WICKSELL, K.
, Geldzins und Gütenpreise. Eine Studie über die den Tauschwert des Geldes bestimmenden Ursachen, Jena, Gustav fischer, 1898, ppxi+189 , 8vo

 ヴィクセル『利子と物価』、初版。
 著者(1851-1926)は、スェーデンのストックホルム生まれ。父は3回結婚し、クヌートは2番目の妻の子、父との関係も良好といえず、母とも死別。子ども時代は家庭的には恵まれなかった。ウプサラ大学では、数学に特に秀でて、学生時代から数学論文を学会誌に掲載されている。定職に就いたのは、48歳のウプサラ大学講師就任時で、それまでは講演やジャーナリズムへの売文による収入で、貧困な生活を送っていた。経済学の道に入ったのは、28歳の時の禁酒に関するネオマルサス主義者としての講演が契機である。その後の論争から経済学を習得する必要にせまられた。遊学時代は経済学専一ではなかったが、2回の留学を経験している。一回は姉の遺産で英国に行き、大英博物館で、ワルラスやジェヴォンズ等の経済学書を読む。いま一回は、財団の援助で3年間、英・独・墺を回り、ウィーンではメンガーの講義を聞いたりした。
 晩年の57歳になって瀆神の罪で2ケ月間収監されるほど血の気の多い人で、世間からは奇矯な変人と見られていた。スェーデン王政への反抗と大国ロシアに対する軍備無用論で度々物議を醸し、世論の袋叩きに会ったことも一再ではない。後者の論議は、我国有数の理論経済学者であった森嶋通夫が主張したソビエトへの「無抵抗降伏論」(森嶋通夫『自分流に考える 新・新軍備計画論』文藝春秋)と奇妙な暗合しを見せている。スェーデンの国際連盟代表でもあった妻との仲は睦まじく、多くのエピソードを残している。

