NEUMANN, J. v and MORGENSTERN, O., Theory of Games and Economic Behavior, Princeton, Princeton University Press, 1944, 8vo., pp.xviii+625
NEUMANN, J. v and MORGENSTERN, O.,
Theory of Games and Economic Behavior second edition, Princeton, Princeton University Press , 1947, 8vo., pp.xviii+641

 ノイマン、モルゲンシュテルン『ゲームの理論と経済行動』初版および第二版,。
 著者略歴:フォン・ノイマン、ジョン John von Neumann(1903-1957)ハンガリー名は、ノイマン・ヤーノシュ・ラヨシュ(日本と同様、姓・名の順)。英名では、洗礼名ヤノーシュ(ブダべスト中心部の丘と同名)をジョンとした。父親が、「マージタイ」という貴族の称号を買ったので、ドイツ語の貴族の称号フォンを名乗る。裕福なユダヤ系銀行家ノイマン・ミクシャ(英名:マックス・ノイマン)の長男としてブダペストに生まれる。
 宇宙人はいるか。いる。地球上に人間に混じって生活している。それは、ハンガリー人である。というジョークがある。司馬遼太郎ならずとも、アジア人の血を引くマジャール人にはなんとなく親しみを覚えるが、この異能のハンガリー人数学者・ノイマンも、宇宙人だ、悪魔の化身だといわれる如く、行くとして可ならざるはなし、「電動ドリルをもったオイラー」(森毅の言葉)と評されている。
 幼時から計算が早く、母親が考え事をしていると、「ママ何の計算をしているの」といったエピソードはよく知られている。暗算で8桁の乗除ができたらしい。彼が開発に関わった計算機EDVACができた時には、自分の次に計算が早いやつができたなと云ったとか。記憶力も抜群で、死の床でも、弟がゲーテの『ファウスト』をドイツ語で読み聞かせ、ページをめくるのに中断すると、次の数行を空で唱えたという。学生時代からして型破りで、ヨーロッパの国をまたがり、大学と大学院に同時に入学した。たつきを得るための大学の応用化学科と本命の大学院の数学科である。大戦間の不安定な時代の中で、二つの選択肢の期待効用を比較し決断するより、両方とも選択することで解決したのだ。まあ、ゲームの理論が完成されてない時だからしかたないか。
 ゲッチンゲンでヒルベルトの下で、「集合論の公理化」(1928年の学位論文名に同じ)に奮闘。当地でのハイゼンベルグの講演を機に、量子力学を研究、その数学的基礎付けを行う。生成期の量子力学には、シュレディンガー等による波動方程式とハイゼンベルグによる行列式による表現があった。両者は数学的に同等であることは、シュレディンガー自身が証明した。ノイマンは、『量子力学の数学的基礎』(1932:執筆は26年)によって、ヒルベルト空間の理論を使って量子力学を数学的に厳密に基礎づけたのである。
 1930年幼馴染のマリエット・ケヴェンと結婚。同年数学者オズワルド・ヴェブレン(ソ―スタインの甥)の誘いで、新婚旅行を兼ねアメリカに移住、プリンストン大学をへて高等研究所へ。35年娘マリーナ(後GMの副社長)をもうける、37年離婚。38年帰郷時に、これも幼馴染のクララ・ダンと再会。クララは亭主持ちであったが、離婚しジョンと再婚。彼女は世界最初のプログラマーといわれる。
 その後の業績には、身近なものとしては、現在もこれを乗り越えられない電子計算機のいわゆるノイマン型・プログラムの発明がある(45年)。それまでの計算機は、新しい計算の度に配線を変更しなければならなかった。フローチャートとプログラムの考えにより各段に効率よく計算できるようになった。その他、マンハッタン計画への参加(43-45年:ウランの爆縮法研究)、大気の階層構造モデルを使った数値気象学(50年)等々と20世紀の科学に絶大な影響を与えた。
 経済学の分野でも森嶋通夫が「フォン・ノイマン革命」と名付けた多部門(最適)成長理論(1937)と、このゲームの理論の開発という超弩級の業績がある。ゲーム理論の現代経済学への応用は盛んである。1980年代に飛躍し90年代に一気に開花した。
 41年以降、知恵袋として軍の顧問を務めた。56年がん(脳がんと書かれたものもある)で亡くなる。私は、ノイマンの墓に詣でたことがある。
 オスカー・モルゲンシュテルン Oskar Morgenstern(1902-1977)。ドイツのポーランド国境に近い現ザクセン州ゲルリッツに生まれる。父は商人ヴィルヘルム、母マルガレーテは皇帝フリドリッヒ3世のご落胤だといわれる。1914年両親とウィーンに移住、オーストリアの市民権を得る。ウィーン大学でヴィーザーの下に経済学を学ぶ。25年卒業後、ロックフェラー奨学金を得て3年間欧米に遊学する。29年ウィーン大学の私講師、33年教授。経済予見の不完全性や不完全競争の性格を研究、28年『経済予見』、「経済予見と安定」を発表する。31年オーストリア景気研究所所長(前任はハイエク)に就任。
 当時のウィーンでは、「世紀末ウィーン」の残照の中にあり、経済学ではオーストリア学派第二世代といわれる、ミーゼス、ハイエク、ハーバラー等綺羅星のごとき人物が活躍していた。モルゲンシュテルンは、ウィーン学団(ゲーデルやポパーもいた)との交流があり、特に数学者カール(Karl)・メンガー(経済学者Carlの子息)との縁が深かった。ノイマンもメンガーの要請を受けて、36年このサークルでの報告(本人は不参加、論文送付)をした。それが、あの多部門成長論である。翌年サークルの機関紙に発表された。38年ナチス・ドイツがオーストリアを占領。滞米中であったモルゲンシュテルンも大学と景気研究所から追放された。プリンストン大学に職を得る。
 モルゲンシュテルンは、気の多いノイマンをゲーム理論に集中させて、その産婆役としての役割を果たした。元々、他人の才能を引き出すのに秀でていた。ウィーン学団で出会った数学者ワルトを、経済学に引き込み、統計学者にしたのも彼である。ちなみに、ノイマン関連では、多部門成長論の一般化にも貢献した(1956)。

