SCHMPETER, J.,
Wie studiert man Sozialwissenschaft? Zwite Auflage, München & Leipzig, Duker & Humblot, 1915, pp.54, 8vo.
SCHMPETER, J.,
Vergangenheit und Zukunft der Sozialwissenschaften, München & Leipzig, Duker & Humblot, 1915, pp.140, 8vo.

 シュンペーター『いかに社会科学を学ぶか』1915年刊再版、および『社会科学の過去および未来』1915年刊初版。
 
 『社会科学の過去と未来』は、その標題が示すように、社会科学とはどのようなものであるか、それは何時、如何にして発生し、現状はどうであるか、そしてその将来の発展を予想するものである。以下その要約である。

 基本的には社会科学というものがあるのではなく、いくつにも分割された社会「諸」科学があるだけである。社会科学は全体として一つの有機的、体系的な科学となりえず、必要に応じて生まれたまま相互の調整がなされていない。社会科学は18世紀に誕生し、せいぜい200年の歴史を有するに過ぎない。人間や社会の出来事に対する関心は人類の歴史と共にあるが、我々の関心を引いたのは極めて具体的な偉人とか大事件であり、物事の本質ではなかった。中世においては、我々のいう意味での社会科学は存在しなかった。なるほど神学や法律学は社会問題に関係したが、人間には無関係の神聖にして不可侵な体系から、教条(ドグマ)の形で原理を言い渡していたに過ぎないので、社会科学とはいえない。ルネサンスでは、個人は発見されたが社会は発見されるに至らなかった。