 ヴィクセルの本には、ケンブリッジ学派といって悪ければ、少なくともケインズやジョーン・ロビンソンの本のような幾様にも解釈できるような難解さはない。さらには、ワルラスのごとき抽象的な理論展開はなく、シンプルで力強い理論である。また、理論家には似合わず(?)広く文献を渉猟しており、この本を読みながら数えてみたら、19人の経済学者があがっていた(数え間違いご容赦)。古いところでは、トゥック・シーニアから同時代人のワルラス・マーシャル・フィシャー等。マルクスの引用をみてもよく読みこんでいることが判る。
 その上、『価値・資本及び地代』とちがって、本書では「このたびは数学的方法をほとんどまったく使用しなかった。これは私が数学の権限や適用可能性について、従来とは考えを異にしたというようなわけではなく、ただ単に対象が精密なかたちで処理できるほどにはまだ決して成熟していないと思われたからである。」(ウィクセル、1984、p.9)と書かれたとおりである。
 著者の処女作である『価値・資本及び地代』は、経済学史上の偉大な著書であるにちがいはないが、限界効用理論と一般均衡理論およびボェーム・バヴェルクの資本理論という先人の理論を総合した書である。しかるに、本書は貨幣理論に革命をもたらしたばかりでなく、経済変動理論にも期を画した真に独創的な著書である。
 本書の衣鉢を継ぎ、リンダール、ミュルダール、ルンドベリー等北欧学派(スエーデン学派)が生まれたばかりでなく、ミーゼス、ハイエク等のウィーン学派にも影響を与えた。更には、イギリスの経済学においても、ケインズの「貨幣論」(1930年)、ホートリーの「資本と雇用」(1937年)等が、ウィクセルの影響を受けている。
 元々本書の研究は当時問題となっていた金・銀複本位制について、貨幣数量説の検討から始まった。貨幣数量説は余りにも多くの欠陥を持っているにもかかわらず、これ以外に首尾一貫したまとまりのある貨幣理論がないことに気付き、貨幣数量説を徹底的に発展させ、矛盾のない、かつ事実と完全に合致する理論に到達しようとした(序文)。「一般物価水準の変動について、従来より試みられたすべての説明方法のなかで、たしかに貨幣数量説は比較的一番正しいものである。われわれは貨幣数量説を承認し、そうして疑いもなくそれがもつ欠陥が、この理論の基礎にある事実のさらに立ち入った分析によって矯正されないかどうかを見なければならない。」(ウィクセル、1984、p.65-66)と。
 さて、しかし貨幣数量説に従って、物価騰貴を貨幣過剰・利子率低下から、物価下落を貨幣不足・利子率上昇から導出しようとしても、事実上観察された利子率の動きはむしろ逆である。物価上昇の時期には利子率の持続的な騰貴が、物価下落の時期には利子率の持続的な低下が多く見られるのである。
 ここでいう利子率は観察できる貸付(貨幣)利子率のことであるが、ヴィクセルはここで、もうひとつの利子率の概念を持ち出す。自然的資本利子率である。ヴィクセルによれば、完全な実物経済で、企業家が、資本家から実物のままで借入れ、これで賃金・地代を前払いし、生産を行い、完成品から借入れた消費財を返済するとする。すべての企業家がこのようにすれば、競争により企業家が資本家に(実物で)支払う一定の利子率が成立する。これが、自然的資本利子率(natürlicher Kapitalzins)である。(注1)
 また、「自然的資本利子の高さは、…自然的資本利子は生産の収益性、固定資本と流動資本の存在数量、求職者数量、地力の供給などに依存する。簡単にいえばそれは問題とする国民経済のそのときの経済状態を構成する一切の事情に依存し、またこれらの事情によって変動しつつあるのである。」(ウィクセル、1984、p.130)としている。企業者が生産計画を立てる時のものだから、予想収益率のようなものかと思う。
 前置きが長くなったが、ここからが、ヴィクセルの累積過程の説明である。いま、生産期間を1年とする。(伸縮的な貨幣政策を取る)銀行が貸付利子を自然的資本利子率以下に引き下げると、企業者は年度末に、年初に借入れた金額に貸付利子を付して支払ったとしても、両利子の差額に相当する超過利潤を得ることになる。これが彼らを生産増加に駆りたて、(原材料・半製品に対する需要増加を通じ)あらゆる生産要素の需要を増大させる。それは、生産用役の提供者(労働者・土地所有者)の賃金・地代を高騰させ、消費財需要を増大させる。ただ、商品量総額は変わらないとされているので、必然的にすべての商品価格を騰貴させることになる。「もっと簡単にはこの騰貴を需要の増加に比例(・・)するものと考えることができる」(ウィクセル、1984、p.174)。こうして、物価騰貴がおこるのである。この過程の中には、生産要素の物価上昇が超過利潤を消滅させる傾向があるけれども、これに並行した消費財の価格の上昇が超過利潤をふたたび生み出す傾向がある。
 逆に、貸付利子が自然的資本利子率以上に引き上げられると、企業者は特別利潤を得られないどころか、損失を被ることになる。さしあたりは、損失を自己の報酬か財産収入で補うが、これを避けるために自己の営業を比較的収益の多い部門に限定し、生産用役の需要を減少させる。生産用役の提供者(労働者・土地所有者)は賃金と地代を引下げることになる。労働者・地主からの消費財需要も減少するが、総額は変わらないとされるから、商品価格は下落する結果となる。
 こうして、貸付利子と自然的資本利子率との差が物価の変動を生み出すのである(注2)。先述の、物価上昇と高利子率(あるいは物価下落と低利子率)の併存の問題は、媒介物である自然的資本利子率を考えずに、直接貸付利子と物価の変動を結びつけたことに起因したのである。(貸付)利子率の高低は相対的なものであり、自然的資本利子率と比較すべきものであったのである。
 この物価変動のメカニズムでさらに留意すべきことは、原因である両利子率の差が解消して両利子率が合致したとしても、一旦上昇(下降)した物価は元に戻らないことである。そして、両利子率に差があるかぎり、物価変動は継続する。銀行が貸付利子を自然的資本利子率以下に維持するなら、物価は上昇続けるのである。「もしある原因が問題の変数をある地点から引きはなす場合に、こうした原因が作用することを止めたとしても、その変数は、もとにもどる傾向を少しももたないのである。そうした変数はその場に止まる。ところが、その原因が作用している限り、問題の変数は移動しつづけるのである。」(マルシャル・ルカイオン、1978、p.45)
 これをヴィクセルは「中立的均衡」と呼んで「安定的均衡」と対比している。後者は相対価格の動きであり、振子の運動に例えられている。前者は(いくらか摩擦のある)平面上に置かれた円筒に例えられている。力が加わる限り他所に移動し、力が消えても暫くは静止しないイメージである。この「中立的均衡」は、後に「貨幣的均衡」とも呼ばれている。
 さらに期待が加わり、企業者が物価上昇を生産計画に織り込むと「陣風を作る」。「上述のごとくにして起こる価格変動が、一時的なものと見做される限り、それは実際には恒久的に存続する。併しそれが恒久的なものと見做されるや否や、それは累進的となる。最後にそれが累進的と見做されるならば、それは雪崩的となる」(『国民経済学講義Ⅱ』ドイツ版序文;Ⅱ巻の新訳は未刊行、旧訳の未見のため北野、1956、p.149より引用)