  (以下本書の訳書からの引用は、巻数と頁数のみで表示する)。
 森嶋通夫(1994、p.25)がリカードの『経済学および課税の原理』(Principles of Political Economy and Taxation)を『経済学原理と課税』と訳したひそみにならえば、『ゲームの理論と経済行動』は『ゲームおよび経済行動の理論』とすべきなのかもしれない。もっとも、経済学らしい部分は、第11章を始め小部分にすぎないが。R.ストーンは早くも1948年に、Economic Journalでの書評で「ケインズの『一般理論』以降の最も重要な経済学の業績」と評価している。しかし、「20世紀最大の、影響力をもちながらほとんど読まれていない本の一つである[中略]この本は5年たっても4000部[初版部数?:記者]しか売れなかった。この本がたちまち経済学の分野を魅了したという主張とは、相容れない事実である。ほとんどの経済学者はまだそれを読んでいなかった(その後も読まない)。多くの経済学部の図書館では、蔵書にさえ入っていなかった。広告は「何部かはプロのギャンブラーが買った」と記している」(パウンドストーン、1995、p.63)。
 モルゲンシュテルンは、ナチスの圧迫を受けて、1938年オーストリアからアメリカのプリンストン大学へ移った。そこにノイマンがいたことも、プリンストンを選んだ理由である。かねて、彼の「室内ゲームの理論」(1928)や多部門経済成長(1937)の論文に興味を持っていた。ノイマンは論文発表後ゲーム理論の研究をしていなかった。モルゲンシュテルンはゲーム理論の研究を始め、その秘めた壮大な可能性に気づき、当時のゲーム理論のエッセンスと意義を経済学者に喧伝する論文を書こうとした。原稿をノイマンが見て意見を述べ、論文は次第に長大になっていった。そこで、ノイマンは論文を共著とすることを提案する。
 その後も、ノイマンとモルゲンシュテルンは、長時間論文執筆の共同作業に没頭していた。議論は家庭にも持ち込まれ(当時モルゲンシュテルンは独身)。ノイマンの妻クララは、ひどくイライラしていた。象牙やガラスで作られた象のミニチュアを収集していた彼女は、象が入るほどどんどん大きくなる不気味な本に、これ以上かかわりたくないとからかった(モルゲンシュテルン、2014、p.961)。そこで、象は『ゲームの理論と経済行動』の一つの集合図(1,p.104 図4)の中に謎めいた隠された形で登場した。
 
 
              図1
 余談をもう一つ。出版元からは清書されたタイプ原稿を要求された。モルゲンシュテルン(2014、p.963)は、当時プリンストン高等研究所にいた「敵性外国人」の日本人によって数式は全部タイプされたと書いている。この日本人とは、角谷静雄のことである。角谷は戦時中、捕虜交換船で帰国するも、終戦直後、高等研究所に復帰した(彌永昌吉、1982、p.104)。その角谷の書いた不動点定理の論文が、ノーベル経済学賞の受賞理由となったナッシュの1950年論文の参考文献に挙げられている。たった、二つの参考文献の一つである(もう一つは本書)。ゲーム理論によくよく縁があるのだろう。角谷自身は、研修集会での自分の講演に多くの経済学者が参加するのを不審に思い、ケン・ビンモアという数学者・経済学者に尋ねたところ、「角谷の不動点定理」のせいだろうと答えられた。角谷曰く「角谷の不動点定理とは何だ?」(Binmore、2007、p.256)。

 以下読まれることの少ないこの古典を、読み誤りは多々あるであろうが、なるべくその内容に即して摘記したいと思う。解説書では、見過ごしてしまう元来のアイデアを少しでも知れたらとの思いからである

 「物理学で非常に役立った手法がそのまま社会現象にも役立つとはとても思われない」(1、p.9)。「微積分や微分方程式などが数理経済学の主要な用具として一般に過大評価されて使われている」(1、p.9)「われわれは、これまで数理経済学で用いられたことがないような数学的方法を開発せざるをえないし、研究がさらに進めば、これによって、将来新しい数学の部門が創設されるようになることも十分考えられる」(1,p.8)それは力学のためにニュートン・ライプニッツによって開発された微積分ではなく、集合論と線形代数を基礎に置く数学であった。1960年代に「新しい数学」として集合論や順列・組合せ・ベクトルが学校で教えられ、同名を冠した書籍が多数出たのはこういう背景があったのだと今にして思う。
 方法論的個人主義に則り、無数の参加者を前提とする完全競争市場において利益(効用)の最大化を図る構図は、連続関数の微積分の方法とよく適合した。あるいは、微積分を用いるために、利益の極大化が過度に強調されたのかもしれない。著者は、経済状況を有限の参加者(プレイヤー)からなるゲームとして考え、ゲームのルールの下に最大限の利得を求める者の行動様式を考察した。プレイヤーたちは、お互いに相手の行動を支配できない。しかし、他プレイヤーの出方を予想して行動する。著者達の理論が目指したのは、その行動(戦略)を最適なものとして、採用しない場合には不合理といえる程度まで見通しを良いものにすることである。