 (18世紀における社会科学的思考の展開)
 社会「科学」的関心は、社会的事象を普遍的真理として理解しようとするものである。社会科学たるには、「内容・出発点・結論すべてが社会的要因の作用の結果として把握」(シュンペーター、1980、p.18;以下本訳書による引用はページのみ表示)されねばならない。社会科学の誕生が、自然科学にずっと遅れて18世紀となったのは、産業革命が、社会構造に急激な変化もたらしたことによる。経済上の変化に比べて法的・社会的制度の変化は遅く、両者に大きな断層が生じた。社会的断層からは、社会的不満や社会不安が生まれた。人々はそれまで漠然と考えていた社会の生命機能なるものに気づきはじめる。それまで自明と考えられていたことが解明を要求された。法や権力の具体的問題ではなく、それらの本質が問われるようになる。社会科学的思考様式を成立させたのである。
 当時の人々は、社会存在・社会変動に関する統一科学さえ成立すれば、すべての社会問題が解決し、時代の病弊を解決できると考えて蛮勇をふるった。社会科学は、すでに顕著な発展を示していた自然科学に大きな影響を受けた。「自然哲学」と並んで「道徳哲学」が成立しなければならない。社会科学は、物理現象と同様に扱われねばならないと考えた。社会科学の英雄時代である。18世紀思想の世界では、「輝かしい気迫に満ち、力と独創性とを以て、人間は現象界を征服」(p.29)しようとした。この道を行けば、すべてのことが成し遂げられると考えた。理性による事物の把握には限界があることに気づかなかった。形而上学と科学は本質的に異なることや、人間の論理的な道具使用には限界があることを意識しなかった人も少なくなかった。
 神学においては理神論が現れた。旧世代の啓示信仰と唯物主義の中間段階である。社会科学的思考が、神学から解放される生みの苦しみの階梯である。形而上学の大前提には束縛されず、経験を基盤として成立していた。それでも、形而上学に対する憧憬は残っていた。理神論では宇宙的調和への信仰が支配している。人格神に代えて世界を一貫する本質的存在を前提としている。いわば一種の汎神論、あるいは万有在神論である。今日に至るまで科学の歩みには形而上学の影が纏わりついている。カントは思弁の働きに限界を画定しようとしたが、ヘーゲルは元に戻した。「ヘーゲル主義が社会科学の仕事のなかにもちこんださまざまの見解や主張は、社会科学にとっては枯渇することなき錯誤の源泉となり、社会科学はこれにたいしてつねに自己防衛をしなければならなかった」(p.42)。
 社会を構成する人間の行動や心理を探求する心理学は、社会科学の基礎となる。18世紀心理学では動機論やエゴイズムの概念がもてはやされた。快楽を追求し苦痛を忌避する快楽主義的エゴイズムは、功利主義体系の基礎となり、ベンサムによって完成され、J・S・ミルの時代まで支配的地位を保持した。エゴイズムは生を的確に把握したものではないが、生の主要動機を解明する第一歩であったことは確かである。エゴイズムという契機は、実在し観察対象となるものであり、決して形而上学上の思弁ではない。
 倫理学分野も社会科学によって征服された。社会科学としての倫理学が成立した。倫理を経験可能な説明根拠に立脚させようとした。もちろん倫理学においても、科学的考察は哲学的考察を追放すべきでもないし、追放可能でもない。そして、18世紀は何よりも、我々は何をなすべきかが問われた時代であった。倫理学もためらいなく、存在する者(実在)の理論から存在すべきもの(当為)への理論へと移行していった。あらゆる時代と場所において妥当する道徳法則を認識しようとする稔のない誤った取り組みを試みた。しかし、時代はこの誤謬を克服した。道徳は一つの社会現象であって、具体的な道徳命題から生まれるのではない。社会的生存の必然性から生まれ、必然性にもとづいて理解可能なものである。人間の本性(Natur)、社会的生活の本性から出現するものとしての「自然的道徳論」がそれである。
 法学においては自然法思想が展開する。自然法とは、一種社会的必然であると解釈する思想である。18世紀社会科学精神にとって、自然法思想はその母体であった。シュンペーターはエジプト人にとってのナイル河に譬えている。社会科学の偉大な運動がまずもって法理論の形で現れたのは、17世紀になっても法律学のみが世俗では唯一の偉大なる学問であり、研究・一般教養はまずもって法の学習を通して行われていたからである。自然法は「自然法の父」と呼ばれるグロティウスによって体系化され、スミスの師であるフランシス・ハチソンに至って初めて自立し形而上学を排除した。
 シュンペーターによれば、法理論(科学)と法哲学(哲学)は峻別すべきものであり、自然法は法理論の基礎である。人々は、理解の鍵を人間行動のうちに発見するべく、日常や歴史を内部観察することにより説明原理に到達しようとした。この観点の第一は、人間本性である快楽主義的エゴイズムの原理である。第二の観点は、それとは敵対する社交性原理である。社会的相互関係の事実、「社会」現象の発見が第二原理に具象化されている。自然法の理論家は、すでにその方法の一つとして、異なる社会の発展段階の比較方を有していた。しかし、原始状態についてはよく知らなかった(ただし、賛美したのはルソーだけ)ので、安直な社会批判の源泉となっていた。自然法の神髄は、社会的人間に関する偉大な新しい科学の三源泉の一つとなったことである(第二の源泉は心理学と倫理学であり、第三は歴史理論である)。
 法が規制しようとする社会関係の本質は何か、法が生まれる母体である経済事象の本質とは何かを研究するのが、社会的法学である。彼らは、経済生活に関する自己完結理論を作成して、そこから法規を理解しようとした。法科学者としての使命は、社会的事象の本質を社会的・経済的観点から理解することだと考えた。国民経済学は、かくして自然法から生まれた(ちなみにシュンペーターがウィーン大学から受けた学位は、経済学ではなく、民法およびローマ法によってである(注1))。『国富論』は、自然法の内部で経済学が独自の発展を遂げた頂点かつ終着点の標識である。
 社会的事象に科学的法則を組み込む壮挙に猪突猛進した勇将は一敗地にまみれたとはいえ、最大の障壁を除去し将来の前進の足掛かりを造ったという点で不朽の価値を持っている。ところで、理論は空疎な抽象論ではあってはならず、豊かな歴史研究によって肉付けされればならない。その意味で、18世紀は新たな自然法の時代であるとともに、実証的かつ科学的な歴史研究の始まった時代でもあった。

