WAYLAND, F.
,The Elements of Political Economy , New York, Leavitt Lord & Company, 1837, ppxv+472, 8vo

 ウェーランド『経済学』1837年、初版。
 著者(1796-1865)は、イギリスから移住した新婚父母の長男として、ニューヨーク州に生を享ける。親子二代のパプティスト派の牧師である。父親は世俗的な成功を擲って牧師となった。著者も生活のため医師を目指したものの、聖職者の道もだしがたく教師をしながら神学を学ぶ。若き牧師ウェーランドの説教が、全国的に有名となり、30歳そこそこでブラウン大学(パプティスト派設立)の学長に招かれる。彼が就任した当時の大学スタッフは、学長の他、教職員5名・事務員3名のこじんまりしたもの。学生数も100〜200人くらいか。学長は、学外の社会的な活動を別としても、学生の管理や宗務行事の主宰の他、自ら行う授業負担も重かった。この学長職に30年近く従事し、彼が着手した大学改革案は教育史上著名であるが、結局改革には挫折し辞任した。

 建国後といわず、19世紀に入ってから20年代までは、経済学は独立した教科ではなく、道徳哲学の一部門とみなされていた。そして、道徳哲学は大学の最終学年に履修するものとされ、学長自らが教授するのが普通であった。当時、教科書としては、マーセット夫人『経済学についての対話』のほか、特に北東部名門大学ではセイの『経済学』が使用されることが多かった。1820年代に入り、アメリカ国産の教科書が上梓されるようになった。レイモンド(Raymond, D Thoughts on political economy 1820;中部太平洋保護主義派に分類される)やクーパー(Cooper Lectures on the elements of political economy 1826;南部講壇学派)は、本書に先行していたし、同じ北東部牧師派に属するヴェセイク(Vethake, H The principles of political economy 1838)も同時期に教科書を出版している。
 ウェーランドも、それまで経済学の教科書として使っていたのは、セイの『経済学』(但し、英訳アメリカ版)である。この本を下敷きとして、本書を書きあげた。名著とはとうていえず、内容的には何ら独創的な点はなく単なる教科書にすぎない。経済学者でもない教師が年端も行かない学生(年齢は現在の高校生に相当)相手の教科書として、また読者として一般人まで対象を拡大して、倉皇の間に書かれたものだからである。
 内容的な特色は、後発の資本主義国として生産力育成の視点から生産編のウエイトが高いこと、1830年代の恐慌がアメリカ金融界に壊滅的な影響を与えたことから銀行紙幣の問題にも以上に多くのページ数が割かれていることである。その他の特色としては、宗教的あるいは道徳教訓的な色彩が濃厚なことである。経済学の基礎を教える教科書ながら処世訓や道徳的訓戒に満ちているのである。いわば、フランクリンの「貧しいリチャードの暦」の拡大新版ともいうべき要素がある。そういえば、セイはフランクリンの親友であり、「暦」の仏訳者でもあったから、互いに繋がるものがあるのかも知れない。
 このとうてい名著といえない本書がよく知られているのは、教科書としてのその人気のゆえである。19世紀に合衆国で一番よく使われた経済学教科書といってよい。1837年の初版刊行以後1875年に至るまで、およそ40年間にわたって多くの版を重ねた。売り上げは30年間に5万部と称されている。本人死亡後も事例を最新に改めたチャピンの改訂版が刊行され、20世紀初頭まで教科書として利用された。

 そして米国のみならず日本でも、原書のまま教科書とし広くて利用された他、福沢諭吉を通じても、明治の書生に大きな影響を与えた。それは、「ウェーランド・ブーム」と称されるほどであった。著者の『道徳哲学』とともに本書の影響の下、福沢が著した『学問のすゝめ』の発行部数は、20万部を超えたのである。
 戊辰戦争の上野の戦いでは、官軍が加賀前田藩邸(現東京大学構内)から不忍池を超えて上野の山の彰義隊にアームストロング砲を打ち込んでいた。殷々とした砲声の中でも「英書経済の講釈をしていました」と福沢諭吉は、『福翁自伝』(王政維新)で言っている。その英書がこのウェーランド『経済学』なのである。これを記念して慶応大学では今でも、5月15日を「福沢先生ウェーランド講述記念日」として講演会が行われている。

 カーライルをして陰鬱な科学と言わしめた経済学であるが、特に暗い未来を描くマルサスの人口論やリカードの差額地代説は、合衆国では人気がなかった。将来を約束するフロンティアが存在する若い邦であったことが不評の原因だろうか。ウェーランドの教科書も、希望的な基調に貫かれている。それがまた「坂の上の雲」を目指した明治初年の日本でも、同書が好かれた理由であろうか。それとも、本書に寝食を忘れると福沢に思わせたのは、その宗教的情熱(飯田説)によるものであろうか。なるほど、未だ江戸時代の武士道による倫理観が残っていた明治人はそういうものか思ったりする。

 米国の古書店から購入。表紙のヒンジ部分が弱っている。

 (参考文献)
  1. 飯田鼎『日本経済学史研究』、著作集第四巻、御茶の水書房、2000年
  2. 田中敏弘『アメリカの経済思想』、名古屋大学出版会、2002年
  3. 千草義人『福沢諭吉の経済思想』、同文館出版、1994年
  4. 藤原昭夫『フランシス・ウェーランドの社会経済思想』、日本経済評論社、1993年




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(2008/10/25記、2016/8/2 書名表記をイタリックに変更)



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