 フォン・ノイマンは、数学自体の公理化は親友のゲーデルの「不完全性定理」によって成し遂げられなかった。しかし、量子力学の公理化については、『量子力学の数学的基礎』によって完成された(とされる)。著者達は、経済学についても公理化を目指した。「経済行動の典型的な諸問題が、適当な戦略ゲームの数学概念と厳密に一致することを満足する形で実証したい」(1、p.2)とする。そしてそのゲームの理論は、公理の基礎の上に組み立てようとした。最初に、効用に関する順序関係 u > v と結合演算 αu + (1-α)v を基礎とした3公理からなる公理系を形成し(1、p.41)、集合論の説明の後には、10個の公理からなる厳密な公理系が示される(1、p.119-120)。
 ふつう公理系は、ある一定の目的を達成することが要請される(1、p.40)。公理化のなかで、数学的期待値も定義されている。「数学的期待値という概念は、これまでたびたび疑問をもたれてきたもの」であるが、「ここでは実際に数学的期待値の計算が適用できるようなものとして数値的効用を定義した、ということである」(p.44)としている。数学的期待値はおなじみのものであるが、それでも、本書で次のような例を示されると素直に納得するのに戸惑う。『シャーロック・ホームズの回想』から取られたホームズとモリアーティ教授の例である。ホームズが大陸に逃れるため、ドーバー行きの汽車に乗り込む。ホームズは、出発間際にプラットホームに教授の姿を認める。モリアーティは、特別列車を仕立てて追いかける。ホームズの列車は、終点ドーバーとの間にカンタベリーで停車するだけである。二人は、それぞれ途中下車すべきか終点へ行くべきか。利得行列を示して、混合戦略(後に説明する)により二人の取るべきそれぞれの確率を計算したのち、「シャーロック・ホームズの乗った列車がビクトリア駅を発車したとき、すでに彼は48%だけ死んだも同然である」(2、p.137)と書かれている。
 これなどを見ると、私は「シュレディンガーの猫(注1)を思い浮かべる。箱の中に猫を閉じ込める。そこには、揮発性の毒薬の瓶と半減期1時間の放射性物質も入れておく。ガイガーカウンターが反応すれば、ハンマーが連動し瓶を壊す仕掛けもある。この思考実験では、箱の中の猫は、1時間後50%死んでいるとされる。その解釈をめぐってはいろいろな哲学的立場がある。モルゲンシュテルン(この例は彼の『経済予測』1928で、すでにこの例を用いているらしい)のように簡単にホームズが48%死んでいるといいってよいものかと思うが、公理であれば割り切る他ないのだろう。

 著者たちの経済学研究に対する考え方は、次のとおりである。物理学が発達したのは、単純な事実の研究からである。経済学も抑制的に行動すべきである。「経済のあらゆる現象を、しかも<<体系的に>>説明しようなどとしても徒労である。まずはじめに、ある限られた分野の知識をできる限り精密にし、それを完全に精通してから、つぎにそれより多少広い他の分野にというふうに進んでゆくのが健全なやり方というものである」(1、p.10)。そこで、単純な零和2人ゲーム(2人のプレイヤーの利得の和が零となる)の研究から始める
 零和2人ゲーム魅力は、解が完全に見つかることだけではない。多人数ゲームの一般的状況を、2人ゲームの連続に帰着させることによって、それらを考察する際の基準となるからである。また、零和 n 人ゲームの利点は、非零和の n 人ゲームに(n+1)人目の仮想プレイヤーを持ち込んで、零和(n+1)人として扱えることである。