 (18世紀精神への反動)
 18-19世紀の変わり目から社会科学に足を踏み入れた人々は、既存の理論を学んで継承し、その問題を把握し掘り下げるべきであったが、そうはならなかった。18世紀にはじまる発展は、粗野な手で中断され、芽生えた新芽はむしり取られた。18世紀の精神的動向に対する反動は、まず一般大衆の間に起こった。彼らは啓蒙哲学と自由主義が18世紀を支配したと誤解して、それに反逆した。社会科学から大衆に浸透したスローガンは、誇張され歪曲されたものであった。絵画を見ても、それは麻布と油絵の具に過ぎないとするものの見方に対して、超克したはずの18世紀以前の古い見方が再登場してきた。
 18世紀的社会科学はあらゆる分野で麻痺状態に陥った。学問という有機体は、自身の内部で新陳代謝を繰り返すがゆえに生命を保持していると考えれば、麻痺状態も新陳代謝に役立つ。問題や関心が動き始め新世代登場したが、彼らは既存の学問に目を向けなかった。18世紀的社会科学が、通俗的・政治的宣伝によって非難されている環境下で育ったからである。
 18世紀科学に対する反動の実例として、カーライル、コント、歴史学派があげられている。カーライルはロマン主義者として、コントは、社会科学を自然科学と同じ精神と方法で成立できると考え、小さな基盤から一気に普遍化を試みた者として(実証主義研究を進めた人物だが、晩年には「人類の進歩とは何か」というような極端な形而上学に耽溺することになった)。歴史学派は、これら二者の中間に位置した。ロマン主義者同様に理論分析を軽蔑して民族精神のような哲学的省察の復権を要求しながら、他方では、曖昧な思弁に対抗して精密な事実研究を要求しているからである。
 ドイツを本拠地とし、特に法学と経済学で台頭した歴史学派に対するシュンペーターの批判は辛辣である。法学では、自然法思想を否認するあまり、そこに含まれていた理論的知識まで見逃した。法史学者は、「産湯とともに赤ん坊を流してしまった」(p.113)のである。国民経済学では、もっぱら具体的な現象、理論的に分析されない現象にのみ関わり、抽象的方法は無意味とされた。

 (学派間抗争の結末)
 それでは、ドイツでは、歴史的精密研究が社会科学の方法としての地位を確立しただろうか。さまざまな学問分野では、経験主義的・歴史主義的な方法にもまして理論的・分析主義的方法が趨勢となっている。歴史に対する普遍的洞察は、分析による体系化を経ないでも、資料から直接把握できるという訳にはいかない。19世紀の研究者、学説は、自らの意思に反し、知らず知らずのうちに、過去に敷設された軌道上を走っていた。彼らが切断しようとしていた旧来との連続性は、堅固な必然性により存続していた。迷走の結果たどり着いた地点は、先人の遺産を意識的・計画的に引き継いだ場合とほぼ同じ場所であった。要するに、議論百出の学派・方法論争がなくとも、最後の到達点は決まっており、実際のもほぼそのような経過をみた。ひとたび定礎された学説は、そう簡単に超克できないことは明らかである。
 発展の非連続性や恣意性といわれる事情があったにもかかわらず、科学の発展には何か統一的相貌が見られる。一旦発見された客観的真実は放置されたままにはおかれない。それは、多くの目ざとい企業家がひしめき合う自由経済で、現実的な利得の可能性は余すことなく利用されるのと同じである。科学の研究者を自ずと整列させる力、直線的ではないが究極に発展を実現させる力を、著者は「ものごとの論理」と呼んでいる。個人や小集団が誤ることはあっても、思想の大きな流れは容易に間違わない。科学的作業に非連続性と無規則性をもたらす要因と、逆に連続性と整合性をもたらす要因は、学問的生活に固有の本質的なものともいえる。偉大な思想は己を無視するものに報復するが、また過大評価の時期が過ぎると既存の思想に組み込まれる。それでも、新学説の与える影響は今後徐々に減少するに違いない。影響の減少自体が「物事の論理」の威力を強化するだろう。科学の発展は、ますます個人的な恣意によらずに、自動化し特殊専門化するであろう。

