LONGE, F. D, A Refutation of the Wage-Fund Theory of Modern Political Economy as enunciated by Mr. Mill, M. P. and Mr. Fawcett, M. P., London, Longmans, Green, 1866, pp.iv+80, 8vo; ロンジ『賃金基金説論駁』(『ミル氏及びフォーセット氏により表明された近代経済学の賃金基金理論への論駁』)、1866年刊初版。 著者略歴: ロンジ Francis D. Longe (1831-1905?)。オックスフォード・オリエルカレッジに学び、J.S.ミルの哲学を研究する。卒業(1854)後、弁護士を開業。児童雇用委員会に関係し、救貧局総裁の私的秘書も務めた(1868-70)。前者の委員代理として多くの雇用主に会ったが、彼らの中には教養もあり賃金理論にも通じた人がいた。こうして賃金問題の実情を学ぶうちに、賃金基金説の誤謬を確信し、1866年本パンフレットを出版することになった。それ以前にも、ストライキに関する法律の小論を出版している(1860)。1870〜1896年の間地方自治体の視学官を務め、研究から遠ざかる。それでも、1883年には「ジョージ氏『進歩と貧困』及びミル氏賃金理論の批判的検討」なるパンフレットを上梓している。ホランダーが1903年に本冊子のリプリント版を出版した時には、著者はイングランドのローストフトLowestoftに隠棲してはいたが健在で、ホランダーに報告書statementを送付している。 古典派経済学においてスミス、リカード段階の賃金理論は「生存費説」とされる。マルサス法則による人口圧力のため、賃金水準は労働者とその家族の生存費にまで押し下げられるとするものである。賃金がこの水準を超えると、家族が増え労働供給が増加する。一種サプライサイドの理論である。一方で、リカードは進歩する国においては資本蓄積により、賃金が生存費水準以上に上昇する事実も認めた。ここには、需要側の視点が見られる。古典派では、生産に先だって資本家が流動資本によって、労働者に賃金を前払いする前提がある。ここから、労働需要は資本量によって決定されるとの見方が出て来た。これが「賃金基金説」である。マーセット夫人、ジョン・バートン、ジェームズ・ミル、マカロック等によって発展してきた基金説は、J.S.ミルによってその完成形態に達したとされる。 ミル(以下子ミルのこと)は、「賃金決定論としては、労働需給説、労働需要説としては賃金基金説である」(馬渡、1977、 p.164)。しからば、労働供給説は何か。労働基金説の扱う世界では、賃金の動向を説明するのに、長期的な観点を放棄し短期的な見方に立って、労働供給を所与としている(長期的にいうならば、マルサス理論に従っていると考えられる(注1)。そして、この賃金基金とは、賃金支払いに用意されているファンドである。実態的には、実質タームで表された労働雇用のために用意された生活資料総量(基本的には穀物量)となる。そこには、アダムス・スミスのいう労働者を雇用するための「生産的資本」の他、資本家が私的従僕等を雇う「不生産的資本」も含まれている。 上記のように、賃金基金は長期的には資本家の貯蓄によって増加するが、短期的にはその総量は一定である(注2)。そのため、一定時点では、労働需要量は賃金に反比例する。賃金が上がれば、需要量が減る関係にある。すなわち、賃金×労働需要量=一定(労働需要の価格弾力性は1)である。一方、労働供給も短期的には、所与である。そして、賃金は競争により、需要と供給の均衡したところに決まる。「賃金というものは、ひとり資本と人口の相対量によって定まるというばかりでなく、競争が支配しているところでは、他の何物の影響をも受け得ないものである。賃金(というのは、もちろん、一般的な賃金率のことであるが)は、労働者を雇うために使用される資金の総額が増加するか、あるいは勤め口を得るために競争している人の数が減少するのでなければ騰貴するを得ず、労働に対する支払いにささげられた資金が減少するか、あるいは支払わるべき労働者の数が増加するのでなければ下落することを得ないのである」(ミル, 1960, p.277-8)(下図参照。左図:労働需要曲線は弾力性=1の双曲線、供給曲線は非弾力的で垂線となる。