ヨハン・クライフ (オランダのサッカー選手)

竹之内 雅史 (阪神タイガース時代)

私の神々

手前味噌ながらここはわたしの人生に多大なる影響をあたえた神様を勝手に紹介ページです。

わたしの野球デビューは遅く中学2年生の時です。(歳バレる)
昭和54年から阪神にやってきた竹之内の2年目にあたるシーズンです。
明日の無い高校野球は見るが、明日もあるプロ野球は嫌いなわたしは5歳上の兄にほぼ無理矢理テレビ観戦させられることになる。
ここで不思議な存在感をもった選手に惹かれる。竹之内雅史である。
狭いスタンスをオープンに構え、肩にバットをかついで寝かす独特のフォーム。この人は絶対大リーグ(当時はメジャーなんて言わない)からきたんや!と信じてたもん。
この55年、竹之内は勝負師としての真骨頂を見せる。
4月17日 あの江夏からサヨナラ3ラン、5月24日堀内からサヨナラヒット。27日には中日戦でサヨナラ満塁ホームラン。死球で一ヶ月のブランクののち、復帰戦の7月5日大洋戦で遠藤からサヨナラツーベースのまさに神。 
若菜、真弓のオマケ的存在でトレードされたという日陰の男。もっさい体型にばたくさい守備。しかしボールから逃げない(死球3位?)ガッツと信じるファンを裏切らない勝負強さ。
人間にこんな事ができるんや・・とトリコにされてしまいました。私にとって今でもこの人以上のプレイヤーはおりません。



竹之内とちがってこちらは才能に満ち溢れた天才プレイヤーです。
フライング ダッチマン(空飛ぶオランダ人)と呼ばれ、1970年代の世界のサッカー界をリードした神です。
74年ワールドカップでは、それまで守備はディフェンダー、フォワードは攻撃と役割分担されていたサッカー界に<トータルフットボール>という10人のフィールドプレイヤーが縦横無人に駆け回り、全員で守り、全員で攻撃する新しいサッカーを持ち込みました。これは紛れも無くクライフという天才の存在なくしては、ありえなかったものであり決勝でドイツに敗れても最も世界のサッカーフリークに衝撃をあたえた事はまちがいない。
「ワールドカップは人生に一度で十分」と次の78年W杯を辞退した孤高の天才。リアルタイムでは見れなかったのだが、VTRで見たクライフはまぎれもなくサッカー史上最高のプレイヤーの一人でした。(1にペレで2にクライフ、3・4がマラドーナで5にプラティニ)
いうまでもなく私の背番号はクライフからとったもの。好きで好きでたまりません。 ん?なぜ決勝でドイツに負けたのか?そりゃドイツの根性に負けたのです。やっぱり根性には勝てんわよ。