 (社会科学の現状と未来)
 現状は好ましい状況ではない。筆の立つジャーナリストなら誰でも可能な仕事に一生満足している専門家が非常に多い。ディレタンティズムの跋扈により、何ら訓練を受けていない者が、やみくもに非常な難問に挑むことが多い。例として、限界効用理論を堅実に学習せず、誤解による批判が堂々とまかり通り、それを専門家も喝采する状況をあげている。『理論経済学本質と主要内容』の著者に相応しい例といえる。また、哲学と政治とによる科学領域の侵犯という事態がある。科学の尊厳が党派的見解によって、あるいは科学的中立性が政治化により汚損されることは避けられない。研究者には価値判断からの自由(没価値性)、あらゆる理念の歴史的相対性の認識が要請されている。しかし、それらは最重要な問題ではない。むしろ、学会が現実問題に深入りしないことの方が大事である。人は、とかく目標にまっしぐらに突進しがちであるが、まずもって長い辛苦を重ねて目的達成のための道具を作り出すことを怠る。しかし、科学に大いに役立つのは、この退屈で時間のかかる、実際的応用を全く考えない作業である。こちらは、後にツールを重んじる『経済分析の歴史』を著すこととなる著者らしい言である。
 社会科学の各分野では、表面的には争いが絶え間ないが、にもかかわらず静かに健全な仕事が着々と進行している。人は、経済学者に対しても、問題のあらゆる側面、すなわち経済的、政治的、文化的、倫理的各側面を一挙に可決する回答を要求する。しかし、得られるのは、あらゆる場合を想定した、分類された答えである。それでも、その解答は、経済的側面が本質的に解決されており、学者間で異論のないものである。素人ができないのは、既存の認識のレベルに容易に達することができないことである。専門家といえども、細分化された自分の専攻する分野以外では同様である。社会科学の全領域において、無数の小グループが、自己固有の問題を有し、それに相応しい特別の方法を道具として問題解決にあたっており、ゆっくりと絶えることなく、その地位を獲得しつつある。
 社会科学の現状は上述の順調な発展に完全に沿っているとはいいがたいが、必然性の力はその方向に推進を続けるであろう。とりわけ、最も精錬された社会科学である経済理論についてはそうであろう。社会科学はいずれも、もっとも広義な意味の、「理論」に転化する。その点でも、経済学は(限界効用理論による)理論化がみられる。ただ、イギリス人や、イタリア人、アメリカ人はドイツ人に比して、はるか前方にいる。そして、理論化は、事実の抽象ではなく、あくまで事実を出発点とした理論的特殊研究という形態を取る。
 科学の分業化・専門化は不可避であるが、現状は壮大なヴィジョン(Vision:展望)があまりに貧弱である。研究者に花を持たせるのは、個々の事象にみられる歴史に対する予感である。来るべき新時代は、「社会学化」の趨勢により規定されている。可能な限りの事象、すなわち法、宗教、道徳、芸術、政治そして経済も、また論理学や心理学も、すべて社会学によって解明しようとする趨勢に規定されている。
 今や、建設的飛躍の客観的条件が整っている。この飛躍も、過去と同様に束の間の勝利の後凋落するであろう。没落のあとに残るものがあるとすれば、精密研究を基盤としたものだけであろう。新たな建設の時代においては、科学的な業績は脚光を浴びることになる。この時代が自然法の時代にも匹敵する偉大な時代になるかは、われらの努力如何に懸かっている。人間は誤謬を侵さざるを得ない存在である。無能なる正確さよりも、誤謬は栄誉である。現代は批判にさらされようが、まずは動くことが必用である。われわれが成し遂げる純正なるものは、滅びずに受け継がれる。

 『社会科学はいかに学ぶか』(1910)は、『社会科学の過去と未来』(1915)のプロトタイプである。後者は前者を拡充したものであり、内容に共通したところが多い。前者を使って、後者で余り論じられなかった「社会科学とは何か」と論文の表題である「社会科学はいかに学ぶか」を中心に補足しておく。

 社会科学の真の研究は「理論」の研究から始まる。経済学と一部の社会学には、確固とした資料的基礎に支えられて思考による徹底的な究明をする学問分野がある。純粋経済学あるいは純粋社会学と呼ばれるものである。この二つの学問の領域外では、事情は本質的に異なり、収集された事実に直接取り組んで、規則性と因果性を見つけることが求められる。そこでは、統一的な学説体系はない。国民経済の大多数の実際的問題はこれに属している。そこでの、可能な最善は引き続き事実を収集することである。
 どの社会科学を学ぶにしても、まず科学の専門的な作業を学ばねばならない。そうでなければ、単なるディレッタントに留まる。もう一つ、初心者が心に刻むべきことがある。研究の前に、我々の社会的な理想や願望は放置しなければならない。自然科学では、自然の法則に対して我々は無力である。ところが、社会的関係は簡単に変えられるから、それは任意に形成できるように思われる。しかし、研究の成果が教える最も重要なことは、社会事象のもつ必然性の理解からは、社会的な場面でも必然性を無視すれば手痛い罰を受けることである。仮借のない論理が貫徹しているのである。我々は絶えず科学と政治を区分し、認識と願望を区別しなければならない(注2)。
 科学の本質は、研究対象である現象における個々の契機をすべてその帰結に至るまで詳細に観察し、適切な仮定を設定することにより、それ以外の要素の影響を排除することである。その意味で、理論的社会科学は現実の傾向だけを述べるのであり、ありのままの現実そのものではない。仮定外の要素は存在しないように扱うが、それは存在しないとは主張していない。社会科学には、もう一つの困難がある。すべての科学は、最終的に、前提や重要な思考方法がすべての科学研究者に対して確立される段階に到達する。社会科学はまだそれ以前の段階にある。見解や前提も10年もすれば変化する。そして、初心者が注意すべきは、どのような明確な理論もそれだけで有効なものではなく、それが属する理論体系の一部としてしか理解できないことである。理論的トレーニングを経て初めて、現実の考察から何かを学ぶことができる。「素人としてではなく装備を固めて接近するためにこそ、理論を研究しなければならないのである。理解の仕方、洞察力の訓練、分析のトレーニング、われわれに必要なものはこれである」(p.54)。「科学的な業績は思考の労働によって得られ、観察の収集によっては得られない」(p.62)。

