サイバー老人ホーム-青葉台熟年物

44.ITの恐怖

 発端は昨年秋のメモリーの増設である。なんとも動きの鈍いパソコンが何とかならないものかと思い、ハードに付いて来た「拡張計画」というマニュアルを見て行ったメモリーの増設である。それが思いのほか巧くいって、これが病みつきになったのである。
 今年に入り、本屋で「自作パソコン攻略読本」という本を購入し、おぼろげながら可能性が見えてきたような気がしたのである。ただこの本は「パソコンの本」の例外ではなく、はじめは大衆向けであるが、途中からはプロ向けに変わり、やっぱりついていけない部分が多くなったのである。それでもパソコンを構成する各ユニットの特性や機能をメモに書き出し、ある程度頭の中の整理はできたのである。
 次に手にしたのが「PC/AT互換機製作講座」という本である。この本にいたって、松坂投手ではないが、かすかな可能性が確信に変わったのである。「よしこれなら俺でもできる」と考えるようになったのである。以来、各ユニットの仕様と価格をユニットを扱っている店に顔を出し、調べまわり、最終的に予算10万円以内を目標に自作パソコンの仕様書を作ることにしたのである。
 こう言うとなんとなく専門家らしい感じがするがそんなものではない。試行錯誤と躊躇の連続であり、現役時代の癖は一向に抜けていないらしい。それでも9月に入って、仕様書はほぼ出来上がった。ただこれを専門家が見て成る程となるかといえばいたって自信がない。
 結局踏ん切りがつくまで1ヶ月かかったがいつまで考えていても問題が解決するわけでもないので、11月に入って、一気に各ユニットを買い集めた。こうなると早いもので、組み立てには正味二日ほどで完了した。ただ、問題はこれですんなり動いてくれるかどうかであるが、これが意外とあっさりと行き、致命的な欠陥らしきものはほとんどなく完成したのである。
 これに要した費用が若干購入の不手際もあったが、締めて10万5千円で予算より少しオーバーしたがまずまずである。性能的には自信と予算がなかったこともあるが、いつもの癖で少し引いて構えたこともあり、万々ということではないか、今までのハードに比べれば月とスッポン、比べようもないほど上々である。特にメモリーとハードディスクについては今年の夏にSCSIの増設に苦しんだことがうそみたいである。
 ところで、先日、前に勤めていた会社の創立記念日に招かれて出席した際、以前から親しくしていただいていた某O大の名誉教授であられたM脇先生にお会いした。M脇先生は今のコンピューター時代を作った草分け的存在で、昭和20年代から電子工学を専門にされてきた先生である。
 その時、話題が自作パソコンにおよび、「私も」と言うことに対して「怖い、怖い、あんたのようなド素人までがそんなことを言い出して」と言われるのである。伺って見るとこうである。
 「あなたは意識しての事かどうか知らないが、素人がパソコンを作るなんてことは、素人が原爆を作ることと同じなんですよ」と言われるのである。「そもそも今のパソコンはそれを使う人間の能力をはるかに超えており、パソコンの持つ能力のうち、実際に使われているのはその何百分の一か、もしかしたら何万分の一かもしれない。すなわち人間はまだパソコンを使いこなしていないのです。ただこうした傾向は最近特に著しくなって、中身については全てブラックボックスで、一般の家電製品並に扱われるようになってきているが、パソコンが持つ本来の力はそんなものではなく、使い方によっては、人間のためにもなるが、大変な凶器にもなりうるのです」と言われるのである。
 最近、政府を中心に「IT革命」と称し、猫も杓子もITに浮かれているようであるが、物事に全てがよい方向になったためしがない。特に人間が開発したものではそうである。まして、パソコン嫌いの役人が決めたことが巧くいくはずがない。特に,パソコンに触ったことがあるだけの何処かの失言宰相が提唱することがバラ色だけに輝いているなどと考えないほうがよさそうである。
 最近,テレビでアメリカのハッカーと言われる若者たちと国防省の高官との対話集会が放映された。この時、参加した一人の若者が「われわれは何も悪いことをしているわけではない。誰でも見れるものを見て何が悪い」と言うような発言をしていた。いわゆる彼らにとっては他人のコンピューターに侵入するのは進入できないように防護処置を取らないほうが悪いのであり、自由に出入りできるのは「公知の事実」と言うことになるらしい。
 パソコンと言うのは不思議なもので、問題点を突き詰めていけば一つずつ着実に開けていくものである。それがまたたまらない魅力であるかもしてない。ただそうして開けていく中で、社会全体との調和をややもすれば置き忘れてしまうようなところがある。テクノロジーのみが全てのようなところがあり,テクノロジーを身につければ全てに優先するような優越感を錯覚するのである。
 今度の自作の場合もユニットを買うときの謙虚さに比べ、組み立て時の店員の若者の態度はいかにも横柄である。「こんな事でもわからんのか」と言う態度がありありである。
 かつて自分の歩いた道を振り返っても力こそ全てのような世の中の風潮がこうした日本を作り上げたような気がする。今後ITを推進するには根底に厳然たるモラルハザードが必要であるが、最もパソコンの嫌いな役人達によって果たして暴走する若者たちを納得させるモラルハザードが醸成できるか疑問である。
 コンピューターの原理から現在にいたるまでのプロセスを見続けてきたM脇先生の畏怖はそんなところではなかったかと思う。いずれにしても、私如きが「原爆」を作ろうなどと思わぬうちに、ハードの追求はこのあたりを行き止まりと考え、引き返すことといたそう。
 とは申せ、このパソコンは私にとってかけがいのない分身であり、この自作パソコンが我が家族とこのパソコンにかかわりあう全ての人を幸福に導いてくれることを祈念して「Bosatu-1」と命名した次第である。(00.12仏法僧)