切なくも愛おしい青春の疼き
映像、音楽、物語が渾然一体となった世界の生み出す陶酔が本作の最大の魅力である。しかし、その世界では、物語をより効果的に語らしめるために、時はその速度を変えることさえいとわない。さらに、登場人物のエモーションに共振したかのように雨にぬれる世界。
そのような、一歩、踏み外せば、「絵空事」という陥穽に陥りかねない綱渡りを、王家衞は鮮やかにやってのけた。映像は自己を主張しながらも、物語がはらむ力と拮抗し、微妙な均衡を保っている。技巧を凝らしたアクセントですら、驚きに満ちた快感をもたらしこそすれ、そのバランスをくずすことはない。この一見、非現実的に思える世界は、確固たるリアリティを獲得し、独創的なスタイルを確立しているのだ。その離れ業を支えているもうひとつの力、それは素晴らしい俳優たちが熱い血を通わせた登場人物の存在である。
実の母に捨てられたという精神的外傷からついには死に到るヨディ。ヨディに捨てられた痛手を、時をやり過ごすことで癒そうとするスー。捨てられてもなおヨディを追って旅立つミミ。友達の恋人であるミミに惚れ、しかしその旅立ちの費用を差し出すことで想いを伝えるしかないサブ。スーにほのかな想いを抱いたまま船に乗ったタイド。これらの登場人物が、誰ひとりとしてその想いを満たし得ない物語は、私の心を疼きにも似た痛みで満たす。しかし同時に、そこには懐かしさを伴う甘美な感情も、また存在するのである。
たとえば、実の母に会うことを拒まれ立ち去るヨディの後姿。音楽とともに速度をゆるめた彼の、握りしめた拳、怒った肩によって、私は一瞬にして彼の感情に同化する。が、それは同時に、彼への切なさと愛おしさに満たされる瞬間でもあるのだ。これこそ、映画の生み出す快楽ではないか。映像と物語がお互いを補完するもうひとつの世界で、もうひとりの自分を生きる・・・・・。
さらに唐突に思えるラストは、「閉塞的な空間における物狂おしい渇きの感覚」とでも呼ぶべきものを想起させた。それはすなわち、ここに物語られた青春、さらには「普遍的な青春」を象徴しているではないか。王家衞の意図はどうであれ、私はそう了解し、なおさら募る切なさと愛おしさに、涙を抑えることができなかった。
こうして、心を奪う陶酔のうちに、ひとつの典型となりうる青春を描き切った本作は、映画を観る歓びに満ちた傑作であるといえよう。
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