 シュンペーターには、ケインズ学派のような彼の名を付けた学派はない。物理学のような自然科学では、個人名を冠した定理はあっても、それは学会の共有財産となり、学派を形成することはない(都留、1964,第二話)。経済学を科学にするのが悲願であった彼には、むしろ本望であったろう。大向こう受けのするような新学説は、大量の砂塵を巻き上げ、見物人の視線も集中するが、真の学問的な仕事は、このようなスローガンや鬨の声によって生まれない(p.127)。着実な地道な努力の積み重ねが科学を発展させる。シュンペーターの敬愛したワルラスの言葉を借りれば、「静かにいくものはすみやかに行く。健やかに行くものは遠くまで行く」(Chi va piano, va sano; chi va sano, va lontano)(注3)のである。

 『社会科学をいかに学ぶか』は、1910年にシュンペーターが奉職していたチェルノヴィッツの学術誌に発表された。私蔵の「第二版」はミュンヘンの書肆で刊行された。book formで刊行された最初のものか。ただし、前者の抜き刷りはあったかもしれない。『社会科学の過去と未来』は、1911年のチェルノヴィッツ大学の離任講演をもとに著作された。いずれも、ドイツの古書店より購入。

 (付記)
 マーシャルの『経済学の現在』(1885)は、シュンペーターの「社会科学をいかに学ぶか」(1910)や『社会科学の過去と未来』(1915)の25年ほど以前に刊行された書物である。シュンペーターのこれ等の著作を読むと、ほとんど『経済学の現在』を下敷きにして書かれたのかと思えるほど、直ぐにマーシャルのこの本が思い浮かんだ。両者の内容・表現が似かよっている。
 シュンペーターは、『過去と未来』で、マーシャル(学派)を、練達の経済学者として「誰かしかるべき人物―ここではとくにマーシャルとその弟子たちということになりますが」(p.164)と表現している。また、「70年代になってジェヴォンズによってイギリスの国民経済学に新たな酵母が植えつけられ、マーシャルによって現にあるようなものにまで完成され」(p.123)たとも書いている。シュンペーターがマーシャルを意識していたことは、間違いない。
 以下類似した表現を箇条書きにあげてみる。(以下、Mはマーシャル、Sはシュンペーターの略:引用・参照は特に断りがない場合は、Mの『現在』およびSの『過去と未来』各訳書のページを表示する)。