 (零和2人ゲーム ―第3・4章)。
 まず、普通のゲーム(純粋戦略ゲームといわれる)のモデルを取り上げる。ゲームは三つの要素から構成される。
  1. プレイヤー
    利害の異なる最小2人のプレイヤーが必用。この場合は最小のケース。
  2. 戦略
    各プレイヤーは行動の各段階で意志決定を行う。普通有限の選択肢の中から選択するものとする。行動を選択する基準を戦略と呼ぶ。
  3. 利得
    意思決定の結果、各プレイヤーは共通の単位で計測可能なある利得を受け取る。
 零和2人ゲーム Γ は、プレイヤー1は、τ1=1,…,β1 を選択し、プレイヤー2は、τ2=1,…,β2 を選択する。その結果、プレイヤー1(以下プレイヤーを省く)および2は、それぞれ ℌ11, τ2)、ℌ21, τ2) の利得を得る。零和 ℌ1+ℌ2 = 0 で ℌ1=- ℌ2 となることから、ℌ(τ1, τ2) = ℌ11, τ2)として扱う。
 このゲームでは、1が ℌ(=ℌ1)を最大化し、2は ℌ を最小化(すなわち ℌ2 を最大化)しようとする。「ところで、こうした状況のすべてに固有な困難は、どちらのプレイヤーも努力目標 ℌ(τ1, τ2) を、つまり変数の τ1, τ2 の両方を完全に制御できないということにある。1は最大化を望むが、制御できるのは τ1 だけである。他方2も最小化を望むが、制御できるのは、やはり τ2 だけである」(2、p.21)。これでは、何もできないように思えるが、次のような補助ゲームを考えることで、このゲームに対する理解を深めることが可能である。1は、2が τ2 を選択する前に、τ1 を選択し、2は1の選択を知ったのちに自分の選択をする Γ1 ゲームである。
 Γ1 ゲームでは、1が τ1を選択したのちに、2が ℌ を最小化するように τ2 を選択する。それゆえ、1は Minτ2 ℌ(τ1, τ2) [ ℌのτ2に関する最小値 ] を最大化するように τ1 を選択すればよい。1は、利得
    v1 = Maxτ1 Minτ2 ℌ(τ1, τ2)
を得、2は、-v1 を得ることになる。
 v1 意味するところは、次のとおり。1が適切にプレイすれば、2がどのような選択をしようとも、v1 以上の利得を確実に獲得できる。2は、適切にプレイすれば、1がどんな手段をとろうとも、-v1 以上の利得を確実に利得できることである。そして、2は、適切にプレイすれば、1がどんな手段を取ろうとも、確実に1の利得が v1 以下になるようにできる、つまり、1がv1を超える利得を得られぬように妨害できる。1は、適切にプレイすれば。2がどのような手段をとろうとも、確実に2の利得が - v1 以下になるようにできる。
 次に、最初にプレイヤー2が選択し、それを承知の上でプレイヤー1が自己の選択をする Γ2 ゲームを考える。両プレイヤーがゲームに習熟しているなら、同様に、プレイヤー1は、
    v2 = Minτ2 Maxτ1 ℌ(τ1, τ2)
を獲得し、プレイヤー2は、-v2 を獲得するであろう。
 Γ1 ゲームでは、1が、2よりも先に、しかも2の監視下で先手を行わねばならない。Γ2 ゲームでは全く逆である。1にとって、Γ1 ゲームは、明らかに、Γ2 よりも不利である。よって、Γ1 の利得値が Γ2 の利得値よりも小さいか等しいとすること、
   v1≦v2
とすることは合理的である。
 そこで、元のゲーム Γ に戻れば、それはプレイヤーのどちらも相手の選択を知らぬままに、自己の選択を実施するゲームである。Γ ゲームでは、Γ1 は、何らかの方法で、2が1の選択を見抜いた場合に相当し、Γ2 は、1が2の選択を見抜いた場合に相当する。1が期待するゲーム Γ 自体のプレイの利得値 v は、
    v1≦v≦v2
 と有界でなければならない。
 ここで、
   v1 = v2  
 すなわち、
   Maxτ1 Minτ2 ℌ(τ1, τ2) = Minτ2 Maxτ1 ℌ(τ1, τ2)
 となるゲームを考える。
 このゲームでは、1の最小値を最大化したい(マックスミン)戦略と、2の最大値を最小化したい(ミニマックス)戦略が一致するので、均衡点となる。2人は、各自最低の報酬を保証できるので、一方的に均衡点から離れることはない。このゲームでは、1,2のいずれのプレイヤーが相手の選択(戦略)を見抜いても、それによって影響を受けないゲーム、相手の戦略を知っても有利とならないゲームでもある。この時、ゲーム確定的と呼ばれる(この均衡点はNashの均衡点とは異なる。ノイマンはナッシュ均衡理論をなかなか認めなかった(鈴木、1999、p.182)そうである)。
 しかし、確定的ゲームは一般的には成立するものではない。「ℌ(τ1, τ2) に鞍点が存在するとき、またそのときに限って Γ は確定的である」(2、p.34)。本書に、例として示された表で説明する。(2人)2選択肢の表である。Aという個人の選択を行で、個人Bの選択を列にし、両人の選択の結果の値を交点で表されている。
 表2では、行の最小値の最大値は -1である。列の最大値の最小値も -1である。両者が一致する、A2・B1が鞍点となる均衡点である。一方表1では、行の最小値の最大値(-1)と列の最大値の最小値(1)は、一致しないから鞍点・均衡点はない。
  
 戦略の選択  B1  B2  行の最小値
 A1 1 -1  -1
 A2 -1 1  -1
 列の最大値  1  1  
        表1

 戦略の選択  B1  B2  行の最小値
 A1 -2 1  -2
 A2  -1 2  -1
 列の最大値  -1  2  
        表2

 鞍点(saddle point)の意味は、図2の幾何学的図形を見れば明らかだろう。x 軸に τ1 を、y 軸に τ2 を、z 軸に ℌ(τ1, τ2) を取った時、描く曲面が図2のような鞍型をしているときに存在する点である(ここでは、2人の選択が無限にあるとして曲面になっている)。一方向では最低点であるが、同時にもう一方向では最高点となっている点である。鞍点が存在するのは、一般的とは言えない特殊な曲面である(余談ながら、この図を見れば負の曲率を持つ宇宙モデルを思い浮かべる)。
 