右図:需給曲線移動による賃金変化:出典 馬渡、1977、p.167)。 ![]() 賃金基金説はその系として、労働組合による賃上げは他の労働者の雇用を減らすだけだとの結論を導く。当時は労働争議が頻発した世相である。盲目のケンブリッジ大学教授(マーシャルの前任者)ヘンリー・フォセットは、『イギリスの労働者の現状』(1865)においてストライキによる賃上げ無効論を説くにあたり、賃金基金説をその論拠の一つとした。 今日の目から見ると奇矯とも思える説であるが、19世紀中葉には、賃金基金説は労使双方から当然のことと認められていた。労働組合の指導者達でさえ、「二たす二は四のごとく」明白とか「神の法則」とまでいって認めていた。しかし労働組合が、次第に労働者の相互扶助的機能よりも資本家との交渉機能を強化するにつれて、基金説への批判も高まった。しかし、ほとんどの批判は、理論的でもなかったし、実証的でもなかった。最初の重要な批判とされるのが、ロンジのこのパンフレットである。それでも、ヒュームの『人性論』の如く「印刷機から産み落とされた時は死んでいた」といわれるほど、世間からは無視された。 このパンフレットの内容に入る。まず、ロンジは、基金説が労働者の状況を改善する努力を阻害する点において実践面で反対する。「賃金基金原理についての最も現実的な反対は、これが概して進歩的原則の影響を社会活動の分野から排除することにある。本来この分野は、社会の利益のために、これら原則が最も影響を与えるべき所である。」(本書、p.8:以下本書からの引用はページ数のみを表示)基金説は抑圧された階級を救済しようとの公論を抑圧しがちであった。また、次のような主張を非難するのに使われた。彼らを良く知る雇用主が雇用する労働者の状態に(部分的にせよ)責任があり、雇用主の最終的な損失なしに、労働者の状況を改善できるとする主張である。基金説が、労働者待遇改善に反対する武器として用いられたことを、まずロンジは批判したのである。 次に、理論的にも基金説の基本的な誤謬を批判する。ロンジによるとこの説には三つの誤った想定がある(p.22)。 (1)社会的な富一般とは分離され区別された確定した資金が存在すること、それは労働の報酬を支払うために、必ず利用され使われる部分である。(2)労働者は競争を通じて、この資金を彼らの間で配分する一つの集団を形成していること。(3)そして、賃金基金が競争により労働者に配分されるとの見解は、需要供給分析を特殊な商品である労働力に適用したものにすぎないこと。と想定している点である。 ロンジのこれら三つの想定に対する批判を見て行こう。ここでは、ロンジ自身の説明の順に従い、(3)の論点の批判から見て行く。 まずは当時の最有力の経済学者であり、基金説の完成者でもあるミルの、主としてその主著である『原理』に記載された所を取りあげる。ミルによると、競争は価格を下げる働きをするが、価格下落を拘束もする。価格が低くなれば、その財の新たな購入者を出現させ、供給を吸収して価格下落は止まる。賃金下落は、競争により、総ての労働者が賃金基金の分け前に与れば、下げ止まる。ミルは、財の価格下落と賃金下落を拘束する原因の類似を主張している(一定の購入資金が財の供給に対して果たす役割が、賃金基金が労働に果たす役割と類似するとの主張は慎重に避けている)。 ロンジは次のようにいう。競争の理論では、一般商品の価格は売り手が全供給を処分できる水準以下には下がらない。実際には売り手がそれ以下の値段を付けることがあるが、これまでその商品を買えなかった貧しい人が商品を入手できる一方、買えなかった人は残部分により高い値段を支払おうとする。かくて買手の競争で値段は上がる。しかしながら、労働はこれとは異なる。一部で低賃金の雇用がなされたとする。そのことは、他所で、別の雇用主が残余の労働を雇用する時、より高い賃金を支払うことを妨害する。なぜなら追加賃金の支払は、同一市場に供給している競争相手の低コストに対抗できなくなるからである。 また、次のミルの考えにも誤りがある。労働の場合に、供給の一部を元々の全供給と需要(貨幣表示)で決定される価格よりも安くしか買わない場合でも、元の総ての額が労働に使われるとするとの考えである。ある商品の消費者が、一定の供給に1000ポンド支払うとする、消費者が満足する貨幣量である。