〇普遍的科学主義に対する反対論
 M: 普遍的原則(オルガノン:理論)研究に対する第一の反対論「コントとその信奉者」(p.19)。第二の反対論は、「現代の「現実派」ないしは歴史学派の経済学者の極端な一派」(p.22)とされている。
 S: 18世紀科学主義に対する反動として、カーライル、コント、歴史学派があげられている(p.120以下)。
〇科学的方法について
 M:演繹的方法は、「一連の諸条件の中から少数の条件を選び出し、無意識にではないとしても、暗黙のうちに、それ以外の条件は無関係であると想定しているからである」(p.24)。
 S:「科学は、研究対象である現象における個々の契機をすべてその帰結に至るまで詳細に観察し、適切な仮定をもうけることで他の要素がそこに影響を及ぼさないようにする。[中略]まるで他の種類の行動が存在しないように、経済活動を考察する。だからといって、他の活動が実際に存在しないとは主張しているのではもちろんない」(「いかに学ぶか」、p.49-50)。
〇社会科学の法則は傾向である
 M:「経済学者が直面している事実として、ほとんどすべての現代の知識の基礎には傾向の研究があり」(p.48)
 S:上述の[中略]部分で、「この意味で、理論的な社会科学が叙述するのは現実の傾向だけであり、ありのままの現実そのものではない」(「いかに学ぶか」、p. 50)。
〇旧時代の理論から新たな理論経済学へ
 M:「今世紀初頭にイギリスの経済学者が犯した主な過ちは、歴史や統計を無視したことではない。そうではなく、リカードとその信奉者たちが、大きな一群の事実を無視し、我々が今では最重要であると考えている事実を研究する方法を無視したことにある」(p.6)「経済理論の真の哲学的な存在意義(レゾン・デートル)は、測定可能な人間行動の動機に関する推論において、我々を補助する機構を提供することであることが、明らかになりつつある」(p.11)
 S:19世紀はじめの2-30年刊に「分析的な作業は目覚ましい飛躍を遂げました。その中止に位置する人名それがリカードであります」(p.122)。70年代まで方法論争の嵐が吹きすさんで、ジェヴォンズによる新たな展開があり、マーシャルによって現にあるように完成された。ドイツでは、一時代前の理論はあらゆる攻撃にさらされ、歴史学派が覇権を握る。リカードを基盤とするマルクス体系の最盛期となるが、やがて「オーストリア学派」から「新しい、完璧な形の経済理論が再生した」(p.124)
〇新しい理論経済学は事実研究を基礎にしたものでなければならない
 M:「経済学者は事実に対して貪欲でなければならないが、単なる事実だけで満足してはならない。[中略]事実をよく調べ、経済理論の原則(オルガノン)を構築するためにこの知識を適用し、社会問題の経済的側面を処理するためにこの論理を援用するという、より骨の折れる計画をしっかり固持しなければならない。彼は事実の光に照らして研究するが、その光とは直接投げかけられるものではなく、科学によって反射され凝縮されたものである」(p.31)
 S:「理論は事実をもって出発点とするということです。すなわち理論は日常経験から事実を抽出し、基礎的帰結にとって必要と思われる限りにおいてその事実を精査するということです」(p.172)。理論研究で生き残れるのは、「このような精密研究と密接に結び合っているもの、精密研究を基盤としているものだけでありましょう」(p.185)。

注1)マクロウ、2010,p.47による。
(注2)研究者の地位経験は、研究に無意識に作用している。シュンペーターが書くのは、感情移入にも注意点があることである。労働者の生活状態の研究者で、労働者の状況や思考範囲への感情移入を止めようとする人は少ない。しかし、観察者より社会的経済的上位階層への感情移入が同程度に必要で同程度に困難であることを理解している人は少ない。中産階級である彼らは、社会の上層部には無理解で、度量の小さい反発を抱くことがよくある。これ等の人々がどう思っているか研究せず、したとしても客観性に欠けている。
(注3) 都留(1964)のワルラスの章の冒頭に、このエピグラムがあげられている。城山三郎が、再引用(?)したことで広く知られるようになった。元は、イタリアの諺のようである。ワルラスがどこで使用したかは、調べがつかなかった。

(参考文献)

  1. シュムペーター 玉野井芳郎監修 『社会科学の過去と未来』 ダイヤモンド社、1972年
  2. シュムペーター 谷嶋喬史郎訳 『社会科学の未来像』 講談社、1980年
  3. シュンペーター 八木紀一郎編訳 「社会科学をいかに学ぶか」(『資本主義は生きのびるか』 名古屋大学出版会、2001年 所収)
  4. 都留重人 『近代経済学の群像 人とその学説』 日本経済新聞社、1964年
  5. マクロウ、トーマス・K 八木紀一郎監訳 『シュンペーター伝』 一灯社、2010年
  6. マーシャル、アルフレッド 伊藤宣広訳 『経済学の現状』(『マーシャル クールヘッド&ウォームハート』 ミネルヴァ書房、2014年 所収)

  1.所収の同名論文の翻訳は、同じ谷嶋訳で、ほぼ2.と同一である(「解説」も同様である)。引用は2.のページ表示に従ったが、表題は1.を採った。



『社会科学をいかに学ぶか?』の標題紙(拡大可能)


『社会科学の過去と未来』の標題紙(拡大可能)

(2024/2/7 記、2014/2/26追記)



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