 本書を読んでみて思ったのは、ケインズ理論との類似である。ヴィクセルの「自然的資本利子率」は、ケインズの「資本の限界効率」に相当するのではないか。これらと、貨幣利子率の差がヴィクセルでは、物価の変動となり、ケインズでは所得(雇用)の変動になる。マクロで考えて、前者は生産量固定・価格変動モデル、後者は生産量変動・価格固定モデルとなるのでないかと思う。
 ヴィクセルのモデルは完全雇用の仮定があると記した本(北野、1956)もあるが、これは『国民経済学講義』の段階のことかもしれない(この本は読んでいない)。少なくとも本書には需要減退時に失業が生じることが書かれている所(ウィクセル、1984、p179)があるので、必ずしも完全雇用を前提にしているとは言い難いと思う。しかし、生産量が固定されていることは明記されており間違いない。

 本書は、長らく探求書であったが、2008年に別々のオランダの古書店で、2冊をほぼ同時期に入手。価格は10倍くらいの開きがあったことは、ブログで紹介した。

(注1) 自然的資本利子率には、種々の欠点がある。まず、貨幣と実物の二分法である、貨幣数量説を否定しながら、実物の世界を持ちこむこと。そして、単一商品生産の世界出ないかぎり、生産期間中の相対価格不変を仮定しないと自然的資本利子率が求められない理論的な問題。さらには、ヴィクセルも認めるように直接、自然的資本利子率を求めることが出来ないこと(物価の動きと貸付利子率から推定する他はないこと)等。このため、ヴィクセルは、後の『国民経済学講義』では、正常利子率で代替している。
(注2) 現実の物価水準変化は、貨幣利子率が、自然利子率(一種の均衡利子率)に一致しないことから生ずる。「即ち、経済現象撹乱の原因は、貨幣側にあるのであって、商品の側にない。この主張に従えば、貨幣政策の目的は、貨幣利子率を自然利子率に適用させると云う、消極的な面だけになる。」(北野、1956、p.103)

(参考文献)
  1. ウィクセル 『利子と物価』 日本経済評論社、1984年
  2. 北野熊喜男編 『経済学説全集 第19巻 近代経済学の展開』 河出書房、1956年
  3. 鈴木諒一 『北欧学派 ―その資本理論の研究―』 春秋社、1949年
  4. J・マルシャル J・ルカイオン 菱山泉訳『貨幣的分析の基礎 ヴィクセルからケインズまで』 ミネルヴァ書房、1978年

    なお、伝記については、北野熊喜男 「ウィクセルの伝記」(同氏訳『価値・資本及び地代』 日本経済評論社、1986年 付録)を主として参照した。




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(H21.10.4記)



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