   
                 図2

 鞍点がなければ、純粋戦略のゲームには解がない。プレイヤーが、相手の選択にかかわらず、最良の行動を取ることができない。このような鞍点のないゲームの困難な状況を打開するためには、ゲームの概念を変えるしかないとノイマンは考えた。「次に直面する課題は、あらゆる零和2人ゲームを包括するような解、つまり確定的でない場合の困難にも応じうるような解を見出すことである。この課題をうまく解決するためには、確定的な場合を処理したときと同様な考え方が役立つのである。[中略]そのためには、確率論のある種の結果を利用しなければならない」(2,p.68)。戦略(選択)を確定した純戦略から確率的な手段による「混合戦略」(「確率的戦略」とも)を含むものまで拡大するのである。2人のプレイヤーが、あるときには一行動を行い、あるときには別行動を行うように、行動を混合せねばならないことから混合戦略と名付けられた。
 例をジャンケンのゲームで説明する。プレイヤーAとBの3純粋戦略からなる報酬表を掲げる。勝者に1点が、引き分けを0点とする零和2人ゲームのAの報酬行列である。
 
    Bの戦略  
パー チョキ グー
 Aの戦略  パー  0  -1  1
 チョキ  1  0  -1
 グー  -1  1  0
          表3

 この表3では、行の最小値の最大値は-1である。列の最大値の最小値は1である。両者は一致しないから、鞍点は存在しない。確定的でないから、後出しすれば優位に立てることになる。
 ここで、混合戦略を取ることにする。報酬はどの戦略による勝利も敗北も同じ報酬をもたらす構造になっていて、バイアスはない。そこで、3戦略を等確率1/3で(さいころなどを使って)ランダムに選択する。その時、可能な戦略の組み合わせは等分で発生するから、Aの報酬期待値は、 
  1/9(0-1+1+1+0-1-1+1+0)= 0
 となる(Bも同じ)。もし、ここでBは、パーを1/2,チョキを1/3、グーを1/6の確率(1/2+1/3+1/6=1)で出すとしても、Aが、パー、チョキ、グーを各1/3の確率で出すかぎり、Bの(そしてAも)報酬期待値は同じく0である(計算は簡単であるが略)。Bがどのように戦略を組み合わせても、例えばパーだけを出したとしても、Aが等確率戦略を取る限り、Bは平均報酬を改善できない。同様に、Aがどのように戦略を組み合わせても、Bが等確率戦略を取る限り、Aは平均報酬を改善できない。それゆえ、純戦略ゲームで鞍点がゲームの均衡点であるのと同じ意味で、このゲームでは等確率を取る混合戦略は、均衡点を持つ。プレイヤーが自分の選択を相手に知られないためには、事前に自身が何を選択するかわからない方法に勝るものはないのだ。なお、上記ジャンケンではいずれの勝ち方も同得点であったが、勝ち方で得点に差がある場合、例えばパーで勝った場合は2点、チョキで勝った場合は1点等、でも均衡点が成立し、取るべき各戦略の占率計算法も示されている。
 以上は簡単なジャンケンゲームで説明したが、ノイマンはあらゆる2人零和ゲームについて、最適混合戦略=均衡点が存在することを証明した。プレイヤー1は、一つの戦略に対応する τ1=1, …, β1 を選択するのではなく、β1 個の戦略 ξ1, …, ξβ1 の確率分布 ξ を選択するのである。プレイヤー2は、同様に、η1, …, ηβ2 の確率分布 η を選択する。ゲームの利得の数学的期待値を K(ξ,η) とすると、すべての2人零和ゲーム Γ について、
  Maxξ MinηK(ξ, η) = Minη MaxξK(ξ, η) = v
 が成り立つこと、すなわち鞍点が存在することを証明できる。これをミニマックス定理という。ノイマンは、「室内ゲームの理論」(1928)論文で、難解な不動点定理を使って、ミニマックス定理を証明した。本書では凸集合の性質を使った簡易な(?)証明となっている。モルゲンシュテルンが見つけだした論文によるものだという(モルゲンシュテルン、2014、p.961)。
 ノイマンが「室内ゲームの理論」で、ミニマックス定理の証明という重大な結果を得たことによって、「ゲーム理論に数学的な体裁が整った」(パウンドストーン、1995、p.63)。ノイマンは、Econometrica(1953、p.124-125)に寄せた通信欄で次のように書いている。ボレルは、決定的な「ミニマックス定理」を証明できなかった。「私の知る限り、この定理がなければ、これらに基づくゲーム理論はあり得ませんでした。[中略]決定的な点(「ミニマックス定理」、この定理だけが問題となる概念を明白に有用にする)に関する彼(ボレル:記者)の否定的な結論は、何よりもやる気をなくさせるものだったであろう。[中略] その期間を通じて、私は「ミニマックス定理」が証明されるまでは出版する価値のあるものは何もないと感じていた」と。

