付和雷同流行追尾型人間
ある本で「付和雷同流行追尾型人間」という言葉を見つけました。この言葉、おそらく造語と思われますが非常におもしろい言葉だと思います。
さて、この言葉の意味がわからない人に一応説明をしておきます。「付和雷同」とは自分の考え方が無く、他人の意見に左右される人のことを言います。優柔不断とよく似ていますが決断力という点で付和雷同とは違います。
「流行追尾型」とは流行ばかり追い続ける人のことです。この本の著者は現代にはこの付和雷同流行追尾型人間が異常に増えていると言います。私もそう思います。
著者はこうも言っています。この付和雷同竜虎追尾型人間が増えた結果、日本は全体主義へと向かう、と。それは私自身も以前から感じていたことでした。日本人は何でこんなに馬鹿ばっかりなんだろう?と。
流行は作られていると言います。一部の人が自分の利益のために作り出したモノなのに、日本人は馬鹿だから有名な人が「これがこれからの流行!」と言えばたくさんの人がそれを真似します。
たくさんの人と言うことはそれが多数派という意味です。そうすると少数派の人はだんだんと駆逐されていきます。それは何も戦中日本やドイツのように国家的なプロジェクトとしての排除ではなくても、いじめや社会追放といった形で排除されていくものです。
全体主義とはそれらが国家的なプロジェクトとして行われる状態を言うのです。すべての国民が同じ思想を持ち、同じ行動をする。それ以外は異端として処罰されるから本当は違う考え方をしていたとしてもそれを隠さなければならない。それが全体主義なのです。それは戦中日本であり、ドイツナチスでした。
日本も付和雷同流行追尾型人間がここまで増えてくれば全体主義の門はすでに開かれていると言っても過言ではありません。あと一歩、誰かが背中を押せば全体主義にはいることができる状態です。
その具体的な方法はもう解っています。国家が煽動すればいいのです。もちろん総理大臣がいきなり今日からは全体主義を取るので思想弾圧や、言論統制をします。などと言ったらものすごい批判を浴びることでしょう。しかし、それが国民にはよく見えない形で、例えばテレビに出ているアイドルや人気雑誌など徐々にそれと解らないように浸透させていったとしたらどうでしょう?付和雷同流行追尾型人間はそれと解らず、全体主義に染まっていくはずです。
そんなことは出来るはずはないと思いますか?人間の心は複雑です。少しの綻びで全体が影響されたりします。それはちょっとした言葉遣いだったり価値観だったりするものです。昔の日本人だってそうやって全体主義に走っていったのです。ほとんど人があの国策を間違っているとは思っていなかったのです。
さて、今回はここまでです。付和雷同流行追尾型人間を作らないにはどうしたらいいか?それはまた別の機会でお話しします。
以上国王の独白でした。
