サイバー老人ホームー青葉台熟年物語

133.ボランティア

 いつも買い物に行くスーパーに掲示板がある。
バスを待つ間、暇つぶしになんとなく見るのだが、その日はある案内に目が止まった。

 それは要約筆記ボランティアの為の講習会の案内であった。
よく読むと聴覚障害者の為に相手の話しを短く要約しそれを筆記して見せる。その為の講習案内だった。

 いつもの癖で、これなら私にも出来そうだな、やりたいなと思ってしまう。
私はリウマチだけど、右手(利き手)はお箸、鉛筆程度の細さなら持つ事は出来るし、字を書くのは好きだから、簡単なように思ってしまった。

 ところが、講習の場所は市の福祉保険センターと書いてある。
さて、そこへどうして行けば良いのか?いつもの定番でここで挫折する。

 私は車の運転は出来ない。今から免許を取るといっても、頚椎固定手術をしているので、左右、上下共に首は動かせない。
 だから、道路の左右確認は出来ない。前方とバックミラーだけで運転する自信は無いし、第一こんな人間が運転していては、社会の大迷惑だろう。
心残りはあったけど、諦める事にした。

 なにもボランティアという大義名分がなくても、本当はする事はいっぱい有るんだけど、大義名分に引っ張られないと足が前に出ないところも有る。

 こんな事を考えるのも、体調がいいからである。
悪い時は身体の辛さと痛みに支配されてしまうので、それどころではなくなる。

 今日は、久しぶりの梅雨の晴れ間で、さぁ溜まった洗濯物をして、掃除機もかけてと思っていたところ、「おはようさん」の声。いつも来られる近所のNさんだ。

 「はーい」という間もなく朝食を摂っている私の前に、ちょこんと座られる。
私が一人暮しなので、遠慮がないからだろうか・・・
こうなると、洗濯も掃除も諦めるより他無い。

 私の、親くらいの年齢の方なので、お話される事は今まで何度も聞いた事の有る話しだが、それでも初めて聞くようにしてお相手をする。

 そして夕方6時ごろ帰って行かれるが「みのさんが(おもいっきりテレビのみのもんたさん)人とおしゃべりすると、ボケないっていうとった、あんたもこれでボケへんわ」という有り難いお言葉を頂戴する。

 後で考えて見るに、これって一種のボランティアじゃないかな?って言う事。
つくづくボランティアはしんどいって事が分かりました。
 テレビの天気予報が「明日は大雨が降ります」と言っているのを聞いて溜息をついている私です。

ここで一句 「良い人を 演じた今日の 疲れよう」(03.09りぼん)

参照:「私の自適生活」より(http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Namiki/6846/)