 (零和3人ゲーム ―第5・6章)
 3人ゲームとなると、2人ゲームの純粋な対立状況が消滅する。2人が提携(結託)して、残る1人に対抗する状況が生まれる。ゲームのルールが提携を禁じておらず、一人で行動するより提携する方が優位な状況であれば、自然と提携が形成されることを理論は示している(ノイマンは28年論文で既に触れている)。3人ゲームで分析の中心は、提携の概念である。その開始、内部での取り決めと利得の大きさ、その有利性と安定性の分析である。
 まず、n人ゲームの場合を考えてみる。I をプレイヤー全員の集合とする。その部分集合 S と補集合 ¯S の二つのグループに分かれ、それぞれ集団内では結託し、集団相互に敵対しているものとする。これは、S ¯S の2人ゲームと考えることができる。S に属する全員が結託したとき獲得できる値をv(S)とする。零和ゲームであるから、v(I ) = 0 であり、零集合の利得も零であるから、
  a)  v(Ø ) = 0
 となる。2人ゲームと同様に確率を使った混合ゲームを用いると、S¯S ̅の利得は、
   b)  v(S ) = v および  v(¯S ) = -v
 となる。ここで、
 他のある結託グループをTとするなら、
   c)  ST Ø なら、v(ST ) ≥ v(S )+v(T )
 すなわち、ST の構成員が重複しないなら、ST は協力すれば、独自のグループ行動を取ることによる S T の利得総額より以上ものを確保できる。以上の関係(公理)を満足させる関数 v(S ) を特性関数と呼ぶ。そして、逆に a)~c) を満たす任意の関数 v(S ) に対して、この特性関数 v(S ) をもつ零和 n人ゲーム Γ が常に存在することが証明できる。
 c) 式で等号が成り立つ場合を加法的といい、各グループは単独に行動しても、結託で獲得できるものと同じ利得を確保できる。結託は存在理由を持たない。この場合、各グループの利得を一意的に定義でき、その和は 0 である。このように結託が何ら役割を持たないゲームを非本質的ゲームと呼ぶ。c) 式に不等号が成立する時、非加法的といい、結託への誘因生じる。このような結託が重要な役割を果たすゲームを本質的ゲームと呼ぶ。結託の価値(効用)の非加法性が、経済学で重要な論点であったが、同時に重大な難点であったと著者はいう。
 n = 2 の場合は、零和ゲームでは結託の余地はないから、加法的でゲームは決定される。本質的なゲームは n ≥ 3 でなければならない。v(S ) が加法的でなければ、加法的関数の選択と単位の変換により、すべての1元(要素)集合に対して v(S ) = -1 に選べることがわかっている。
 よって、n = 3 の時、この場合、特性関数は完全に決定され、v(S ) は次のようになる。
  S の元の数が 0 のとき  v(S ) = 0  零集合のため、上記 a)の公理から
  S の元の数が 1 のとき  v(S ) =-1  上記選定により
  S の元の数が 2 のとき  v(S ) = 1  1元集合の補集合であり、零和より
  S の元の数が 3 のとき  v(S ) = 0  全体集合の値は零和である

 次の問題は、ゲームにおいてどのような期待の下に結託がなされるのか、また結託により獲得されたものがどのように配分されるかである。ここで、まず配分に関する定義を記す。各メンバーが配分 β よりも配分 α が有利なような有効なプレイヤーのグループが存在する時に、α は β を支配するとする。ここでいう有効とは、当該グループ外のプレイヤーがどのような行動を取っても、α の利得をグループ内のメンバーに保証できることを意味する。次に、配分の集合 V が解(均衡値)であるとは、次の性質を持つことである。
  1. V の中のどの β も V の中の α によって支配されない。        (1・A)
  2. V の外部のすべての配分 β が V の内部にある配分 α から支配される。 (1・B)
    そこで、V は V のどの元からも支配されないような配分の全体と一致する。
  3人ゲームの参加者の各配分は、α1、α2、α3を元とするベクトル α で表される。
    α=(α1, α2, α3) 
 である。ここで、各プレイヤーは単独で獲得できる利得が v( {i} ) ( = -1:上記S の元の数が 1のとき v(S )=-1 より)であるから、彼らは αi < v( {i} ) となるようないかなる配分も拒否するから、αi ≥ v ( {i} ) = -1となり、
    α1 ≥ -1、α2 ≥ -1、α3 ≥ -1      (2)
 であり、
    α1 + α2 + α3=0           (3)
 である。
 これらを2次元平面上の図形として表示できる。平面上に60度で交差する3つの軸をとる。

            

          図3

 平面を分割した6象限(?)に、I~VI象限の番号を付けてみた。それぞれの象限の元の正負は次のとおり。

   α1 α2 α3
I  +  +  -
II  +  -  -
III  +  -  +
IV  -  -  +
 V  -  +  +
VI  -  +  -
        表4

 平面上の任意の点から、これら3軸に垂線を引き、それぞれの足の長さに符号を付けたものをα1、α2、α3とする(斜交座標とは異なる)。このとき、α1、α2、α3 の総和が 0 となることが証明できる。逆に元の和が 0 となるどのような3次元ベクトルに対しも、平面上の1点が決定できる。平面上の点は (3)式を満足させるのである(図3参照)。
 ここで、もう一つの条件、各元が -1 に等しいか大きいかの制約を、図3に追加すると、α1 = -1、α2 = -1、α3 = -1 の直線に囲まれた三角形となる。α はこの三角形(基本三角形と呼ぶ)の辺上および内部になければならない(図4彩色部分)。

 
                図4

 次に、この図を使って支配関係を表現する。
 ゲームにおいて、結託者が誰もいないか、ただ1人のプレイヤーで構成されているか、あるいは敵対者が誰もいない場合は考慮する必要はない。結託者が敵対者を持つケースを考慮せねばならない。ここで、n = 3 であるので、I ={1,2,3}の部分集合 S のうち、すべての解 V を決定するには、2元集合のみを考慮すればよい。すなわち、
   { 1,2 }、{ 1,3 }、{ 2,3 }
 である(この2元集合が利得1を得る結託者の組み合わせを表している:記者)。したがって、
   α=( α1, α2, α3 ),  β=( β1, β2, β3
 について、α が β を支配するとき、
  α1 > β1 , α2 > β2  あるいは、 α1 > β1 , α3 > β3 あるいは、 α2 > β2 , α3 > β3  (4)
 となる。
 
