南海難波駅再開発計画

 南海難波駅周辺の再開発イメージ 模型写真(1989年3月発表

 1989に発表されたイメージ模型の写真です。 当時関西ではテレビや新聞にも大々的に取り上げられ大変話題になりました。具体的に個々の計画が決まっていた訳ではありませんが、当時の南海電鉄、久保田鉄工、大阪スタジアム興業、高島屋、ニッピの5社が「難波再開発」で合意したものです具体化できるかどうかは未定としながらも 、総事業費2500〜3000億円で全体の完成目標は1995年を予定していました。

 当時も実際の完成予想ではなくイメージ模型だと断っていますが、この発表を見たときは大変興奮を覚えたのを思い出します。北端(写真の右)には来春 (1990年)完成予定の南海サウスタワーホテル、その南に100mクラスの超高層ビルが約3棟、そして最も凄いのは地上 60階建て高さ250mのインテリジェントビルが棟、そしてその南にも100 mクラスの超高層ビルが2棟見ることができます。結局南海サウスタワーホテルは完成しましたが、バブルが崩壊して後の計画はすべて凍結され ました。

 その後1997年初頭に計画が再開されましたが、規模は大幅に縮小され50階建てと30階建てのツインビルに変更され、さらに関西経済の不況の深刻化によるオフィス需要減退により30階建てのツインビルに変更 されました。1棟は2003年10月に完成しましたが、もう(第三期工事) はオフィス棟で計画されていましたが、関西でのオフィス需要の冷え込みのため超高層マンションに変更になりました。 またニッピが所有していたなんばパークス南の駐車場と住宅展示場(昔は打ちっぱなしゴルフの練習場)はホテルや商業施設が計画されていましたが、 敷地の一部に大手家電量販店のヤマダ電機の進出が決定しました。クボタの工区は音沙汰すらありません。

 それでもなんばパークスの南海の再開発姿勢には好感が持てます。今まで大阪は地下街やアーケード中心で太陽の光を浴びてゆっくりショッピングをするような場所がありませんでした。不景気の影響もあるのでしょうが、パークスは店舗と店舗の間に余裕を持たせ、樹木や花などで緑いっぱいにして、あえて屋根をつけずに太陽をいっぱい浴びることが出来ます。大阪球場やウインズ周辺は暗くて治安上もよくなかったのですが、今は若いオネエサンたちがいっぱいです。是非とも第二期工事も完成させて素晴らしいショッピングゾーンにして欲しいものです。

南海難波駅再開発の歴史

1980年

3月

なんばCITY全館オープン
1987年 2月 地権者5社で難波地区再開発事業研究会を発足
1988年

10月

南海ホークスをダイエーに売却決定
1989年 3月 開発基本方向及び共同開発に関する基本的合意(上記写真)
7月 「難波地区開発協議会」発足 
1992年 4月 「難波地区土地区画整理組合設立準備会」発足
8月 都市拠点総合整備事業調査に着手
1995年 11月 難波土地区画整理組合設立認可 
1996年 3月 仮換地指定 
7月 用途地域(容積率)の変更及び防火地域の指定
8月 再開発地区計画の都市計画決定
1998年 11月 大阪球場の解体工事に着手 
1999年 11月 第一期工事に着工
2002年 9月 JRAウインズ移転オープン
2003年 10月 なんばパークス第一期オープン

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