サイバー老人ホーム−青葉台熟年物語

100.豚、木に登る

 この「孤老雑言」が今回で100回を迎えた。先ずはここにご投稿いただいた方々に深甚なる感謝を申し上げます。投稿とは言え、こちらから持ちかけて強引に投稿に加えていただいたものもあるが、何の得にもならない呼びかけに快く応じて頂いた皆様の善意が殊のほか嬉しく感じます。

 さて、このサイトが立ち上がって2年半になるが、指でも百回折るの大変で、何はとにあれ100回と言うのはちょっとした記録である。最初にホームページなるものを立ち上げようとしたのは3年前であるが、当然ながらコンテンツに何をするかが問題だったのである。継続性があって、興味を持ってもらえるものなどこの歳になるとそんなにあるものではない。絵仲間とその作品はすぐに決まった。ついで還暦野球、これだけではちょっと寂しく風土記を加えることにした。

 しかしこれだとオフシーズンには更新が途絶えてしまい、すぐに忘れられそうである。そこで日頃頭に浮かんだ雑念を文章で残すことにしたのであるが、ここまで続くとは自分でも想像していなかったのである。

 それにしても、私と文章と言うのはかなり以前からの因縁である。あの有名な作詞家の阿久悠さんが「瀬戸内野球少年団」の中で、中学時代の担任の先生から「お前の文書は横光利一のようだ」といわれ、これが後々まで影響して、現在の阿久悠さんを形作る上で大きく影響したと言っている。
 私の場合も中学の時、「蒋介石」と言うニックネームのある怖い国語の先生から作文の時間に「志賀直哉の文章のようだ」といわれたことがあったのである。たまたまそのときの作文がそうであって、いつもそうであったと言うことではない。ただ、このひと言が後々の人生に何らかの影響し続けてきたのである。

 こういっても阿久悠さんと私では歴然とした格差があり、阿久悠さんを教え子に持った先生に慧眼があり、私の場合は、駄馬は所詮駄馬であって、いささか「豚もおだてりゃ木に登る」の感がないでもない。ところが自分が豚であることにはなかなか気がつかないもので、文学(物書き)の夢は果てることなく、間もなく人生の終末を迎えようとしている今も続いているのである。そのかけら一つがこの「孤老雑言」であったのかもしれない。

 最初のかけらは、高校の修学旅行である。我々の修学旅行は昭和20年代の終りであったが、当時はまだ戦後が色濃く残っていて米持参の伊勢志摩・奈良・京都の車中泊2泊を含めた4泊5日の旅行だったのである。それでも天にも上る嬉しさで、行った先々でメモを取り、後日幾つかのノートに旅行記として書き残していたのである。これが定年後に整理をしていたらでてきて、清書してみるとなんとA4で47ページもの大作であったのである。

 大学でも文芸サークルに入ったが、ここでは作品の趣が合わなかったのか作品は残していない。ただ会社の文芸サークルでは大いに活躍し、立て続けに「問題作?」を発表して問題になったのである。ところが当時の文芸サークルと言うのは大方思想的にはいわゆる赤系統(左翼系)のものが多く、会社の意向としては受け入れがたいところがあったようである。

 その後、会社が変わり、一時期、田舎の工場に単身赴任した際、世の矛盾、会社の矛盾、取り分け親会社と下請け会社の矛盾に数多く出会うことになり、更に個人企業の矛盾に遭遇し、人間の幸せのために作った会社が人々を苦しめる矛盾を感じ、これらを纏めて小説(空洞)として出版したのである。この本、意気込み程は売れなかったが文学への思いはその後もくすぶりつづけていたのである。

 それにしてもこの「雑言」、初めの頃は週1回の割で、最近は月2〜3編になっているが、ここまで続くとは本人も思っていなかった。雑言とは言うものの間違いなく雑念である。これだけ雑念があったら脳梗塞になるのもむべもないと思うのであるが、これが意外とそうではないのである。

 いわゆる今はやりの活性酸素と言うのはストレスが高じたときに発生するものらしいが、この「雑言」は言わば趣味であり、楽しみでやる限りはストレスは高じない。ストレスが高じない限りは活性酸素も生じないだろうと勝手に思っている。

 ところでこの「雑言」文字通りの雑言であり、私見というほどのものでもない。従って、当然、何方かから、正当なご意見が寄せられるものと期待していたが、正面、裏面とも今のところ期待はずれになっている。もし寄せられたら喜んで訂正、若しくは削除しようと思っている。尤も、正当な評価をする価値もないのかも知れないが、こちらも読んで頂ければそれで結構だと考えているだけである。

 ただ、これだけ自分を曝け出すと「馬鹿丸出し」であり、「よくも恥ずかしくなく」と思われるが、事実恥ずかしいとは思う。思うのであるが、妙に自分を飾ったところで、私を知る人から見ると「何だ、あいつ気取りゃあがって」と思われるのも気分が悪い。結局、何も残さないように吐き出すことにした。

 さて、この「雑言」何時まで続くかと言えばそこのところは定かではない。しかし最近の傾向を見ると投稿が増える傾向にあり、そろそろ雑念も底をついてきたのかもしれない。完全に底をついたときが解脱の心境か、はたまた完全に痴呆状態ということかもしれない(これもどこかで言ったかな)。

 しかし、こうして書いているとあの「年寄りの自慢話」ではないが無意識のうちに同じパターンの文書が出てくるから情けなくなる。これもそれだけ歳を取った証拠かもしれないが、それならそれで、この際、自慢話でも繰り返そうかとも思っている。(02.10仏法僧)