不幸を見る幸せ

 え〜と、今回おかしなことを言うかも知れません。その時はどうぞご容赦下さい。
 先日、私の勤める病院にリストカット、いわゆる手首を切って自殺を図った方が運ばれてきました。中年男性の方だったのですが手首がすっぱりと切れていて、血管も腱も切れていました。
 なんでも切ったのは昨夜のことらしく、翌日になって発見されて運ばれてきたのです。その方は血管も腱も縫合されて、多少の不便は残るものの命には別状はありませんでした。「手首を切って死ぬことはできないのでしょうか?」などと男性は医師に尋ねていましたが手首を切って死ぬことは難しいです。人間はそう簡単には死にません。自殺をするときはもっと思い切った方法でなければなりません。
 ところで、命とお金はどちらが価値ある物でしょうか?命はお金で買えない、などと言われますが本当でしょうか?
 彼は自己申告ですが350万円の借金がありました。350万円ですよ!これくらいのお金なら私たち一般の人間でも時々目にするお金です。もしかしたらこれを読んでいるあなたは持っているかも知れない、それくらいのお金です。
 命がお金で買えない程、計り知れない価値のある物ならなぜ彼は自殺したのでしょう。
 まあ、それはそれぞれで考えて貰うとして事実、人はお金で命を左右されます。古い時代ではユダがキリストの命をお金で売ったように、現代では強盗や、誘拐などがあるように、お金のために人の命を奪うことは昔からずっとあることなのです。
 ここから解ることは他人の命は安い、と言うことです。また怒られそうなことを言ってますが人は自分と自分の身の回りの命以外は価値を感じていません。そんなことはない!と言うおまえ!おまえはニュースで毎日のように報道される殺人事件でいちいち涙を流して悲しんでいるのか!
 おまけですが自殺を図った男性を連れてきたのは(自分からそうとは言いませんでしたが)どうやら借金取りのようでした。彼は自分は関係ないと主張していましたがこういうことはよくある、と言って平気な顔をしていました。つくづくお金を借りることの怖さを思い知らされました。
 このままでは「不幸を見る幸せ」という題名をないがしろにしたまま終わりそうなので話を変えます。
 不幸を見る幸せとはどういうことなのか?この言葉は結構眉をひそめるような言葉ですね。だけど人間は不幸を見るのが好きです。なぜなら人間は下を見ると安心できるからです。不幸な人を見て自分の幸せをかみしめる。そして自分もこうならないようにがんばろう、と意欲がわきます。人の不幸話が喜ばれるのはそう言うわけです。私は不幸な人がいればできるだけ見に行くようにしています。そしてその不幸の意味を考えます。私自体マイナス人間なのかも知れませんが他人の不幸から得る物は非常に多いです。
 他人を不幸だと思える。それは自分が幸せであるからに他ならないのです。私は冷たいですか?あなたは温かいですか?
 以上、国王の独白でした。