが、用済み老人が社会の役に立つかどうかは何であろうとも実践能力である。

 近頃、文明の進歩により機械化や、デジタル化が進み、実践を自ら示すことが少なくなったのかもしれないが、物事には、その事象の存在意義を明確にする論理と、その実態を示す実践という二面があるという事である

 そもそも、この国の教育は儒教を中心に発展してきたことは万民が認める所だろう。その儒教とは如何なるものか、大口叩くほど知る由もないが、大雑把に言って人の道徳と、自己の支配下の統治、即ち領民の支配に関すること、今風に言うなれば政治が基本であったと考えている。

 然らば実践はどうだったかと云うと、百姓を主体とする所謂庶民階級によって行われていたのである。そこには歴然とした格差が有った。

 江戸時代中期から貨幣制度が発展するに従い、商業が発展し、併せて算盤が庶民の中に普及していった。商業や、算盤はいわば実践(実学)であるが、教育界では何れも不浄なものとして支配階級からは嫌われていた。明治維新になって、これらの考えは破棄され、経済重視の傾向に改められたが、最近になって再び支配関係者は論理に重きを置き、実践から遠ざかる傾向にあると思っている。

 今年の高校野球を見ていて、私が実社会に旅立ったころは、未だ実業高校が幅を利かせていた。この実業高校とは、商業、工業、農業、漁業、林業等であるが、かつては高校野球と云えば大多数がこうした実業高校に占められていた。

 然るに、最近は大多数が普通高校であり、しかも大学の付属高校が増えている。別にこれが悪いというわけではないが、やがて、この国は屁理屈だけを並べる「利口バカ」だけの国になってしまうのではなかろうかと要らざる心配をしている。

 江戸時代の教育の一つに陽明学と云うのがある。この陽明学とは、中国明時代の王陽明およびその学派の新儒教学説で、元・明代に官学として重んじられた朱子学の主知主義的理想主義的傾向に対して、現実主義的批判を加え、主体実践を重視し、認識(論理)と実践を一致させようという知行合一、即ち欲望を肯定する無善無悪などを主要な学説が幅を利かせるようになった。これを、「知行合一」と云ったらしい。

 この「知行合一」とは、「知」(良知)とは端的に言えば認識を、「行」とは実践を指す」という事であるが、陽明学に反感を持つ朱子学者等に誤解され実践重視論として排斥され、一方、心の外に理を認めない陽明学では、むしろ認識と実践(あるいは体験)とは不可分と考え、心の中の葛藤をなくし、不動心を確立する教えであったという事である。
 従って、当時主流であった朱子学からは排斥され、陽明学という呼び名は明治以降に広まったもので、それ以前は王学と云っていたそうである。

 私が住む街は、昭和40年代に関西私鉄の雄、阪急電鉄が開発した新興住宅地であるが、ここを売り出した時、開発会社はどういう意図があったのか知らないが、教師、公務員、大会社の社員を中心に販売したそうである。

 其れかあらぬか、周囲にはいくつの街があるが、現在における我が街のありようは極めて特異である。他の街では老いても男性が主体となって様々な事が進められているが、我が街ではもっぱら女性が中心であり、男性、即ち爺さんたちの姿は殆んど見かけない。

 たまに自治会長などに、この手の人間が出てくるが、物事の基本、論理と実践についての理解が全くなされていない。まさに「知行合一」を真っ向から否定したような状態になっている。

 勿論、女性の社会進出は現総理自ら推進していて喜ばしい事であるが、泰然自若として女性の後ろに控えているなら未だしも、老いさらばえて見る影もないではどうしようもない。

 こうなっては、「知行合一」ではなく、知に明け暮れ、実質的な行をこなす手段が全く見つからず、年を取ってからしみじみと自分の「利口バカ」を悔いても後の祭りというものである。

 世界レベルから見ても決して日本の教育レベルは高くはないそうだが、教師の質量はどこにも負けないものが有るのだろう、多分。見かけ上の教育レベルだけではなく、実践力を必要とする現代こそ「知行合一」を考えるべきではなかろうか。それをどうやって・・・・、意味不明な学歴主義の排除の他あるまいと思っている。(14・09・15仏法僧)