   
            図5

 それゆえ、点 α は、図5の6分割面のうち彩色部分の3面(A,C,E)を支配するが、無彩色の3面(B,F,D)によって支配される。
 基本三角形上では、α は図6の彩色部分内の点は支配するが、其の他の点は支配しない(例えば、上部の平行四辺形の内部に β があれば、α2 > β2、 α3 > β3 の領域である)。


               図6

 逆に、点 α は基本三角形の無色彩部分の中の点に支配される。従って、α を支配もしないし、α によって支配されない点((4)の2式3セットのうち各セット内の一式が等しくなる)は、3本の緑色直線上にある点に限られる。
 これから、
 α と β が互いに支配関係にないとすると、α から β へ向かう方向は基本三角形の辺に平行である。     (5)
ことが解る。
 以上をもとに、解(均衡値)を考える。V は、少なくとも2点、例えば α と β を含まねばならない(1点だと図6のごとく支配されない部分が残る)が、両者を結ぶ線は上記(5)によって、基本三角形の一辺と平行になる。ここで、プレイヤー1,2,3の番号を付け替えることによって、この一辺を水平すなわち α1 = -1 と平行にできる。こうして、α、β は水平線 ℓ 上(図7)にある。そこで、2つの可能性が考えられる。
   (a) V のすべての点が、ℓ 上にある場合、
   (b) V のいくつかの点は ℓ 上にない場合、
 まず、(b)のケースを考える。
 ℓ 上にない V のいずれの点も、α、β を底辺とする2つの正三角形の頂点となる。なぜなら、(5)によって、α、β を通って、(直線 αβ に平行でない)基本三角形の他の2辺に平行な2線上になければならないから、それらの交点となるゆえである。すなわち、その点は αβ を底辺とする2つの正三角形の頂点、図7の α‘、α’’ のいずれかでなければならない。しかし、α’ は、図6(の α を7図の α’ と置き換えれば)に徴すれば、I 三角形の内部を支配しない。それゆえ、V の性質の(1・A)「 V の外部のすべての配分 β が V の内部にある配分 α から支配される」に反するため、α’ は V ではない(α、 β も I 三角形の内部を支配しない:記者)。
 
               図7

 同様の比較から、三角形Ⅱの頂点(原書は複数表示)は、図8の一番下に示した基本三角形の無色彩部分を支配していない。ここは、原書では説明が簡略だから、自分なりに補足しておく。三角形Ⅱの頂点 α は、橙色の部分を支配し、頂点 β は水色の部分を支配し、頂点 α“ は緑色部分を支配するからである。

 



            図8

 そこで、V が基本三角形内をすべて支配するためには、三角形Ⅱの各頂点 α、β、α“ が無色彩部分を基本三角形の外部に押し出すように、配置させねばならない。すなわち、3頂点は基本三角形の3辺の中点になければならない。これら3点は、図9に示すベクトル(点)
      (-1,0.5,0.5)、(0.5,-1、0.5)、(0.5,0.5,-1)
 である。

 
               図9

 これらの点の集合が、解である。上記の解の性質 (1・A)「 V の中のどの点も V の中の他の点によって支配されない」を満たしていることは明らかであるし。性質(1・B)「 V の外部のすべての点が V の内部にある点から支配される」も、図8・図9から明らかである。すなわち、V の外部のある点、例えば γ ―(0.75,-0.5,-0.25)とする― は、α には支配されない(α1 < γ1 , α2 < γ2 , α3 > γ3 )が、β(β1 > γ1 , β2 < γ2 , β3 > γ3 )や α“ (α”1<γ1 , α”2 > γ2 , α”3 > γ3 )には支配される(記者の補足)。γ は、V のどれか少なくとも1点には支配されているのである。γ の配分状況があれば、プレイヤー1と2の結託により3が疎外されて極限まで搾取されるか( β 点)、2と3の結託により1が搾取される状況( α“ )までいって落ち着くということであろう。これらは、提携した2人が配分を2等分し、残る1人が割を食うとい極めて常識的な予想を証明している。提携に誘われた人は、得るものの半分を貰えないなら、別の第三者と提携するであろう。

 次に(a) V のすべての点がℓ上にある場合である。
ℓ上のどの2点も、(5)によって、互いに他の点を支配しないから、ℓ上のどの点もVの点によって支配されない。それゆえ基本三角形内の線分ℓ上のすべての点が V に属していなければならない。それで、V の元 α=(α1 , α2, α3)は、方程式   
 α1=c
 の特徴をもつ。図10参照(ℓはcの高さをもつ)。
 
