PIGOU, A.C.,
Robert Browning as a Religious Teacher , London, C. J. Clay & sons, 1901, 12mo., pp.xii+132 .

 ピグー『宗教教師としてのロバート・ブラウニング』初版。
 先にエッジワースの処女作を取り上げた繋がりでピグーの処女作を挙げてみた。そういえば、ピグーもまた独身で一生を過ごし、(本郷氏の本には「プラトニックな」と記されているが)同性愛的傾向があったようである。オーウェルがどこかで言っていたと思うが、寄宿制度があるパブリックスクールの弊害だろうか。あるいは、ピグーの趣味である山登りが、当時、ガイド付きの貴族のスポーツから、若者が仲間で登る時代に変わりつつあった頃であったから、濃密な「友情」が生まれやすかったのかなと思ったりする。
 ピグーが経済学教授に就任したのは、彼の30歳の時。本命のフォックスウエルを押しのけての抜擢人事はマーシャルの強い引きによるもの。ピグーがなぜ選ばれたのかについては諸説があるが、私が面白く思ったのはフォックスウエルが経済古書収集に血道を上げ過ぎたためというもの。
 第一次大戦に際しては大学の休暇を利用して野戦病院で医療のボランティアやっていた。年表を繰って見ると1914年には、マックス・ウェーバーも陸軍病院勤務をしていたから、敵味方に別れて戦線の反対側で同じようなことをやっていたことになる。
 そこで、多くの同世代の戦死者を見た故か、第一次大戦を境にピグーは厭世的になっていく。友人の言によると「第一次大戦は彼にとってショックであり、その後は人が変わってしまった」。ちなみに、E・A・G・ロビンソンの回想によると第一次戦争で、同じ寮にいた同学年20人のうち13人が戦死したとある(M・シェンバーグ編『現代経済学の巨星』)。英国(オクスブリッジ)の大学生にとって、第一次大戦のほうが第二次大戦よりずっと酷かったような印象を受けるのだが。
 その後は、ケインズの敵役の役回りを演じながら誠実な態度を貫いたのは周知のとおり。
 「厚生経済学として確立した専門分野の名そのものが教授(ピグーのこと)の主著に由来するところであり、それはあたかも社会選択という新分野がアローの主著によってつくりだされたのと類似している。」との福岡正夫教授の言葉がピグーの成し遂げたことを雄弁に語っていると思う。
 晩年はもっぱら、キングスカレッジの庭にデッキ・チエアを持ち出してエピクロスの如く日向ぼっこを楽しんでいた。外国の経済学者が訪問しても、事を設けて会うのを避けたらしい。そのせいかどうか、著作歴は50年を越えているが、ピグーの献呈本が売りに出されているのを、私は見たことがない。

 オールラウンドプレイヤーとして知られたピグーが、1900年ケンブリッジ大学バーニー賞の応募論文として執筆し、賞を得て出版されたものが本書。直接的に経済学を扱ったものではないが、経済学徒として出発しようとする若きピグーの情熱が秘められている。内容については、桂冠詩人(とされている)ロバート・ブラウニングを哲学上あるいは神上の問題から論じている。「これにはブラウニングの哲学的な不整合に対する冷やかな軽蔑と、その詩に対する純粋な憧憬が混合しているのが特徴である」とするH・G・ジョンソンの評以外多くを知らない。

 米国の古書店より購入。永らく何となく気に掛かっていた本であったが、やっと入手することが出来た。


(参考文献)
  1. 本郷亮 『ピグーの思想と経済学』 名古屋大学出版会,2007年
  2. 福岡正夫 『歴史の中の経済学』 創文社,1999年
  3. E・SおよびH・G ジョンソン 中内恒夫訳 『ケインズの影』 日本経済新聞社,1982年、第13章
  4. 千種義人 『ピグー』 日本経済新聞社,1979年




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(H19.12.23記)




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