しかし消費者が一部商品をその価格より安く買ったなら、その差額部分は売り手にとって絶対的に失われたものとなる。しかし、ミルの考えでは、商品を安く買った幸運な購入者は、そのようにして節約したお金を他の消費者に与え、こうして余った資金が供給の全残余部分の購入に使われることになるのである。しかし実際は、残余部分の価格は、元の供給と元の需要の価値から独立した、その残余の需要に依存するものである。 ミルは度々、供給減少は価格の比例的変化を生む(記者:需要の価格弾力性が1のことであろう。これが上記全消費額一定の考えと結びついていると思われる)と書いている。もちろん、供給の減少以上に価格の上昇する場合が普通に見られるが、二つの見解の相違は、前者が真の抽象的法則を、後者が現実生活の撹乱影響の下での法則の作用を表しているに過ぎないとする。ロンジはいう「牛肉供給の変化がその価格の比例的変化を生じるとの概念は、明らかに間違った想定に基づいている、すなわち需要またはその貨幣尺度は同一に留まると想定するものである。しかし、商品の需要は、時々に、日々に消費者の収入や性向により変動しがちであるから、その想定された「経済法則」は作りものの法則だろう」(本書、p.28-9)。そして同じミルが、別の所で需要供給の働きを説明する際に、商品の供給変化がその比例的な価格変化を生むとする想定を、ミル自身明らかに非難していることを、ロンジは指摘する。 さらにミルは需要供給原理のあいまいさを指摘した。供給概念は明確である。しかし需要は欲望あるいは購入力に裏づけられた欲望(有効需要)である。価値はこの二つにより成立するが、名称が異なる二つのものを比べるとは、何であるか。数量と(力と結合した)欲望にどのような割合が成立するか。需要とは需要量と解した場合のみに初めて理解できるとしている。しかるに、賃金法則でミルは労働需要を人口と資本の比率とし、これを労働供給と比べている。この不明確さをロンジは指摘する。 ついで、フォーセットに対する批判がある。理論面では、彼がターナーの絵の需要供給の例を取りあげて、その需給概念の不明確さを論じていることを取りあげる。しかし、フォーセットは、労働の需給概念の不明確さには気づいていないとミル同様に批判している。 次に(1)の論点である。経済全体に(1)のような資金が存在するなら、それは個々の資本家の手元資金の集合であろう。しかし、個々の資本家が、増加もしない一定の額で、それを労働雇用のみに使用する資金を保持しているとは思えない。また、そのような資金があるとすれば、それはある国のある時点で、貨幣尺度の労働需要として表せるであろう(ロンジはミルと異なり、実質ではなく貨幣表示で考えている)。しかし、それら貨幣表示の労働需要があるとしても、所与の時点で一国の労働者が獲得可能な賃金総量を表しているにすぎない。それは、労働の売手・買手の競争により分配されるべき一定量の富を表してはいない。「労働者が多分獲得可能な貨幣総額は、その賃金基金額に限定されるであろう。しかしながら、労働者がその富の全部を入手するか、その半分しか得られないかは、単に労働者が、正当な価格でか、その半分の価格で働くかに懸かっている」(p.35) ロンジは続けていう。雇用主は自らの資本(富)について広範な自由裁量権を持っている。個人消費や生産にどの程度を投入するかは彼次第である。雇用主達が賃金基金の全額を労働者の雇用に使ったとしても、それが職を求める労働者を雇用する足る額だとは限らない。一時点での賃金基金合計額は、労働者全体が受け取る賃金総額に達しないかもしれない。資本家個々にとっては、労働雇用に費やする決まった資本額があるのではない。資本家が労働者雇用に用いる資本額を決定するのは、生産物の需要である。生産は利益を回収できる価格で販売可能でなければならない。需要が時々の生産に投入される資本額(労働需要を含む)を支配する。その需要は生産者の予想する需要量である。労働需要に用いられる金額は、予め存在する賃金基金によるのではなく、諸商品に対する総需要の量に依存するのである(注3)。 最後に(2)に対する批判である。労働階級は様々な技術と能力を持つ、数多くの多様な集団よりなることを指摘する。労働者は、これらの集団を超えて競争することはない。ある集団に属する労働者の賃金を削減したとしても、その節約分を他の集団の労働者に分配する手立てはない。