  
                図10

 本書で、ℓは図10のA領域(筆者が付けた名称)のみを支配していないと書かれている。
  [記者いう:基本三角形内のℓ(原書にはただℓとしか書いていないが)では、BとCも支配していないが、BとCは、どのような状態でも基本三角形内には入り込めないから、Aのみが書かれているのであろうか。基本三角形内のℓの右端の支配領域(褐色)から,左端の支配領域(水色)まで支配領域をスライドしていけばA、B、Cの領域が支配されないと思うのだが]
 ℓが基本三角形の内の点すべてを支配するためには、A領域が完全に基本三角形の外部に位置するように配置せねばならない。そのためには、ℓと基本三角形の2辺との交点が、その2辺の中点より下になければならない。すなわち、c < 0.5とならねばならない。一方では、ℓ が基本三角形と交わるには、c ≥ -1でなければならない。そこで、
   -1 ≤ c < 0.5     (6)
 となる。これは、α1=c となるすべての配分 α =(α1, α2, α3)から成っている。これらの配分は、(2)と(3)の条件を満たしているから、この解は、
  α=(c, a, - c - a)、   -1 ≤ a ≤ 1 - c
の形のすべての配分からなり、無限に多く存在することになる。
 また、この解は、番号1,2,3に適当な置換をすることによって得られたものであるから、さらに2つの解
   α2 = c
   α3 = c
 も得られる。
 著者は、(b)のタイプの解を「客観解」(nondiscriminating “objective” solutions:原著2版、p.290)、(a)タイプの解を「差別解(非客観解)」(discriminatory “inobjective” solution:同)と呼んでいる。差別解が出てきたことは、著者たちにとっても予想外のようであったようだ。「このまったく予想しなかった員数外(原文supernumerary:余分な、過剰な?)の解は、いったい何を表しているのだろうか?」(3、p.106)。
 その意味は、プレイヤーのうちの1人が差別され仲間外れにされていることである。α1 = c の場合、プレイヤー1が得るべき利得 c はプレイヤー2,3によって割り当てられており、1は、他人と結託する機会を与えられていないとする。あるいは、その意味は1が提携形成の駆け引きから中立を宣言し、一定額 c を確保し、他の2人が -c を分配することだともされている(鈴木光男、1981、p.197)。いずれにせよ、私にはもう一つ理解できない。差別解と訳したのは鈴木光男のようである。むしろ(a)のケースの方が、結託から排除されたプレイヤーは全く何もできないので、余程搾取が極端で差別されているようにも思える。特異解としたほうがよさそうである。
 ちなみに、2、3の配分がどうなるかは、この解は示していない。また解の安定のためには、1の取り分 c が、2,3が共同で得られる最大値以上にはなりえない。もしそうなれば、c ≥ a + ( - c - a )  すなわち、c ≥ 0.5 となり、(6)に反すので起こりえない。

 本書の中心的な議論は3人ゲームの部分だと思われる。第9章で、零和条件を定和条件に緩和するが、零和条件と同等に扱って基本三角形を使い、3人ゲームの解に曲線部分(いわゆる「交渉曲線」)があることを発見する。そして、「第11章 一般非零和ゲーム」で、n = 3 の経済的解釈として、「交渉曲線」を使ってプレイヤー1を売り手、2,3を買い手のケースを分析している。私の理解力不足を棚に上げて、本書は最初の5章の所までを読めば充分見返りがあると書かれているものがあることを言い訳にして、以後の内容は省略させていただく。

 米国の大型古書店よりの購入。海外の古書店で数学書のコーナーを見つけた時は、知らずとこの本の初版本を探していたが、初版本の体裁のイメージが解っていないので、見付けにくかった。手に入れてみると,すこし薄手であるが、第二版にほぼ同じである。
 その後の経済学に与えた影響か、当サイトの「インターネット集書」にも、書いたように、短期間で見る見る書価が高騰した印象がある。高い所で、15,000ドル台の本を見た。現在(2025年) 2,000~4,000ドルの値段で落ち着いている。とても小生には手が出る本ではないと諦めていた。2005年に掘り出し物価格で手に入れることができた。

(注1)ちなみに、参考文献10.論文では、交友した物理学者として、ボーア、アインシュタイン、パウリの名はあげられているが、同じウィーン子であるシュレディンガーの名はない

(参考文献))
  1. 梶井厚志、松井彰彦 『ミクロ経済学 戦略的アプローチ』 日本評論社、2000年
  2. キャスティ、ジョン 『20世紀を動かした五つの大定理』 講談社、1996年
  3. 鈴木光男 『ゲーム理論入門』 共立出版、1981年
  4. 鈴木光男 『新ゲーム理論』 勁草書房、1994年
  5. 鈴木光男 『ゲーム理論の世界』 勁草書房、1999年
  6. パウンドストーン、ウィリアム 松浦俊輔約 『囚人のジレンマ』 青土社、1995年
  7. フォン・ノイマン、モルゲンシュテルン 銀林浩他訳 『ゲームの理論と経済行動』全5巻 東京図書、1972-73年
  8. マクレイ、ノーマン 渡辺正・芦田みどり訳 『フォン・ノイマンの生涯』 朝日新聞社、1998年
  9. 森嶋通夫 『思想としての近代経済学』 岩波新書、1994年
  10. モルゲンシュテルン、オスカー 「オスカー・モルゲンシュテルンとジョン・フォン・ノイマンによるゲーム理論についての共同研究」(フォン・ノイマン、モルゲンシュテルン 武藤滋夫訳 『ゲームの理論と経済行動 刊行60周年記念版』 勁草書房、2014年 所収)、
  11. Binmore Playing for real, Oxford University Press, 2007
  12. R. Stone ‘The Theory of Games’( The Economic Journal, Volume 58, Issue 230, 1 June 1948, Pages 185–201)
  13. Von Neumann,J. ' Communication on the Borel Notes' Econometrica(Vol.21,No1, Jan,1953、p.124-125)

    その他、『ゲームの理論と経済行動 刊行60周年記念版』に付録として掲載されている、コープランドやハーヴィッチの「書評」は参考にさせてもらった。



左が初版本、右が第二版

初版本標題紙(拡大可能)

(2005/12/5記、2025/2/6全面改稿)



稀書自慢 西洋経済古書収集 copyright ⓒbookman