サイバー老人ホーム−青葉台熟年物語

65.坊主頭

 入院6日目で坊主頭にすることにした。特別な思いがあるわけではないが入院という事態でもっとも無駄と思うのが頭髪である。それほど頻繁に洗髪する機会も無く、衛生面と快適さを保つことと、看護婦に迷惑をかけることになるので思い切って短くすることにしたのである。

 あの「自慢のライオン丸」の鬣をである。家族の不評に背を向けてひたすら意気地の無くなった頭髪を叱咤激励してきたがこの際あっさりあきらめることにしたのである。もっとも1日中天井を見上げて横たわっていると髪の毛も全方向に広がって格好などといえたものではない。寒冷地の防寒帽のようになる。多少は未練も無いことは無かったが、この際ばっさりとカットすることにした。

 若い看護婦さんにお願いし、病院にバリカンがあるか聞いてみると同じような人間もいるのだろう、ちゃんと備え付けているとの事である。早速持ってきてやってもらうとこれが恐ろしく切れないのである。電気バリカンだから髪を食い込むことは無いが、カットしている方向を頭上を通して推測するに、どうやらカットする方向がめちゃくちゃらしい。

 本来ならいわゆる逆芽側から刈り上げるのであるがこれが斜めあり、横ありで髪の毛があるところを手当たり次第やっているらしい。特に頭頂部は渦を巻いているだけにかなり往生していたようである。それでも1時間近く悪戦苦闘して刈りあがってみるとなんとなく頭がやけに軽くなった感じである。家内が持ってきた鏡を恐る恐る除いてみると、これがなんと意外と可愛いのである。それに何よりもほっとしたのは頭の形があの老人特有の「拳骨頭」ではないのである。

 こんなことを自慢しても仕方が無いが、小さい頃から少々サイズは大きかったが形だけは良かったのであるが、その形の良い頭の痕跡をいまだに残していたのである。分かりやすく言えばあのテニスのアンドレ・アガシの頭なのである。多少手前味噌ではあるがあの髪の毛が頭のてっぺんで薄くなったところも同じである。だからと言って自慢するほどのことではないが何かに象徴されたほうが自分としては励みになるというものである。

 思えば中身は別としてこの形の良い頭を覆い隠したのは高校3年の秋以来であるから太陽の下に全貌をあらわしたのは実に45年ぶりということになる。生えているものは四捨五入しなくとも限りなく白になっているが形が原形を保っていたのは何よりもうれしい。45年前に当時禁止されていた長髪を2人の悪童と共に「長髪と短髪の限界を示せ」などという屁理屈を並べ担任にI川先生を困らせて「短髪」の限界に挑んだのである。

 爾来、多少の出入りはあったが45年間頭上を覆い被せてきたのである。しかしカットしてみると家族には比較的に好意的に迎えられ、唯一例外は三番目の孫だったのである。母親に抱っこされて奇妙なものでも見るように見つめていたが、やがてくるっと背を向けるとなんとべそをかき始めたのである。

 ところが丸坊主になってみるとこれがまことに気持ちがよいのである。最も通常の他人を意識したヘアーファッションと違って生活の根本にかかわることだから良いも悪いも無い。考えてみると頭の形で他人を意識しなかったのも少年時代以来ということになる。この「重圧」がなくなっただけで気分は頭以上に軽くなったのである。

 それとこの丸坊主頭を鏡で見て驚いた。親父の顔とそっくりなのである。もともと兄弟からは「よく似ている」とは言われていたが薄気味が悪いほど生き写しなのである。自分でもエレベーターの鏡で自分の姿を見るたびにギョッとするのである。尤も入院以来飲酒は飲み始めて以来の長期禁酒であり、その上厳重にカロリー管理されているから入院時より一回りも二回りも細くなった。言うなれば似ている部分が凝縮されたために余計似てきたのかもしれない。

 それにしても世間の仕組みから実質縁が切れたことによるためか坊主頭を通して思い出されるのはあの少年の頃の思い出ばかりである。病室の窓を通し眺められる夏空を見ていると、風に「ざわわ、ざわわ」そよぐさとうきびではない葦の羽音が騒ぐ千曲川のかわらの情景である。

 まもなく夏真っ盛りを迎え、買ってもらったばかりのタイガースの帽子をかぶった坊主頭が一目散に川原に駆け下り、服を脱ぐのももどかしく流れの中に飛び込んでゆくのである。(01.07.02仏法僧)