サイバー老人ホーム-青葉台熟年物語

84.120円の旅

 このサイトに投稿して頂いている空色宙平さんに「120円の旅」のことを教わった。大阪駅を基点として、区間特例で同じところを通過したり、途中下車をしない限り最低運賃で自由にコースが取れるということで、時刻表の末尾のも載っているJR公認の「運賃計算特例」だそうである。

 この旅に、この雑言でも紹介した「e-silver」からの誘いもあり、参加することにした。大阪駅10時に集合と言うことで、少々早めであるが、20分前には大阪駅につき、いったん改札口を出て120円切符と、序でに弁当のサンドイッチとおにぎり2個を買う。これで〆て670円とはなはだ安い旅立ちの準備は完了である。まだ時間も早いが、ホームに出てみると、なんともう大部分のメンバーが集まっているではないか。老い先も短くなると誰でも気がせくものらしいなどと余計なことを考える。

 10時15分に近江今津行き快速に乗り込んだのは総勢9名で、会長のS水さん、幹事役のT喜さんなど気心の置けないメンバーである。
 最後尾車両に乗り込んだのはトイレがあるからで、私に対する配慮、大いに助かるがそれほど近いわけでもない。間もなく京都を過ぎると車両は俄然すいてきた。そうなるとにわかに元気が出て来たS水会長、おもむろにバッグからボトルを取り出す。紙コップまで用意して私にも回ってくる。だが、これ以上、ヨイヨイになっては大変なので、「遠慮しておきますわ」と言ったものの、見ると我が西宮の「美味い酒」白鹿の吟醸酒である。こうなると話は別で、普段の意地汚さも手伝って、「わしのもちょびっと」ついコップを持った手が出るのである。

 「白玉の歯にしみ透る」のは何も秋の夜だけではない。久しぶりに飲んだ吟醸酒、五臓六腑に染み渡ると言いたいが、文字通りちょびっとであったのがちょっぴり心残りであった。続いて同行のO塩さんが今度はワインのボトルを取り出した。

 実はこのワインもこのサイトに投稿して頂いている豊辺さんから紹介されたもので、1本が何と398円という優れ物。しかもれっきとしたイタリヤワインで、名前は「『EST!EST!EST!』(「エスト!エスト!エスト!」とは、関西弁では「これや!これや!これや!」という意味で、昔、ローマの偉いお坊さんがこの種のワインを呑んで、思わずそう言った?とのことです)」と言う解説付きの逸品で、さすが食通の豊辺さん推奨だけはあると大いに感激したのである。それにしても一人当り、45円弱とは安いものである。

 更に、S水会長が取り出したのがオランダ製の何とかと言うチーズ、ところがこのチーズ味はすこぶる良いが、すぐに形が壊れてしまう。豆腐とまでは行かないが、ほぼそれに近い、こうなると片手しか使えない私の場合は往生する。残り物の福ではないが、最後に私に包装の銀紙のまま渡されたが、どうして食べたらよいかはたと迷ったのである。ままよとばかり犬食いバリに舌でなめまわしたが、後はどんな顔になったか想像にお任せする。

 終点の近江今津で敦賀行きに乗り換えて、次が近江塩津である。ここは大阪大都市近郊区間ぎりぎりの北東の駅に当たるらしい。途中検札に来た車掌、宙平さんのときは「どうぞお楽しみください」といきな応対であったらしいが、我々の場合は「(キップを)見せてください」いたって無愛想である。怪訝そうなあの顔はこの運賃特例を知らなかったか、はたまた我々の人品骨柄を見たかである。

 ここから琵琶湖の東側に出るのであるが、待ち合わせ時間がかなりあるので一旦、待合室に出る。駅舎も待合室もそこそこ立派であるが無人駅だからめいめいトイレを使ったり駅前の風景などを眺める。待合室には一心にメモをとっているグループがあり、句会かなにかのようであるが、我がグループとはいささか格調が違うようであった。

 ここから同じ目的の4人の女性グループと一緒になり、つかず離れず最後まで行動をともにするのである。次の長浜までは25分程度であり、間もなく車窓に現れた与呉湖をそれぞれにご自慢のデジカメで収めていると間もなく長浜についた。

 長浜で東海道線姫路行きの快速に乗り換えて、次は草津である。考えてみると湖東線に乗ったのは中学の時修学旅行以来ということで実に50年ぶりということになる。
 長浜で買い込んだビールを飲みながら遅い昼食をとる。途中近江八幡でこのサイトに出展していただいた出口さんの「近江八幡掘」の絵に思いを馳せる。以前、旧い町並みをテーマに画いていたが、ここにも忘れ物を置いてきたようである。

 途中、我が姓と同じ駅名があったが、申すまでもなく我が家系とはまったく関係なく、我が祖先は信州のどこぞの篠竹の原っぱに住んでいただけのことと勝手に思っている。
 守山辺りで、我々3人が座っている席に老婦人が乗り込んできた。早速、S水会長が「あんた大正生まれ?」と声を掛ける。ご婦人の方も臆することもなく「15年」とこたえる。途端に「おう、同級生!」と言って握手するのである。このノウ天気さがS水さんの真骨頂と言うことになる。

 S水さんという方、れっきとした技術屋で、戦前戦後で冶金・金属の技術屋と言うのは最右翼であり、その後鉄屋に入社してサラリーマン人生を過ごしたのであるが、鉄屋と言うよりは豆腐屋にしておいた方が良かったのではないかと思うくらいである。
 このS水さんとは私が勤めた会社に共通の知人がいることから奇妙に気が合って、e-silver発足時より会長に納まっているが、パソコンの方はさっぱりだと自認するように、まあそんなところかもしれない。

 ここで家内への土産として、名物の「うばが餅」とやらを600円で買う。この餅なかなか由緒あるもので遡ること450年、永碌年間近江源氏の流れをくむ佐々木義賢縁の餅というから古い。
 余談ながら、帰って、開いてみると餡子に包まれた指先ぐらいの小さな餅で、味はすこぶる良い。いささか艶めいた表現ながら、形は乳母の乳房に似せたと言うことであるが、あれは乳首である。結局、家内へと言うことであったが大部分は自分で食べてしまったが別に形が気に入ったわけではない。

 草津で草津線に乗り換えて柘植に向かう。この線は初めて乗るのであるが驚いたことには三重県に入るのである。柘植で更に関西線の加茂行きに乗り換えるのであるが、1両だけの小さな車両で、おまけにベンチ式のシートだから同じ旅のご婦人方とも顔を合わせる形になり、親近感も増してくる。こうなるとS水会長の独壇場で、高級デジカメでビシバシと写真をとり、ちゃっかりと住所なども聞いている。何てことはないナンパである。尤もこの歳になるとするほうもされるほうも人畜無害と言うことか。

 その後、奈良で大和路快速に乗り換えてまっしぐらに大阪へ、最終目的地の大阪駅の隣、福島駅についたのは16時20分、この間の走行距離339キロ、所要時間6時間、乗り換え7回、正規の運賃に換算した場合5660円の旅を120円で済んだのである。

 「何たる暇人!」と言われそうであるが、いやいや閑中にも閑あり、枯れ木も山の賑わい、気持ちだけでもJRの活性化には役立ったと自負しているのである。(04.05仏法僧)