「靴職人はどうして、仕立屋、鍛冶屋やガラス吹き工と競争することができようか。また、靴職人の親方が彼の職人の賃金を減らして貯め込んだ資本は、どうして仕立屋の親方の手に渡ることができようか」(p.55)。しかし、ロンジのこの第二想定批判は、賃金基金説が平均賃金率を扱うものであり、異種労働者の賃金を扱う理論ではないため、深刻なものではないとされる(Breit)。 本冊子の発行はミルに完全に無視された。著者はミルに一冊を贈呈しているにもかかわらずである。もっともシュンペーターのいうように、送ったから読んだはずだとするのは、「なんたる楽天家であろう!」とせねばならないであろう。しかしながら、ソーントンが『労働論』1869により賃金基金説を批判した時には、ミルは『フォートナイト・レビュー』上のその書評において賃金基金説を撤回recantationしたのである。ミルとソーントンは同じ東インド会社の同僚であり、人間関係を重視したのもこの「降伏」の一因だとされる。 ロンジの賃金基金説批判では、労働が需要供給の均衡論に従わないとした。これを受けて、一般の商品にも需給均衡で決定できない諸事例があることをあげ、労働の需給決論批判にも及んだところにソーントンの本の価値はあると思える。しかしながら「ウィリアム・ソーントンがロンジの議論に推敲を加えて再述したもの(restatement)」(シュンペーター, 1980 p.1403)と書かれたものがあるように、ソーントンは、ロンジの剽窃ではないかとされることがある。また、ソーントン批判はロンジに比べてそれほど優れたものではないとの評価がある。それでも、ミルやソーントンの著作にロンジの名は出てこない。ロンジ自身は、ミルとフォーセットに冊子を送ったが、返事はなかったと書いた後に、「ソーントンもミルも私の冊子を知っていたことを確信している、そしてこれら著名な著者が私の見方を採ってくれたことを嬉しく思う」(Hollander,1903, p.5)と述べている。可憐というべきか。 最後にミルの賃金基金説「撤回」について。ミルは、賃金基金は固定的でなく一定限度で可変であると「修正と制限」をしたのであり、「撤回」ではなかったともされる。賃金が低落しても、利益が出る生産量が期待できないなら、資本家は必ずしも労働需要を増やさない。賃金の高騰は、資本家の消費を圧縮させ、賃金支払いに回す資金を増やさせる。しかし、それには資本家の総資力という限界がある。「社会的な労働需要の賃金弾力性は1ではなく1より少である――、これが,ミルの労働基金説「撤回」の意味であった。」(馬渡, 1977, p.185)。ミルは、『経済学原理』第七版(1871年刊最終版、ミル書評の2年後発行)序文において、賃金基金説論争の成果を本文に組み込むのは時期尚早だと書いた。ただし、この版で、労働組合の賃上げが、(限度付きではあるが)失業を伴うことなしに可能であると表現を改めている。 高橋誠一郎は、その著『西洋経済古書漫筆』において、書中にとり上げた本に関しては、執拗なくらいその標題紙の写真を掲載している。しかし、『漫筆』の27章で、「「労働基金説」を排撃せる諸著」として4頁ほどの分量を割いて本冊子を紹介しているにもかかわらず、標題紙は、載せられていない。また現在、NACSIS Webcatで見る限り、復刻本でないものは、日本では名古屋大学の貴重図書として一本があるのみである(東畑訳のシュンペーター『経済分析の歴史』には、メンガー文庫所蔵として本書の標題紙写真があるが、これもWebcatによると1903年刊のリプリントのものであると思われる)。これらの点から私蔵本はかなりの稀覯書であると判断している。 そのうえ、私蔵本(冊子)は米国の古書店からリプリント並みの扱いで入手したものであるが、「プロイセン王国統計局」(と思われる)の蔵書印が押された、筋目正しい本である。所蔵書では屈指の珍本かもしれないとも思う。 (注1) 資本蓄積の増加や労働人口減少による賃金上昇は、長期的に利潤低下を通じて資本蓄積を低下させ、一方労働者の人口は増えることになり、結局賃金は低下することになる。同様に賃金低下は、結局賃金上昇を招く。 (参考文献)
(2011/7/7記、2016/8/15 ソーントンの書名を訂正しました。2022/5/11 HP内の形式統一のための改定。記事内容に変化はない) |