サイバー老人ホームー青葉台熟年物語

181.あと五年・・・

 前、この雑言「靴」で、現在の既製品社会で、自分にフィットした既製品が無いのをうらむより、自分にフィットしたものを造ってしまえばよい、と言うような発言をしたことがある。

 その後、自分の生活の中で、不都合を感じた場合は極力この考えで押し通すことにしている。とは言え、この便利な世の中で、決定的に自分にマッチしないものはそれほど無い。

 「靴」の時にも触れたが、足の装具については、布製のもの、軟質プラスチック製のものなど試してみて、結局、現在は軟質プラスチックのものに落ち着いている。ただ、この場合も、硬質の物に比べて多少の柔軟性はあるが、生理学的に見た足の動きとは相容れない点もあり、十分満足しているわけでもない。

 最近、川村義肢と言うメーカーが油圧式短下肢装具と言うのを造ったと言うことで、まだお目にかかったことは無いが、少し前進したのかもしれない。

 肝心の靴については、何とかと言うドイツのメーカーの製品を、通常の靴の十足分にも相当するお金を払って購入してみたが、靴先が貧弱で、日本の道路には向いていないようである。ただ、さすがに靴の先進国だけあって、着脱の容易さに加えて、フィッティングに対する細かい配慮はさすがである。

 その後、歩行能力の回復と、靴紐を片手でも結わえるクリップを発見し、靴の問題はほぼ解消した。日常生活では、麻痺側の手に関すること以外は、ほぼ、平常どおりこなすことが出来るほどにこぎつけた。

 ところで、我々老人の生活パターンと言うのはどんなものかと言えば、これが情けない。取り分け男の場合は、現役を引退した途端に一気に老け込み、社会の粗大ごみになる。
 せいぜいベージュ色のシャツとパンツをはき、同色系の鍔つき帽子をかぶり山野を彷徨するか、無意味に温泉巡りをするのが関の山である。ただ、これ自体は一時的な快楽に過ぎず、生活の基本的なパターとはなりえない。

 勿論、名も財も成し、地位を得た人はそれなりの充実した人生を謳歌していると思われるが、凡そ会社などと言う世界は人生においていかほどの役に立っているのか疑問がある。

 卑近な例が、誰もが認める日本の代表的な経営者であり、その支配する会社は日本の有数の会社であっても、先ごろあった自社株式に関する不正処理によって、一旦、悪と言うレッテルが貼られると、その人の人生すべてが否定されてしまう。その後のギャップを考えると、余り高い地位などと言うのも考え物である。

 こうなると、今では余り耳にすることもなくなった「清く、正しく、美しく」と言うのが、人生の終章を迎えた我々老人にとっては理想の生活パターと言うことになる。ただ、この「清く、正しく、美しく」といっても、アナグマのように一人引きこもっていても話しにならない。「美しく」と言うのはさておいても、少なくとも社会に向けて「清く、正しく」は発信し続けなければならない。

 ところが、年をとるというのは情けないもので、社会との接点が極端に狭められることになる。
 然らば、おまえはどうだという事になるとこれがいささか頼りない。ただ、昔から「芸は身を助ける」と言われるが、芸と言うほどのものではないが、興味だけは様々なものに持ってきた。その中で、身体上の都合により、運動に関するものは当面、放棄せざるをえない。

 残されたものは、今では趣味の領域になったパソコンである。これについても「雑言」「貧者の一灯」に書いたように公民会主催のパソコン教室のボランティア講師として参加し、加えて前から参加しているシルバーパソコン教室にも参加し、今年は想像以上の忙しさだった。

 ただ、ボランティア団体とは言え、一応の組織の形態をとっており、運営に当たっては様々な軋轢があるようで、最初に予想していたような心地よい時間とはならなかった。

 次が、絵画については、特別養護老人ホームでの月二回の絵画指導と、同じく月二回の絵画教室への参加であるが、こちらはいずれもほぼ順調で、私の生活パターンのベースとなっている。

 まず、特養老人ホームでの受講者は八人程度であるが、その日の体調によって参加人員は変わってくる。ただ、高齢と言うこともあって、日に日に老いは進んでいくが、欲目かもしれないが、絵を画いている人のほうが意識の老化は遅いようである。その都度、浮世離れをした会話を交わし、自分の老いと相談しながら楽しく過ごしている。

 絵画教室のほうでは、一応具体的な成果があった。成果といっても、さほど大きくない町の美術展の入選であるが、かつては利き手で無い左手で画いた作品と言うことで、左手の成長を喜んでよいのか悲しむべきか複雑な心境である。

 時間的に見るなら、これが最大のウエイトを占めている「文学賞狙い」がある。この世界が生易しいものでないことは百も承知している。ただ、文章を書くということは私にとって、若い頃から途切れることなく続けてきたことで、大げさに言えば私の人生そのものであった。

 昨年暮れから今年にかけて執筆した「渾身の一遍」は見事落選の憂き目になった。ただ、この作品、以前にも触れた私の故郷信州の歴史を書いたノンフィクションであり、売れる、売れないなど、どうでもよい。今度は半世紀前に後にした故郷への思いを込めて出版することにした。

 振り返ってみると、あんなこと、こんなことを取り混ぜて、結構にぎやかで、楽しい一年だったような気もする。
 現在、読売新聞に、宮本輝さんの「にぎやかな天地」と言う小説が連載されている。新聞が配達されるのが待ち遠しいほど面白い。この作品の中で登場人物の会話に「人間は死ぬ前の五年間が幸せだったら、幸せに生きたと感じる」と言うようなことが書かれていた。

 老いは間違いなく進んでいて、私にとって、これから先五年間があるかどうか分からないが、あと五年の命としたら、大概のことには辛抱も、努力も出来るような気がする。

 肉体の老いは覆うべくも無いが、せめて心は常により高きにありたいと願っている。そして、その五年間の最初の年が間もなく始まり、そして来年の暮れに再び新しい五年間が始まるようにしたいものである。(04.12仏法僧)