サイバー老人ホームー青葉台熟年物語

51.美容院


 先日生まれて初めて美容院というところに行ってきた。取り立てておしゃれをしようということではない。昨年から伸ばしている髪の毛がどうしても格好が取れないので、已む無く行ったのである。
 あれ以来たまには床屋にも顔を出していたが、行くと短くカットしてもとの木阿弥になるのである。やむを得ずずっと伸ばしっぱなしにしていたが今度は生まれながらの癖毛のためいくら撫上げても意のままに落ち着いてくれないのである。

 この間家族からは全く不評で、事あるごとに文句を言われていたのである。だいぶ以前から通勤途上に男性も入っている美容院、正確にはヘアーメイクと看板に掲げた店があり、一度入ってみよう思っていたのであるが、なんとなく躊躇していたが、とうとう制御不能のところまで来てしまい、あまり込まないような日を選んでいったのである。

 ヘアーメイク「貴婦人」といういささか私には不釣合いな名前の店のドアを開けてはいるといつもの床屋と違って若いお嬢さんが「いらっしゃいませ」。
 おずおずと「男でもよいのかな」「どうぞどうぞ」と愛想がよい。一番安いヘアーカットとシャンプーにしてもらうことにした。「ただいまカルテをおつくりしますからそちらでお待ちください」だって。「カルテ」というのは病院だけと思っていたが、美容院でも使われているとは知らなかったのである。

 商品カタログみたいな女性雑誌を見ていると間もなく「どうぞこちらへ」と案内されたのは先客と向き合う形に据えられた両面鏡の反対側である。座るように促された椅子はいつもの床屋よりだいぶ平凡な椅子である。座っているとさっき見ていた女性雑誌を3冊ばかり持ってきて無言で前に広げるのである。(ははあ、美容院で釜をかぶった女性が見ているあのスタイルだな)と思ったが、メガネも無いので断った。

 やがて現れたのが今風の頭をした蚊トンボのように足の細い若者である。見ると腰に道具を入れる袋をぶら下げて厚底靴を履いており、あの昔懐かしい西部劇スタイルなのである。ただしあれほど男っぽさは無い。
 「こんなじじいですまんな」というと「いえいえ、毛のあるうちは誰でもお客さんですから」とぬけぬけといいよったのである。

 「どんなスタイルがお望みですか」と言われても未開の開墾地みたいになっているのでどんなもこんなもない。「去年から一度長髪にしてみようと伸ばしているんだが、ご覧のとおり格好がつかんのや」といい訳みたいなことをいうと「分かりました。やってみましょう」と何か一大決心でもするような言い方をするのである。

 「昔は髪の毛の長いやつを見ると、とっ捕まえて、何だその頭は、なんて言っていたんだが、一度伸ばしてみたいとは思っていたんだ」というと「それはそうですよ。どうせほっておけば伸びるんですから」とぬかしおったのである。

 襟足の毛をばさばさとカットしながら「カラーはやったことがありますか」「だいぶ昔だな」といってふと考えた。私の頭の中にあったのは昔の学生服の詰襟の襟につけるプラスチックのカラーを想定していたのであるが、いまどき襟のカラーというのも変だなと気付いたのである。

 「マニキュアはどうです」「いやそこまではしたいとは思わんね」と言ったが、これもどうやら爪のマニキュアではないらしい。話の調子では毛染めの方法の一つらしいがわからないことに調子に乗って茶髪にでもされたら大変だからやめることにしたのである。

 床屋のときは後ろ鏡などあまりしないから、後頭部がどの程度貧弱になっているか分からない。「後ろはこんな合でいかがですか」と見せられたが、予想以上に地肌が露出いているのに愕然とする。「こんな少ない髪ではやりがいがないやろ」というと「まだまだ、だいぶましですよ」と心にもないお世辞をいいよったのである。

 シャンプーは別の女性が担当し、洗髪の場所まで案内されたが椅子が洗い場を背にしておいてあるのである。まごまごしていると、「そのままお座りください」といわれて座ると、椅子がぐるっと回るのかと思ったらそのまま椅子を後ろに倒し、頭を洗髪器の中に入れるのである。いわゆる逆海老スタイルである。これは老人にはつらい。「肩の力を抜いて頭をもたせかけてください」というのであるが、もともと自分の頭のでかさは知っており、果たして言われるとおりにしてよいものやらなんとも心もとない。

 結局、最後まで首筋に力を入れて自力で支えつづけたから終わったときは首が硬直してしばらく下を向けないほどであったのである。
 1時間ほどで終わったのであるが、最後の整髪の段階で、「てっぺんの毛はなるべく立たせておいたほうがよいですよ」という。「さようか」といったのであるが、もともと密度も勢いも貧弱になった部分を立ち上がらせても何時間持つものか、と思うのである。

 仕上がってみると懸案の癖毛の部分からばっさりとカットされており、志したイメージとはほど遠いものになっており、いつもの床屋でやったのと大差がないものになっていたのである。

 と言う事は・・・、どう転がしてみてもここらが限界ということかもしれないとなんとなく見極めがついたようで、情けなく思うのである。(01.02仏法僧)